今、中尊寺のお坊さん、山田貫首と対談するため、岩手県に向かってます。
世界遺産を控えた平泉でテレビ収録です。
(平泉のロゴやゲストてして深く関わっています。)
論語や禅語の本で書を担当したり、月刊仏教で連載したり、生徒さんにお坊さんがいたり、
今回の件でもお坊さんと語り合う機会が増えてます。
僕はいわゆる今時の「無宗教」かもしれません。
どこにも「属して」いない。
ただ、やはり色んな不思議なことを体験したりする度に、神仏のような存在を感じることがあります。
僕は、書を通じて何かを表現しているんですが、
よく考えたら、単なる黒の線の集合体なわけです。
そこに永遠の美を感じる。
書は、数学的な美しさや、芸術的、文学的、音楽的な美しさを同時に持ち合わせている。
書を追求していると、どうしてもそこに神的な存在を感じざるをえない。
「どんな三角形の内角の和も180度。」
この数学的美しさと同じくらい美しい。
(わかりにくい(^_^;))
なぜ美しいのか。
なぜ美しいと感じるのか。
美しいとは何か。
美しさと神仏は切り離せません。
人々が神秘を感じる時、必ずそこには美が在る。
さて今日の対談がどう展開するのか。
どんな美しい話になるのか。
ワクワクo(^-^)o
世界遺産を控えた平泉でテレビ収録です。
(平泉のロゴやゲストてして深く関わっています。)
論語や禅語の本で書を担当したり、月刊仏教で連載したり、生徒さんにお坊さんがいたり、
今回の件でもお坊さんと語り合う機会が増えてます。
僕はいわゆる今時の「無宗教」かもしれません。
どこにも「属して」いない。
ただ、やはり色んな不思議なことを体験したりする度に、神仏のような存在を感じることがあります。
僕は、書を通じて何かを表現しているんですが、
よく考えたら、単なる黒の線の集合体なわけです。
そこに永遠の美を感じる。
書は、数学的な美しさや、芸術的、文学的、音楽的な美しさを同時に持ち合わせている。
書を追求していると、どうしてもそこに神的な存在を感じざるをえない。
「どんな三角形の内角の和も180度。」
この数学的美しさと同じくらい美しい。
(わかりにくい(^_^;))
なぜ美しいのか。
なぜ美しいと感じるのか。
美しいとは何か。
美しさと神仏は切り離せません。
人々が神秘を感じる時、必ずそこには美が在る。
さて今日の対談がどう展開するのか。
どんな美しい話になるのか。
ワクワクo(^-^)o