うわー、よかったよかった!
人は、変われる。
こんな素敵な変化の報告をありがとう(^^)v
双雲さん、こんにちは。
いつもブログを楽しみに読ませていただいています。
早速ですが報告させてください。
昨年、こんな相談事を送ったものです。
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【48歳。誰も誕生日を祝ってくれなくて悲しい。】
■双雲さん、いつも楽しくブログを拝見させていただいております。
毎年毎年、凝りもせず自分の誕生日に落ち込んでしまう話の事を、どうか聞いて喝を入れてください。
私は先日、48歳になりました。
子供の頃から自分の誕生日が楽しみで楽しみで、一ヵ月前になると 文字通り「指折り数えた」ものでした。
というのも、誕生日その日だけが自分が主役になれる日だからです。
子供の頃から「自分は親に嫌われている」と感じていました。
それは自分に原因があるのでしょうが、当時の自分にはそれがわからず、常に愛情を欲していました。
そんな中で、誕生日だけが自分が存在することを認められたような、そんな気持ちにさせてもらえる日だったのです。
そんな期待が大きすぎるせいか、どうも満足がいく誕生祝いをしてもらえません。
いえ、お祝いといっても 「おめでとう」と言ってもらえるだけでいいのです。
でもそれすらも忘れられてしまっている自分がみじめでなりません。
結婚し子供も生まれ、自分のような思いをさせたくなくて、夫や子供の誕生日は一生懸命祝ってきたつもりです。
でも性格の問題もあるのでしょうが・・・主人は毎年私の誕生日を忘れ去っています。
きっと、私のように 自分が誰かからお祝いされたいと思っていないから、誕生日にそんなに重きを置いていないからなのでしょう。
ただ、結婚した最初の年からそうだったので、誕生日の日に大泣きしました。
そして、おめでとうと言って欲しいと懇願しました。
が、一年に一回のこと、何度お願いしても忘れます。
そのたびに自分の存在価値ってなんだろうと悲しくなります。
48歳にもなり、何を言っているのだろうと思われると思います。
でも私は常に、「必要とされたい」「存在を認められたい」と強く思っており、その確認手段の一つが、
「誕生日を覚えてもらえている」
なのです。
先日の誕生日も例年通りすっかり忘れ去られていました。
というか、数日過ぎた今でも思い出してくれていないようです。
もうこんな思いをしたくないので、
「今日は私の誕生日だよ。おめでとうって言って」
といえばいいだけのことなのですが、単純な人間なので、
「今日は誕生日だね。おめでとう」
と言ってもらいたいのです。
覚えていてくれたという嬉しさが、何よりの誕生日プレゼントなのです。
今年の誕生日もお風呂の中で声をころして泣きました。
みじめです。
来年もまたそうだと思うと苦しいです。
私は一生、嬉しい誕生日を過ごせないのだろうか・・・
自分の価値ってなんだろう、と。
プレゼントも誕生日ディナーもいらないのです。
気持ちだけが欲しいだけなのに、それすらも叶わないのでしょうか。
こんな風に自分を追い込まないで済むようなポジティブなアイディアをいただけると嬉しいです。
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毎年、密かに楽しみにしている自分の誕生日を家族に祝ってもらえず、
自分の存在価値そのものを信じられなくなってしまい、どうにもならずに失礼ながら長文の相談をおくらせてもらいました。
そして、双雲さんからのお返事がこちらでした。
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辛かったね。
人はみな、祝われて嬉しくない人はおらん。
大切な人が、誕生日を覚えてくれるだけで嬉しいもんたい。
わかるばい。
ただ、恥ずかしいことに、僕も、家族の誕生日をすぐ忘れるとよ。
自分の誕生日さえ忘れてたことがある。
あぁたは、親に嫌われてた。
と過去をとらえとるが、本当にそうだろうか。
嫌いな人の誕生日会をやるだろうか。
あることがきっかけで嫌われてると思い込んでしまったとよ。
また、人の好き嫌いは、
たいぎゃ曖昧だけん。
ある言動や行動を嫌い!
って思うことは、よくあるこったい。
人の好き嫌いなんて気まぐれなもん。
うちら家族内でも
ある部分は嫌いって思っとるところはあるし、
人間だけん、嫌だーって思うところはあって当然。
あぁたの親も、別にあぁたの存在を嫌いということではなかとよ。
ある時は、たまたま色んな事が重なって、ネガティブな感情を子供にぶつけてしまっただけ。
親だって人間だけん、感情的になることもあるたい。
もっと親にしてもらったこと。にフォーカスすること。
親にしてもらったことを一つ一つ紙に書き出しなっせ。
嫌われた瞬間のことばかりを思い出して、ひねくれとる。
過去は、もっと多様。
あぁたの思い込みがほとんど。
また、身内にお誕生日を祝って欲しいと。
身内は誕生日を祝いたくない!
