重層的に識るということ | サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ

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気持ちよく生きるためのライフスタイルとしての南派拳法(カンフー)蔡李佛拳とエスクリマ(フィリピン武術)ラプンティ・アルニス・デ・アバニコを横浜、湘南、都内で練習しています。オンライン・レッスン一か月@10000で行っております。
連絡southmartial@yahoo.co.jp

 現代武道や格闘技では、レギュレーションで技術をカテゴライズして分断することが常識化しています。

 しかし、古い武術ではいくつもの種類の技術群がまとめて継承されていたりします。

 それももちろん、ただのつぎはぎではなくて一本化された同じ技術のいくつもの面として。

 中国武術でももちろんそうで、基本功から始まって拳術をやり、実際に戦う必要があるときには槍や刀を使います。

 そのように体系がシームレスに繋がっているので、一つ一つの技術も分断されてはいません。

 殴りながら蹴り、掴みながら刀を使い、槍と蹴りもまた同時に用いられます。

 そういうことが出来るのが伝統武術の面白さであり、強みです。

 ですので、私は現代的な、拳術だけを取り出して格闘技の試合を行うことにはなんの意味も見出せません。

 この構造はフィリピン武術のアルニスでも同じで、掴まえておいて打ち、打ちながら投げ、また武器を用いて掴まえます。

 武器を用いた関節技がこれほど当たり前に用いられている武術も比較的珍しいかもしれません。

 中国武術だと、もう少しシステマチックに手早く処分してしまうことが多いような気がします。

 ですので、このところ練習している太拳などだと、現代人からするともう逆に使えない技術が多すぎます。

 何しろ狼兵と呼ばれた狂猛な戦闘民族の戦闘体系です。コンビネーションが上手く入っちゃったのは良い物の、そうなると「あ、きまっちゃったこれ、でもこのまま殺さないとノーダメージだから終わらないじゃん、どうしよ、この後の人生、殺人者として刑務所で生きることになっちゃうの?」というような物が多々あります。

 最短最速で戦闘不可能に持ってゆく技術だと、スムースに決まっちゃったときに落としどころが無い。

 もちろん、現代ではうっかり痴漢や万引きを捉まえたときにこれがでちゃったりすると、キャッチ&リリースするしかなくなってしまいます。

 ですので、最近はちょっと工夫して危険なチェックメイトをアレンジして、投げ飛ばして終わりにするような練習をしたりしています。

 ちょうど、相手の力の流れを感じて借力を用いる練習を最近は大切にしているので、そちらに繋げて行うと良い感じです。

 この辺りに関してはアルニスでも独特の物があります。

 というのも、本来は剣術であるので、普通は組んで掴まえてそのままお命頂戴! となるのが勝ち手です。

 それを投げたりするときは、相手を生かして捕獲したいときなのですね。

 ですから、ダメージを与えない、投げなんだかなんなんだかよくわからない捕捉方法みたいな技があったりします。

 まぁ、逮捕術ってところなんでしょうね。

 アルニスでも、痛いけどダメージは無いというような細かい技を活用したり、耳をつまんで投げ技を掛けたりするような面白い動作が沢山あります。

 でもこれ、現地の文化と言う処に立ち返ってみると、生まれた時にもうピアスをするという習慣がありますので、それを摘まんで耳をちぎったりとかする物なんでしょうね。

 こういう風にね、文化人類学として掘り下げられるところが伝統武術の醍醐味でもあります。

 アルニスは現代に伝わってくる過程で時代に合わせた変化をし続けています。

 ストリートの喧嘩術としての部分も、中々にえげつなくて恐ろしい物なのですが、ある意味でこれも文化を感じさせられる味わいがあります。

 私が学んできたこれらの武術は、蔡李佛という中心によって繋がっている、それぞれに分化したものとなっています。

 これらを重層的に身体で学べると言うことは、また面白いことだと思うのです。