湯島聖堂の楷の木 | Souvenirs de la saison

湯島聖堂の楷の木

 
お茶の水駅を降りたところに聖橋という橋があって、外堀と総武中央線を跨いで掛かっています。
聖橋という印象深い名前について、私は長らく近所のニコライ堂の関係の橋かな?と思っていました。
 
それがたまたま聖橋のたもとを歩いていて理解出来ました。
・・・湯島聖堂の「聖」なんだ~。
どうしてもこの辺は神田という感じがして、ここらあたりまで湯島だとは意外でした。
 

 

導かれるように立派な黒塗りの門をいくつか潜っていきます。

 

 

 

湯島聖堂の歴史は江戸時代前期まで遡れます。

孔子をお祀りする「孔子廟」がその元となっています。

その後昌平坂学門所が置かれ、学業の中心地となったり、

荒廃したり戦災で焼失したりを繰り返し。

 

 

そして1975年に伊藤忠太設計によるこの堂々たる「大成殿」が築造されました。

鉄筋コンクリート造ですが、スケールの大きさに圧倒されます。

今でも儒教系のお祭りが行われたりしているそうです。

 

 
どこもかしこも黒一色の異色な空間です。

そして東京のど真ん中なのに人がいない!

皆無!

神社やお寺は神仏にすがって現世の利益がありそうだが、

儒教って??

お守りもご朱印も無さそうだし・・・

ですよね。

まず人は寄って来ない。

通り抜けの人がちらほらいる程度です。

 
 

 
大成殿を出て秋葉原側へ降りて行くと見えてきました。
この写真の右半分、森のようですが1本の木です。
ものすごく大きな木。
 

 

樹陰は不思議と暗くなく、ところどころ陽がこぼれています。

そして葉は風で揺れて、私をサワサワとした音で包んでいきます。

 

 

あ、立て看板がある。

この木は、楷(かい)の木と言うんだそう。

聞いたことない木ですね。

なんでも中国の孔子の墓所に植えられ、

その後孔子廟には必ずと言っていいほどこの楷の木が植えられたんだって。

それを白沢保美という人が大正年間に林業視察先の中国から種を持ち帰って、

苗木に仕立ててここに植えたらしい。

 

 

 

本家中国でもこの木は孔子と儒教、さらには科挙などの試験に縁が深い木として知られているそうです。

 
 

 

さらには、書体のひとつに「楷書」ってあるでしょう?

あれはこの木の複葉が対生(軸を起点に対称に葉が出る、対義語は互生)で、

いかにもキチッと見えるところからつけられたのだとか。

 

 

改めて見上げます。

100年以上ここにいるんだね。

しかも取り木でない、実生から育ったんだから立派です。

 
 

 

そのすぐ横には巨大な孔子像がありました。

台座を入れて4メーターくらいありそう。

 

 

昔よくテレビに出ていたある外国の方が、今ではすっかり民族右派の論客になられていています。

その方が言うに

日本が近代において成功したのは中国や韓国のように儒教に害されなかったからだ。

としています。

 

これは福沢諭吉から司馬遼太郎まで言っていることなので目新しい説ではありません。

しかしこの考えは当たってるかもしれないが、外れてもいる。

そう思います。

日本は孔子の教えを歪めることなく、権力に都合のいいような解釈ばかりせず、真摯に学んできた。

それも殿様から町中の女子供まで、みんなで学んだから成功したのだろうと思っています。

孔子の教えの基本は、素直に生きてストレスフリーで行きましょう、ということに尽きます。

そのための社会の約束事が書かれているわけです。

その 孔子の教えを歪めて、権力に都合のいい解釈にしてしまうところから国家の堕落が始まります。

日本もその後、孔子思想から忠孝だけを抜き出して説いて、大きな失敗を犯しています。

 

 

 
財政・金融政策の無策ぶり、不正を繰り返す政治家達、そして生きづらい世の中。
孔子は今の日本をなんと見ますかね。
(無償の愛で人に接する)
(真実を重んじ正義のために尽くす)
この仁義の外に道は無く、復活へのアプローチは無いと知るべきです。
 
 
 
楷書は字の基本形と言われます。
今一度基本に立ち返って過去から(知恵)を学ぶべきではないでしょうか。
特にこの木は孔子のお墓、曲阜から持ち帰った種からの特別な実生苗です。
(他者や社会とどう関わるべきか考える)、
そして
(お互いに理解しあい、信じ、心を許す)、
これらを加えて孔子の唱えた「当たり前のこと」の5か条を(五常)五常と言います。
でも五常を実践していたらバカを見る、損をする、そんな現代の風潮はないでしょうか?
上手く立ち回ろう、人を出し抜いて先へ行こう、
そうしていくうちに日本と言う巨樹は活力を失い、萎えてしまったのでは?
 
村の寺子屋で小さなうちから教わっていた五常が、世の中でもう一度顧みられた時。
また日は上るのではないでしょうか。
人の寄り付かない孔子廟の、見向きもされない1本の木の下で、そんなことを考えました。