小澤征爾さんのこと | Souvenirs de la saison

小澤征爾さんのこと

世にあの小澤征爾に握手して頂いた方は多いと思いますが、世界のオザワに「握手を求められた人」は私くらいではないでしょうか。

 

小田急線沿線の方はご存知の方も多いと思いますが、小澤征爾さんは電車での移動をもっぱらとしていました。

偶然、小澤さんと(おそらくは新日本フィルの)楽団の方数名が帰宅する電車に乗り合わせたのです。

大のクラシック好きである妻は「今生のチャンス」と見て、思い切って握手をお願いしたのでした。

なんと小澤さんは快く、それも満面の笑みで握手して下さいました。

ところがそこで事件は起きました。世界のオザワは満面の笑みを湛えながら90度回転し、私のほうに向きなおって手を差し出し、少しだけ首を傾けました。

私は恐ろしくなりました。ここで握手なんぞして私の音痴が感染してしまったら、世界の損失なのです!

 

 

 

 

一度だけ小澤征爾指揮のコンサートに行ったことがあります。

曲目はブルックナーの交響曲第三番ニ短調でした。

ワグナーを思わせるゲルマン的な叙事詩世界が続いたかと思うと、ドイツ人好みのメルヘン感のあるワルツが立ち現れては消えていく、巨大な祝祭空間を感じさせる曲です。

そしてそれは延々一時間も続く大作なのですが、飽きることはありませんでした。

滔々と流れるドナウが見飽きることの無いように・・・

以前私がお会いした中にIさんという年季の入った小澤ファンがいました。

彼が言うには

「小澤さんはオーディエンスを乗せるのがすごく上手い」

「そしてホールの中の一体感がいつも恍惚をもたらす」

ということでした。

私にはクラシックが何なのか指揮というものが何なのかはまったく分かりませんが、やはり何かの革命を起こしたのだ、ということは世評を通じてぼんやり分かります。小澤以前と小澤以降では、演奏する者と聴く者の対峙の仕方に変化があるのです。

 

小澤征爾は終生桐朋学園時代の恩師である齋藤秀雄の教えを忘れる事無く、むしろ忠実にそれを実行してきたと語っています。

カラヤンやバーンスタインにも師事を受けているのにも関わらず、齋藤秀雄は彼にとって特別な存在です。

80年代から続いた「サイトウ・キネン・フェスティバル」を大事に育ててきたのもその表れでしょう。

かなりのスパルタ教育だったようですが、本当に恩師を尊敬し愛していたことが伝わります。

その教えの核こそ「クラシックは楽しい!」ということではないでしょうか。

アメリカから始まって日本でも世界でも聴衆がなぜあそこまでオザワ、オザワと言うようになったのか。

それはIさんを引き合いに出すまでもなく、技術よりも何よりも「楽しいから」なのだと思います。

 

 

 

 

私はそっと手を出し、小澤さんに握手してもらいました。

私は今まであんなに掌が厚い人を知りません。

私は今まであんなに掌が柔らかい人を知りません。

感染したのは私のほうでした。音楽っていいよね!という熱病です。

ゆっくりしたいのにもかかわらず笑みでもってファンサービスをしてくれるのは、訃報に接して色々な人が書いている評伝を読めば納得です。異常なほどの他者に対する共感力がそうさせているのは確かです。

しかし同時に、齋藤師から受け継いだものを手渡したいからとも言えるかもしれません。

佐渡さんや沢山の弟子たちはもちろん、聴いているすべての人、挙句の果てに道行くすべての人にクラシックの楽しさを伝え、それを恩師にちゃんと報告したいから。

 

じゃ、次はサイトウキネンでねっ!

 

小澤さんは皆に分かれを告げ、電車を降りていきました。

手に手に楽器を抱える演奏者の皆さんと小澤さんとの楽しげな会話が常にタメ語だったのが印象的でした。

レジェンド、権威、彼らはそんなものとは無縁なのです。

ああ、この人たちにとってオーケストラは「音楽が純粋に楽しくてしょうがない」高校生の部活のようなものなんだ。今こそ青春と言ったていで、仕事帰りなのにみんなキラキラしているのです。

握手も嬉しかったけれど、その光景がとても素敵に見えたことが今でも忘れられません。