先日、3月にフジテレビを寿退社した内田恭子さんがある雑誌の企画で僕のアトリエにいらっしゃいました。実際お会いするととてもおっとりしていてすごく気がきく方でした。さすが人徳があるなと感じました。周りのスタッフもとても明るい人たちで撮影中ずっと大笑いが続きました。
さて、今回は
いきなり難しいテーマですが「平和」について考えてみました。
僕は世界平和に貢献できるような人間になりたいと、よくきれい事を言う人間です。では平和ってそもそもどういうことなんでしょうか。
この問いは、人間社会が生まれた時から永遠に続くものです。もちろん答えが一つに決まるものでもありません。今このブログで書ききれるほどの問題でもないでしょう。すごく定義が曖昧ということもあります。
といっても何か書きたいので、ちょっと試しに「世界が今、平和になりました。」という状態を想像してみましょう。
おぉ、今世界中のメディアがこぞって「おめでとうございます。今、世界が平和になりました。」というニュースを流し続けています。「どこの国を見渡しても争いが全く起こっていません!皆が喜びに包まれ、幸せいっぱいで、笑顔いっぱいです!なんてすばらしいことでしょう!」
・・・なんてことは絶対ありえないですよね。
もし仮に上記のような状態になったとしても、それがずっと持続することはとても難しい。難しいというよりそんな状態が続けば人間は幸せを感じられなくなって、一気に逆の流れが加速するかもしれません。もしかしたらその時は人類の理想の状態に達したということで、役割を終えて別の生命体が地球を支配し始めるかもしれません。
何十億人の人がいれば必ず、怒っている人、悲しんでる人、嫉妬している人。。。等 がいます。1人の人間の感情を考えてみても、ずっと喜びに満ち溢れている人はいません。どんな人間だって、必ずすべての感情を持ち合わせています。感情はいつも曖昧に揺れているものです。それを捨てることはできません。
しかし、そうはいっても平和じゃないよりは平和であった方が僕は好きです。
この難問をどう考えればよいのでしょうか。一つのヒントとしてある野球選手の言葉と出会いました。
「10割が無理だとわかっていても10割を目指す。」
無理だからと言って諦めるのは簡単。
完全な平和とその状態が維持されることは確かに無理かもしれませんが、無理だからこそ、その状態へ向かう努力。
人間は感情が揺れやすいから、堕落しやすいからこそ、理想というのが必要なのかもしれません。
そう自分に言い聞かせて、このだらしない僕はさらに良いと思える活動を続けようと思います。