内力と外力 東洋の身体操法と西洋スポーツ | サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ

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気持ちよく生きるためのライフスタイルとしての南派拳法(カンフー)蔡李佛拳とエスクリマ(フィリピン武術)ラプンティ・アルニス・デ・アバニコを横浜、湘南、都内で練習しています。オンライン・レッスン一か月@10000で行っております。
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 最近よくやる、コンビネーションの果てに相手を投げると言う練習なのですが、これ、意外に皆さん上手くできないことがままあります。

 上手く行かない時には共通性があって、それを私は「ミシンが動かずミシン台が動いている」と表現します。

 これはいわば、東洋武術と西洋体育の違いに通じる問題です。

 西洋武術は外力によって成り立っていて、表面から観察できる力の延長で技を成立支えます。

 つまり、パンチで言うならもう、的に命中する前からその威力が作られています。

 遠心力、加速、体重移動と言った物ですね。

 投げ技に関してもしかり。

 相手を払う足や相手を乗せる腰の設置などは、迅速に移動をしています。

 その延長戦で、柔術系の流儀でもぴょんぴょんと走り回るように移動したり大きくて足を振り回して技を掛けています。

 その移動力で技を掛ける。これが外力です。

 新古武術系の創作サギ武術連中の類が必ず言っていたのが、現代スポーツのトップアスリートは古武術の理論に則っているという何の根拠もない嘘です。

 これは非常に失礼なお話です。現代スポーツがレベル100になると東洋武術レベル1にジョブチェンジするというようなことを言っていたのですが、そんなことはない。

 この、物凄く失礼な上にコンプレックス丸出しの奇妙な考え方が当たり前のように喧伝されてきました。

 ですがもちろんこれは嘘です。

 東洋武術は現代スポーツ関係なく、東洋武術レベル1からやってゆく物です。

 この手のサギはもう三十年ほどずっと続いていますし、むしろこの流れは愛国ムーヴメントと繋がって盛んになっているような気さえします。

 ですので、由来の分からないうろんげな人間が、遠心的な、目に見える力を使っていたらこれはもう創作だと思った方が良いでしょう。

 本当のアジアの伝統武術では、そのような動きはしないことが多い。

 当てるにしても投げるにしても、求心的に行います。

 当ててから利かす。

 触れてから力を発揮させて投げる。

 これが私の言う、ミシンを動かす、です。

 自分本体、ミシン台は動かさない。

 あくまで自分の体内に作ったピタゴラスイッチを活用します。

 中には、射程や死角に入ったりするのに大きく遠心してゆく中国武術も割りにあるので絶対的なことだとは言えない部分もあるのですが、それでもこの見えない力はどこかで使っています。 

 これが術です。

 それは西洋体育とはまったく違う。