「関心領域」と「ユニコーン・ウォーズ」2 | サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ

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もう一本観た映画は「ユニコーン・ウォーズ」。
 これ、よく知らないんだけどなんか、ちいかわみたいな気持ち悪いけど可愛いみたいな言われ方をするキャラクターばかりが出てくるスペインのアニメ映画です。
 でね、タイトルロゴの字体が昔のユーロ・テクノのアルバムジャケとかによく出てくる字体なんだよね。
 このタイプのセンス、私がずっと嫌いなやつ。
 あの手のケミカルな流血みたいなのがかいてある類のやつ、みんなドラッグ上等みたいなレイヴ・テクノで、その手のカルチャーが私は非常に好きではない。
 でまた、そういうのって得てしてジャパニメーションみたいなタッチのイラストを使って、残酷描写や血みどろ描写をしたがったりするじゃない?
 そういう映画でした。
 いや、厳密にはテクノではなかったです。どっちかっていうと泥臭いロック。
 でも、やっぱりケミカルでテクニカルなキャラクターを使っておしゃれグランギニョールみたいのはおんなじ。
 ゾンビのベアブリックとか、そういうの誰が好きなんだろうってずっと思ってるんだけど、この映画作った人とかが好きなんだろうね。
 ちゃんと日本アニメの影響は如実に出ていて、森という概念やそこに住まうキャラクターたちは90年代くらいに観たことのあるのがまんま出ていました。
 でね、内容といえば、テディべアたちの世界がありまして、そこで従軍した双子のお話なのね。
 この双子はハートマン軍曹みたいなテディベアに調練を受けるんだけど、兄貴の方がフルメタル・ジャケットで言うところのデブ二等兵みたいな扱い。
 それを率先していじめているのが、おぞましいことにこの双子の弟。
 彼らはテディベアなんで、可愛くて人から愛されることが最大の価値観をしめているらしいのね。
 だから観ている方がひくくらいナルシシストなんだけど、その中でもこの弟が抜きん出た自己愛性人格障害者であることがだんだんわかってくる。
 自分が先に手を出した喧嘩なのに、負けそうになると殺しそうになるし、止められるて締められると媚びて許しを請う。それで相手が離すとそこから襲いかかる。
 挙げ句それが通じなくてやられると、自分が可哀想だと一人で泣いているという、倫理や公正さはかけらもない奴だということが描かれます。
 訓練の結果、グループでもっとも優秀な新兵がリーダーになると、それを妬んでまた一人で泣く。
 そんな彼の心に、従軍神父からこの世界の聖書が渡されて、彼はそこに描かれたドグマにどんどん浸ってゆきます。
 この聖書には、テディべア達が失楽園した経緯が書いてあります。
 そもそもは聖なる森に全ての生き物は住んでいたのだけれど、テディベアたちはそこを独裁しようとした結果、守護者のユニコーンとの戦争になって敗北、楽園を追われたというお話で、彼らはそれ以来ユニコーンを憎んでいて彼らの住む森に攻め込むためにこうして兵士を育てていた。
 この聖書には、ユニコーンを滅ぼした者は永遠の美と命を手に入れると書いてあり、弟はそれになりたくて仕方なくなる。
 やがて彼らの舞台は森で消息を絶った味方舞台の探索に森に入ってゆくことになるのだけれど、この任務の最中に彼らの舞台はユニコーンに遭遇するまでもなく自滅してゆきます。
 もう、彼らは自分たちが出てきた森に適応できないようになってしまって居たのですね。
 この森が結構不気味に描かれていて、毒虫は居るしドクトカゲは噛みついてくるし食料は足りないし、猿の群れは邪悪な信仰に励んでいるしでちょっと快適さとはほど遠い。
 更にはとうとうユニコーンにも出くわしてしまってパニックになりながら部隊は壊滅してゆくのだけれど、その中で双子の弟は嫉妬からどさくさ紛れにリーダーを刺殺。
 更にはその肉を食料にしてしまう。
 兄の方はユニコーンと戦う気もなく、ただ森を出ることだけを考えているのだけれど、その中で弟と共にユニコーンの親子と遭遇。
 制止する兄の声も聞かず、弟は狂的な怒りにかられて襲いかかった挙げ句返り討ちにあって崖から転落してしまう。
