僕の書道教室では、毎月の臨書課題とは別に、様々な「問い」に対して書で応えるという課題があります。例えば「お金とは何ですか?」「嫌いな人がチームにいた場合どうしますか?」「贅沢とは何ですか」など様々な問いに対して、生徒さんがたちが個性を出し合って書きます。
先月の課題が 「芸術とは何ですか。」
でした。100以上集まった作品から、7点ほどピックアップしてみました。
「勝れた表現力を持った者が自己の精神的平衡を保つために浮遊していた感覚を得意な方法で抽象化し、万人の共感を得るに至ったもの。高度な場合には信仰、狂気にも近づく。」
大きく3つのタイプに分かれました。
・「評論家、理論タイプ、左脳タイプ」(綺麗な字、美しい字が多い)
・「感覚、イメージ、右脳タイプ」(独創的、創作的な字)
・「詩人タイプ」(個性のある丸みのある字が多い)
このブログを読んでる方だったら、どのように表現するのでしょうか。
人間というのはこういった「多様性」があるからおもしろいんですよね。
色んな価値観がひしめきあって調和を必死でとりながら生活している。
ある意味、社会が成り立っているということは奇跡に近いんだなぁと思います。
(もちろん成り立っていない部分も多い)
先日、読んだ、好きな作曲家の1人、久石譲さんの著書「感動をつくれますか?」の中にあった
「ものをつくる姿勢には、二つの道があると思う。一つは自分の思いを主体にして、つくりたいものをつくる生き方。(省略)芸術家とはこの道を往く人だ。もう一つの在り方は、自分を社会の一員として位置づけてものづくりをしていく在り方。需要と供給を意識し、今自分は何を求められているかを見据えた中に身を置く。(省略) 」
という一文。芸術家という定義がこれであっているかどうかわかりませんが、僕も色んなタイプのアーティスト、芸術家、職人、クリエイターと会ってきて確かに、大きく、ざっくりわけるとこの2タイプがいます。久石さんは後者と言いきる。僕は、前者と後者の真ん中かなと思った。
しかし、疑問に思うのは、芸術家のイメージとしてよくある、「自分の中から湧き上がる思いをひたすらぶつける。他人とは関係ない。」みたいなところ。
自分の思いをつきつめていくと、結局
「他人に認められたい、褒められたい」「他人に愛されたい、愛したい」「他人に伝えたい」「他人を喜ばせたい」「他人の役に立ちたい」
といったような欲求に必ずぶちあたるはずです。
なのに、いかにも芸術家のイメージとして「他人の評価には関係なく、自分の中の熱い思いを作品にぶつける」というのがあるけど、やっぱり不自然だと思います。もちろん男として一瞬惹かれますけど(^^)
自分の思いと他人の思いは、白黒分けられるものではない。
自分と他人というのは曖昧に繋がっていると僕は思います。
自分は他人でもあり、他人は自分でもあるというような感覚は誰もが一度はもったことがあるはず。
「他」を見ているのは結局「自分」のみ。
この問題の先は哲学家や宗教家にまかせるとして
とにかく、自分がどういう思いで作品を創るのか。
そこをつきつめていくと、芸術もビジネスも教育も政治も宗教も区分けがなくなってくることに気づきます。
と、個人的な考えを簡単に書きましたが、人によって様々な考え方、捉え方があります。
ということで僕が「今日」思う、芸術とは
「 想いを外に吐き出して具現化する行為のことすべて 」です。
みなさんはどう思いますか?