僕の事務所に届いた感動のお手紙やメールの最新版をアップしました。
お返事はできないのですがすべてに目を通し、毎回心が表れ、生きている実感を得ることができ、成長の糧とさせて頂いております。ありがとうございます。
話は変わって先日、久々に生徒さんたちとカラオケに行きました。(愉しすぎ)
カラオケに行くたびに思うのですが「音楽はずるい」。
どこが「ずるい」かというと、創りだされた音楽作品をみんなでわかちあえること。一緒に大声を出して歌えたり、時代を共有できたり。
知らない人とでも、同じ時代に歌える歌としてその場を愉しくなつかしく分かち合うことができる。
うーん ずるい。
「書道カラオケ」とかないですもんね。
僕の個展とかでファン同士が感動を共有することはあっても、
「書道家の作品をカラオケボックスみたいなところで、みんなで書き合う」
なんて光景が想像できません(>_<)
(書道愛好家同士ではあることでしょうけど。)
コンサートなんかも、何万人、多いと何十万人を一つにできる音楽。書道でそんなことができたらそれは逆にすごいことだから、一応諦めずに、イメージトレーニングしておこう(笑) あ、でも今年の舞台では200人×5回くらいの一体感は作れたかな。ということは、もしかして10万人いけるかも。。
でも、書は音楽にはない魅力をたっぷり持っているから。競い合ってもしかたないけど、やっぱり音楽はずるい。書道家として音楽に負けないものを創りだします。
お楽しみに。ふふ。
あぁ 今回はそんなことを書きたいのではなく、冒頭に何度か出てきた「分かち合う」ということ。これって本当に素晴らしいことですよね!
4年前の結婚式の時に牧師さんが言ってくれた言葉が強く印象に残ります。
「夫婦で分かち合えれば、悲しみは半分。喜びは2倍。」
(逆を言えば分かち合えばなければ夫婦はダメになるということですね)
また、食事も気の合う仲間と食べると、その料理にかかわらずむちゃくちゃうまくないですか?
あのうまさは、何?というくらいうまい。空気も含めてすべてがうまい。
苦しいことも悲しいことも仲間や家族で分かち合うことができれば、楽しみにまで昇華できなくともかなりの軽減はできる。
例えば、僕の書の作品を見て全世界で感動してくれている人がいるってことも、本当にすごいことだと思うんです。言葉では言い切れないのですが、本当にすごいことだと思うんです。感動を分かち合える人がいること。それが知らない人とでも一瞬で仲間になれること。
しつこいようですが、「分かち合うこと」は本当に素晴らしいし、すごいことだと思います。しかし、意外に分かち合うことは難しいこと。自分の心の状態によっては分かち合えない時もある。そういう仲間との絆ができていないと分かち合えないことも多い。つまり分かち合うためには、何らかの基礎が必要だと思うのです。
だからこそ「分かち合いレベルを高めること。」が大事なんだと思います。
分かち合うことのレベルを高めていくためには、
・感動できる心
・心の開き方
・思いやりの心。
などを日々高めていくしかありません。何だか道徳の時間に習うようなことばかりですが、当たり前のことを、少しずつ高めていくことが一番難しくて、一番効果のあることだと思います。
最近は、「お金の増やし方」「資格のとりかた」といったような表面的な方法論ばかりが目立ちますが、それ以前に、こういった心の成長がないと基礎のない脆弱なビルのようになると思うんです。
それにしても、みんなで食べる食事もそうだし、みんなで歌えるカラオケって本当に愉しいです。