 物語の中で、崖から落ちた人間が死ぬことは珍しい。
 弟は全身傷だらけになりながらも川に落っこちて地元の方に流れ着き、それを拾われて生き延びる。
 片手を失い、顔面も崩壊した弟の病院に軍の高官がやってきて、彼を士気高揚のために士官として向かい入れる。
 兄の方は傷ついたユニコーンの手当をして、森の中で美味しい食料のある場所も見つけて、そこで快適に適応して暮らす。
 その間にも弟は新兵の訓練をし、上層部に作戦を提出する。
 しかし、実はこの戦争は軍部の権力を保持するためにでっち上げられた物で、はじめからユニコーンを倒すなどは存在していなかった。
 完全な政治的パフォーマンス。双子の部隊も弟も、そのためのアイコンとして利用されていたに過ぎない。
 弟は激昂し、自分が育てた部隊を使ってクーデターを決起、指揮権を剥奪してそこから森を焼き払う焦土作戦に乗り出す。
 かくして燃え上がる森の中でテディベアたちとユニコーンの全面戦争が始まってしまう。
 兄の方はユニコーンの味方をして、軍の作戦本部に接近、仮面をつけている指揮官が弟だとは気づかずにそこをふっとばす。
 みんな死んでしまった戦場で、一頭の傷ついたユニコーンと兄、そして仮面を取った弟だけが向かい合う。
 弟は半面の崩壊した自分の顔を兄に見せて「こんなになってしまった俺を誰が愛してくれる」と心境を訴える。
 彼らの文化では、他人に受け入れられること、称賛されること、愛されることが全てであるため、醜い姿になってしまったことは弟にとってはもう終わりに近いのだ。
「俺はモンスターだ。生まれたときからそうだった」と、弟は自分の性格が異常に悪いということを実は感づいていたことも打ち明ける。
 兄はそんな弟を抱きしめる。
 弟も涙を流して二人は抱き合うのだが、つぎの兄は傷ついたユニコーンのケアもしようとする。
 それを見た弟は嫉妬にかられて兄の頭を石で殴って殺してしまう。
 それからユニコーンを殺し、その肉を食らう。
 死んだユニコーンの身体からおぞましい不定形の物が現れて兄の死体を食い、そして逃げようとする弟も食らう。
 これらを飲み込んだ不定形の物は、変形を繰り返して人間の姿になる。
 この人間は歩き出し、その後ろにサルたちが付き従ってゆく。
 歩き続けているうちに、サルたちは次第に人間の姿に近づいてゆく……。
 というところでこの物語は終わる。
 この物語はおそらく人類発祥以前のお話で、如何にしてこの世界が歪んでゆき、そこから「神」という物が生まれたのかを語っているようにも見える。
 ジョーゼフ・キャンベル教授曰く、政治利用のためにでっち上げられた神話が宗教だということなので、作中でテディベアたちが信仰している自己愛的な「愛」がどれだけ邪悪なものか、そしてそれらがついには宗教的な神を生み出してしまい、取り返しがつかないことになるのだということが語られているように思われます。
 一方でしかし、あの弟は生まれつき邪悪だったということも描かれています。
 ここは丁寧に折かさねて描かれており、初めは生まれてからの事情によっておかしな人格になったように見えるのですが、おそらくは生まれる前からおかしかったのだろうというようにも取れるように作られています。
 だとしたら、この、性格が悪いということがどういうことなのか、一体どうすべきだったのかということを考えるのは難しい。
 ただいずれにせよ、心が貧しい者は信仰を求め、いかなる救いも与えがたいまま、周りを巻き込んで自爆してゆくものであり、結果世界はもっと悪くなる、というようにしか見えません。
 作中では全ての美しいものはこの生まれつき性格が悪い物によって汚されて失われてゆき、その弟もまた更に禍々しいものになって終わる、という風に描かれています。
 自分たちが楽園を追放されたというドグマを掲げた者たちが他者のバウンダリーに侵入してそこを害してゆくという筋立ては、当然イスラエルによるパレスチナでの虐殺を連想させられます。
 その中で生まれる禍々しい人間の姿の存在の歩みを止めるために、私達には一体何が出来るのでしょうか。
 一人ひとりが己の中の愚かしさや悪に歯止めをかけようとする努力を続けること、そしてSTOP SPEAK NO EVIL、つまり悪について語ること以外に、一体何があるでしょうか。
 劇中からは答えを見いだせませんでした。