ナラ枯れが教えているもの | Souvenirs de la saison

ナラ枯れが教えているもの

 

「ナラ枯れ病」

そんな名前の病気が全国の森を席巻しています。

それはカシノナガキクイムシによるクヌギやコナラの森の被害です。

いよいよ借りている畑に隣接するクヌギたちにも被害が蔓延し始めました。

なにしろこの虫に巣を作られてしまうと、まるまる一本、木が枯れてしまうのですから被害は甚大です。

このことは以前にも書かせてもらいました。

 

 

 

木が死んで残念なのもそうですが、倒木したら一大事。

20メートルを超える木ですから、人に当たったら間違いなく助かりません。

現に30メートル先の枯れ木の太い枝が折れて、地響きを立てて落下しました。

恐ろしいものです。

なので、ここのところ仲間内で、すでにやられている木を切り倒す計画が持ち上がりました。

 

 

畑に隣接する山。

私と数人で下草刈りや落ち葉掻きなどでメンテナンスしている。

 

 

しかし、精緻に見出すと、かなりの数がやられているのです。

あれもこれも伐る、なんてことになりそうで、もう山がハゲ山になってしまいそうです。

里山愛好家の私としては、もう泣きたい気持ちでした。

 

でも、切り株からまた芽が出たりして・・・

なんて、淡い期待を抱いた瞬間、かかる事態がなんであったのか、

なぜこんなにも被害が蔓延しているのか、それがおぼろげながらわかってきたのです。

 

カシノナガキクイムシに入られると、

穿孔した際に出たオガクズ様のものが根元に溜まる。

 

 

クヌギやコナラの樹林は人が植えたものです。

江戸時代かもしれませんし、もっとずっと前かもしれません。

彼らはそれを薪として燃料にしてきました。

石油も電気も無い時代ですから、それは炭に加工されたもの以外のほとんど唯一の燃料です。

育ったクヌギの木はだいたい15年サイクルくらいで切り倒され、利用され、

そしてその切り株から出てきた芽から、またクヌギを育ててきたのです。

切り株から芽が出るというのはスギやヒノキには無い特性です。

里山ではそんなことを何世代も繰り返してきました。

 

しかし、化石燃料の時代になって以降、クヌギは忘れ去られました。

それは戦後しばらくたってからと思われます。

密植のまま、2度の夏季オリンピックも、ミレニアムも通り過ぎていくまま、

成長に任せてずんずん木は高くなっていきました。

 

 

堂々たる「やまおやじ」。

何世代もの長きに渡って萌芽更新させてきた広葉樹。

うちの畑から400Mくらいのところにある。

今ではシイタケのほだ木として利用を続けているのかもしれない。

 

 

人間の生活に欠かせない材料を提供してくれるコナラやクヌギの森は、

伐ってまた生えてきたものを伐る、と言うような「萌芽更新」の繰り返しによって成り立っていました。

伐ったところは日差しが入り、いっとき明るくなる「ギャップ」が生じます。

こうした攪乱はむしろ自然の成り行きに近いもので、

ずっと暗い極相状態を維持していれば、生物の種類はどんどん限定されていきます。

また、ゼフィルス蝶(シジミの一部)の中にはこうした伐採後の新梢にしか繁殖しないものもあるそうです。

つまり、萌芽更新を前提にしたバランスの取れた生物多様性がそこにあったわけです。

大事に大事に見守ってきたキンランなどがなぜまったく殖えないのか?

カタクリは以前はありふれていたそうだが、なぜ森から消滅したのか、

どこまでも暗いクヌギの樹林の下で悩んでいた自分に、やっと光明が射しました。

「もういい加減、伐ったらどう?」

「人間が使わないなら、ウチらで使うよ?!」

カシノナガキクイムシが告発しているのは、現代人の誤った森林管理のしかたなのです。

 

 

守り続けてきたキンランの株。

クヌギやコナラの木と共生関係にあるという。

 

 

被害にあったクヌギの木も、早いうちに伐れば根が生きていて新梢が吹き出すかもしれません。

カシノナガキクイムシは我々の更新に配慮しているのかどうかわかりませんが、人の目通りより上に食害を始めます。

彼らが巣食うと水が通る道筋が閉ざされてしまい、結果枯れてしまいます。

なのでそこから下の導水管は生きているわけですから、早めに切り倒す選択が重要かもしれません。

 

 

落ち葉で作るたい肥も広葉樹林の大切な役割。

落ち葉掻きすら里山では自然のサイクルの一環となっている。

 

ハゲ山を怖がってもしょうがありません。

薪炭材としてクヌギを採っている頃はハゲハゲにしてきたのですから。

と言うよりむしろ、山をエリア分けをしたのち、そのエリア内は皆伐せねばなりません。

大きい木が残ってしまったら、切り株から出た芽には太陽光が当たらなくなってしまいます。

そうしたエリアを10~20年単位でグルグル回していたのが、里山の普通の景色だったに違いありません。

この際100年の大計を考えて、バッサリ行く覚悟が要求されているのだと思いました。

今の我々はついつい自分の時間スケールですべてを当て嵌めがちですが、先人たちは違いました。

どっちの文明が進んでいたのかな?

そう思わざるを得ません。

 

被害木を切り倒す。

切り口で直径45㎝ほど。

 

自然にはいつも理屈がある。

その理屈の通り、素直に生きているだけなんだ・・・

ナラ枯れから学ぶことがあろうとは。

里山にはいつも考えさせられます。