失われた江戸を求めて 佃島旧市街 | Souvenirs de la saison

失われた江戸を求めて 佃島旧市街

 

舟入り水路のいちばん奥は、親水公園になっていた。

そして糸を垂れる釣り人たち。

背景の大川端リバーシティーの高層マンション群を添景にしながらも、

あまりにのどかに時間は過ぎていく。

 

 

 

その佃堀と呼ばれる水路にかかる佃小橋を渡る。

橋の下には高札が立っている。

住吉神社の3年に一度の例大祭の時に使う幟旗の支柱と土台が埋まっているのだそうだ。

泥の中に木を漬けて置くとは昔の人の知恵には恐れ入る。

 

 

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浮世絵にはすでにその大幟は描かれている。

その高さは実にビルの4、5階あたりになるのではないだろうか。

パブリック・ドメイン, リンクによる

 

 

 

佃小橋を渡れば

時が経つのをを忘れた街、元来の『佃島』がそこにある。

古い町家が自然に、なんとなく残っているのが嬉しい。

月島の長屋町とも違う雰囲気がある。

侘びた地方の港町のようだ。

狭い路地を行けば、いまだに現役の井戸水ポンプがあったりする。

 

 

 

ここは江戸時代は本当に離れ小島だった。

佃島が漁・民の街、

石川島、今のリバーシティーのある方は軍・官の街、

そのカラーの違いは創建当初からのもの。

今は共に佃という町名に統一されていて、

古地図上の佃島・石川島の形は今の佃一丁目に相当する。

今回歩いたのが地図でグレーに塗られた部分、

「漁師町屋」だった島状の地区だ。

ここだけは他から隔絶したレトロな雰囲気を残していて、それは

「世界遺産」的な呼び方を模せば、

「佃島旧市街」と呼ぶとしっくりくるのではないか。

 

 

天安

 

佃島と言えば佃煮。

佃煮屋さんが何軒も軒を構えているが、

その中でも古色漂う店の構えは天安さん。

とにかく箸の先の小指ほどの佃煮でご飯が一膳食えるほど、

それはしょっぱかったり、甘辛く濃い味だったりする。

それはそうだ、佃煮は保存食だから。

うす味の保存食があっていいわけが無い。

 

減塩が定着した今の食生活の中、伝統の味を守るのは難しいことだろう。

現代の食に無闇に迎合してしまえば、

その時点で佃煮は「醤油味調味煮付け」になってしまう。

今や市販品の梅干しの過半が「調味梅漬け」になっているのと同じだ。

 

 

 

古地図上の漁師町の一角に赤く塗られた部分があるが、それが例大祭を行っている住吉神社。

その裏手には明治に建てられたレンガ造りの神輿倉が残っている。

無名ながらその歴史的建造物としての価値は高いのではないだろうか。

 

 

また佃堀に出た。

右手がかつての漁師町屋の地区。

水路ギリギリに民家が並ぶのもいい。

窓を開ければ小舟が下を通る、なんて。

毎日潮の音を聞いて眠るなんて。

どんな暮らしだろう?

 

 

隅田川沿いの堤防に立つと対岸の景色が見えて、突然現代的になる。

その対比には驚かされる。

それにしても少し行けばすぐ川や堀に当たる。

江戸は水の都だったのを改めて感じる。

 

 

 

佃島旧市街には

古い町並み復活プロジェクトとか、

江戸情緒振興キャンペーンとか、

そんな合成保存料・着色料は一切使っていない。

ただただ、二世紀に渡って住民が「手塩にかけて」

守ってきた町が、普通にあるだけなのだ。

そのしょっぱさは、一朝一夕には作れない複雑な旨味も伴っている。