とは思わんけん、
例えば、互いのスケジューラに、互いの誕生日を書けばよか。
今は便利な機能があって、アラームが鳴るように設定できるけん。
双雲@あぁたの過去の思い込みがが、変わって感謝に変われば、
不思議とあぁたの誕生日は、素敵なものになるとよ。
あぁたが変われば、世界は変わる。
大丈夫ばい(^-^)
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まず双雲さんからの 「辛かったね」 の言葉に涙が止まりませんでした。
同時に、自分はこれほどまでに、人からのねぎらいの言葉を欲していたのだとわかり愕然としました。
最初は
「私は変わってる。 変わろうとしている」
と思ったのですが、まずは自分を好きになることから始めようと、自分を褒めてあげることから始まり、
いつの間にか強い固定観念を手放せるようになり、これまで 「思いやり」 だと思っていたことは 「自分のエゴだった」 ことに気づき。
寝る前には胸に手を当て、
「今日も楽しかったね。 幸せだったね。 頑張ったね。 明日もきっと楽しいね」 と自分に話しかけ、
無言で作業をしていると、ついつい浮かんできてしまう過去の些細な恨みつらみを、
「辛かったんだね。 苦しかったんだよね。 でももう大丈夫。 洗い物の水と一緒に流しちゃおうね」
と心の中に話しかけてみたり。
浮かんでくるどす黒い感情も否定せず、
「あぁ、やっとこうやって表面に出てきてくれたのだな」
と受け止められるようになり、それらは 「心に刺さった矢」 とイメージし、手で抜いて、天に放り投げると、虹のような弧を描いて空に消えていく・・・・というイメージで消化する作業を続けてきました。
あれから一年。
今日は私の誕生日でした。
夕べ、いつものようにベッドの中で胸に手を置き、
「明日は誕生日だね。 今日までお父さんとお母さんが元気で生きていてくれて、いい誕生日プレゼントをもらえたね」
などと心の中で話しかけながら就寝。
そして今朝、子供の部屋に入りカーテンを開けたところ、ちょうど目を覚ました中学2年生の次男がパチッと目を開け、
「お母さん、お誕生日おめでとう」
と第一声に言ってくれたのです。
これには本当に驚きました。
幸せな気分で朝の準備をしていると、単身赴任している夫から
「今日は誕生日だね、おめでとう! 週末は帰るからね。台風で何かあったら、週末に片づけるからそのままにしておいてね」
というメールが。
昨年も書きましたが、何日も私の誕生日をきれいさっぱり忘れ去っていたのは、誰あろう夫。
偶然なのかもしれませんが、何とも幸せな朝でした。
そしてしばらくすると妹からメール。
「誕生日おめでとう。 あちら側(※50代のこと)が見えてきちゃったね」
と、思わずクスリと笑ってしまうような、妹らしいシニカルな言葉が。
子供たちを送り出し、家事もひと段落したところで電話が。
珍しく母からで、
「今日は誕生日おめでとう」
と言ってもらえました・・・
その時私の口か素直に出た言葉は、
「お父さんとお母さんが元気で生きてくれているから、これ以上の幸せはないよ。私こそありがとう。最高の誕生日プレゼントをもらったね」
と言えたのです。
不思議なのですが、私は気になったことなどをすべてエバーノートに書いて管理しているのですが、
普段そんなことはしないのに、先ほどフト、エバーノートの中を整理しようとみていたところ…
一年前、双雲さんからいただいたお返事を、そっくりそのままコピーして、エバーノートに貼り付けておいたものを、偶然見つけたのです。
これまで一度も見返したことがなかったのに。
そこに綴られていた、一年前の自分の言葉。
それはまるで、まるっきり他人事のように感じました。
あれから一年、あんなに悲しくて惨めだった誕生日が、今年はこんなにもたくさんの大事な人たちから「おめでとう」の言葉をもらうことができました。
こんなに幸せな日が来るなんて、一年前の今日は想像すらできませんでした。
人間って変われるのですね。
そして、変わるには自分が行動を起こすしかないのですね。
今は家族やご先祖様や、庭の木々にすら感謝を感じながら生活しています。
来年も、幸せな誕生日を迎えられたらなと思います。
双雲さん、ありがとうございました。