現実を観る | サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ

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気持ちよく生きるためのライフスタイルとしての南派拳法(カンフー)蔡李佛拳とエスクリマ(フィリピン武術)ラプンティ・アルニス・デ・アバニコを横浜、湘南、都内で練習しています。オンライン・レッスン一か月@10000で行っております。
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 SNS全盛の今の世の中、偽物武術が横行していて、真正な中国武術を伝える人はこの国では数えるほどしか存在していません。

 そのために、そもそも中国武術とはなんなのかということがまったく伝わらなくなっています。

 私がこうして十年も発信を続けているのはそのためです。

 唯物主義の中国政府が、見た目の点数を競う表演武術を創作してこれを国力を持って普及させているのも大きな要因でしょう。

 それを後追いするように、自己顕示欲の強いインフルエンサー達が見た目だけの創作武術をばら撒いている。

 何もできない何にもならない空の器が広まっています。

 では、本物の中国武術とは何をする物かというと、一つには陰陽思想を身に着けるための物だともいえましょう。

 つまりは思想、哲学の実践です。

 ぶったり蹴ったりの底の浅いお遊びでは決してありません。

 日本では武を通して思想を学ぶなどと言うと、形式的にでっちあげたお題目だと言うのが当たり前ですが、そんなことではなりません。

 もう、初手の段階からそこを学んでゆかないと意味がない。

 伝える方がそこの理解をしていれば、何がしかの形でそれが反映します。

 現代人、日本人ではありえないような発想や風習が古伝の中国武術の中にはあります。

 現代式に改変したような物では無いので当然です。

 そうすると必然、昔の人はこうだったんだねえ、という落とし込みをすることになる。

 これだけでもう、自分の住んでいる社会を相対化することが始まっているではないですか。

 教育が無いと言うのは、自分の周りのちっぽけな環境を自分にとっての世界のすべてだと思うことです。

 そうすると人は、自分の損得と感情、他人からの評価にしか関心が無くなってゆきます。

 そうしてそれらのために、死ぬまですべてをすり減らしてゆくことになる。

 自分の周りの環境などと言うのは、自分が移動すれば一瞬にして変化する浮ついた物にすぎません。

 それを含んだ自分の住まう社会など、現実に存在している世界の中で、かりそめの物としてでっちあげたヴァーチャルな物でしかありません。

 社会などとは人間が作った仮想現実です。

 意図的に作り上げられた嘘でしかありえません。

 上司が偉い、金持ちが偉い、男が偉い、年長者が偉い、全部人工的に作り上げられた嘘っぱちです。

 本当の、生の現実の世界ではそんな物差しは何の役にも立ちません。

 実際に枠を取っ払って純粋な暴力や自然界での生存競争の中に放り込まれたら、人口社会で偉いと言われていた人達は何のプロテクトからも外されてむき出しの現実に食い殺されてゆくことでしょう。

 裸で生きる現実世界での価値と、特殊な社会の中だけで通じる閉鎖的な価値観などはまったく繋がっていない物です。

 例えばイスラム社会では、先祖がムハンマドの血を引いているかどうかが偉いかどうかの基準になる。

 そこでは偉かった人が、私たちの街に引っ越してきたときに、その階級がそのまま通じると思いますか?

 通じませんね。

 同じことが私たちが他の場所に行ったときにも起こります。

 ドイツでは髯を生やしている人が偉かったし、オランダでは家に沢山窓がある人が偉かった。

 馬鹿げているように思いますでしょう?

 私たちが日々囚われて必死になって労力を割いているこの社会の価値観もまったく同じです。

 狭い範囲の枠の中でのふるまいなどは、生の世界においては話にならない位にちっぽけな物です。

 だとしたら、そこにしがみつくことなどまるっきり愚かな消耗でしかありません。

 目くらましに囚われた執着は手放して、本当に自分が望むことを見つけて、広い世界で自由に生きることの方が、人間にとっては幸せなのではないでしょうか。

 普遍的で確かな物を養ってくれる。そこに哲学の価値があります。