なかなかタイトルのように社会人としての生活までたどり着きませんね、、、
しかしブログも始めたばかり、焦らず書いていきます。
私の今までの経験を書いているのは、
「躁うつになるのは、表面上の人間性は関係ない」
(周りの人は決めつけないでほしい)
「発症する前は、症状とはかけ離れた人間だったのに、
いきなり、もしくはいつの間にか、当事者になる」
(誰よりも他人事だと思っていたのが私です)
「躁うつであっても、うまく付き合っていけば社会で活躍できる」
(生きていける道は、きっとある)
とお伝えしたいからです。
なんだかんだで、今は落ち着いて自身の過去を整理できる
状態まで回復しているので、自身の頭の整理のため、という
意味合いがあるかもしれません。
今後もお付き合い頂ければ嬉しいです。
■ 人生を振り返るシリーズ
幼少期編は、こちら
小学生編は、こちら
――心機一転、中学校生活がはじまる
いじめを経験した小学校時代でしたが、
さいわい、表面上の性格はひねくれず、引き続き明るい性格でした。
でも、心のどこかで鬱々とした気持ちを持ってしまったかもしれません。
中学校では、運動系の部活に入りました。
もともと活発で運動神経がよかったこともあって、すぐに活躍できるようになりました。
学校自体はどこにでもある弱小公立高校で、私個人で強豪にできるほど
うまくもなかったので弱小のまま3年間過ごしましたが、それなりに頑張りました。
――悪い友達とつるみはじめる
毎日、塾と部活の毎日でした。
絵にかくような、健全なスポーツマンだったと思います。
しかしある時期から、学校の不良たちと付き合い始めました。
その不良のリーダーは、なかなかカリスマ性があったと思います。
勉強は全然できませんでしたが、スポーツはかなりできて、
なにより陽キャで友達も多くて、常に周りに人を引き連れていました。
塾と部活の毎日だった私と、毎日遊びとケンカに明け暮れていた彼とは
全く違う世界でしたが、なぜか気が合って、学校でもかなり一緒にいました。
小学校時代に私をいじめてきた陰湿な人間とは全く違うタイプでした。
彼とはどんどん仲良くなっていき、塾をサボって一緒に遊ぶようになりました。
彼の生活は荒れたもので、母子家庭で日中は家が空いていたので、
近くの学校の不良とか、怖そうな高校生が集まっていました。
私もそこに出入りし始めたことで、塾にも部活にも身が入らなくなりました。
――転落寸前での転機
そんなとき、3年生の夏休みに人生を左右する転機がありました。
いつも通り不良仲間と地元でふらふらしていると、
鍵のかかっていないスクーターが道端にありました。
そこで友達が軽い気持ちで「盗んじゃおーぜ」と言い始め、
なぜか私も流されるままにそれについて行ってしまいました。
当たり前ですが、その当日に警察に捕まりました。
当時、どれくらいの罪なのかわからなかったのですが、
警察署で10本の指の指紋をしっかりととられたことで、
自分は犯罪者なんだと自覚してショックを受けました。
しっかりと書類送検されましたが、持ち主さんが
「子供のやったことだから」と許してくださり、
警察が判断したのか、前科はつかなかったようです。
――私が選んだ志望校は、誰も賛成しなかった
とんでもないことをしてしまったと深く反省したのですが、
大きな問題だったのが、これが3年生の夏だったことです。
まさに高校受験の最後の追い込みの時期。
そして、中学校が高校に対して内申点を申告する時期。
都立高校はテストの点数とともに内申点が重要なので、
この時点で上位の都立高校は絶望的でした。
しかも塾をサボりがちで成績も下がっていたので、
志望校を選ぶ面談では、先生と真っ向から対立しました。
先生は現実路線で、ほどほどの偏差値の学校を勧めましたが、
私はなぜか早稲田、慶応の付属校を受けたいと主張しました。
ここで自身を追い込まなければ、人生転落すると思ったからです。
(大学受験をしたくないからエスカレーター校を志望したということもあります)
受験の日程が複数かぶっていることもあり、
早稲田慶応に合格しなければ、不良ばかりの高校行きが確定でした。
正直無謀な選択だったと思いますが、なぜか自信があり、
夏休みから受験までの数か月は、とんでもない勉強量をこなし、
親、学校の先生、塾の先生、友達全員が無理だという中で、
無事に合格しました。
夏のあの事件がなければ、人生が変わっていたと思います。
ただ、それがいいことだったのか、悪いことだったのかわかりません。
確かに、自身を追い込むことで
最難関の高校に合格したという成功を手に入れましたが、
それが成功体験になって、「追い込んで頑張れば、問題は解決する」と
大人になってから無理をし続けたのかもしれません。
自身を追い詰め続けたことが躁うつの原因の一つだとしたら、
果たして高校受験の成功がよかったのか、悪かったのか、今でもわかりません。
まさに、「万事塞翁が馬」ですね。
【次回予告】
中学校での学校生活は以上ですが、
中学生の時には家族、とくに母親との確執が始まった時期でもありました。