価値観 | サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ

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 鎌倉時代の天台宗の僧、成尋さんは北宋に渡航をしていました。

 そのおりに、時の皇帝である神宗から「旱魃が続いているので雨乞いをしてほしい」と依頼を受けました。

 成尋法師が日本の名誉にかけてと意気込んで雨乞いをしたところ、3日にして雨が訪れたといいます。

 皇帝は成尋に、日本にはそのような雨乞いをするものが他にも居るのかと訊きます。

 その時代、もっとも験力のある僧といえば空海です。

 成尋がそう答えたところ、空海がする雨乞いの法は分かるかと重ねて訊かれます。

 そこで成尋法師は「空海法師は真言密教だが自分は天台なのでそのやりかたは知らない」と答えます。

 空海法師といえば遣唐使であり、密教も天台も中国から持ち込まれた仏教です。

 そして、北宋の仏教といえば、ネパールから達磨大師が訪れて少林寺が隆盛した時代でした。

 つまり、禅宗の時代です。

 その中にあって、天台の験力を示した成尋さんといえば、滞在中、当時の知識人からは一切相手にされなかったといいます。

 つまり、ただの呪術師として扱われており、取るに足らない土人のように観られたのでしょう。

 禅宗がすでに広まっていた北宋では、仏教といえば哲学であり、武よりも文を尊ぶ中国の思想からすれば、実用の術などは土木や農耕と同じくただの技術に過ぎません。

 形而下のものは形而上の物より低く観られるのです。

 同じく皇帝と謁見した時、達磨大師は「仏教にはどのような功徳があるか」と問われて「何もありません」ち答えました。

 これが学問、哲学であるということです。

 表象的な有効性などのレベルの話をしていないのですね。

 これは、禅の修行である少林拳と他の武術や格闘技を比べた時もまったく同じことです。

 ずーっと書いてきているように、強弱や勝敗ではないのです。

 それを越えたところに意味がある。

 それが伝わる人にしか、恐らくは中国武術の学習は意味をなさないのではないでしょうか。

 普通に試合で勝ちたいのなら、マジメに総合格闘技をやっているのが何よりですよ。

 最近のトップ選手は、ブラジリアン柔術でも黒帯で、なおかつ打撃の名手であるそうですね。

 それを目指して練習をなさればよろしい。

 それとはまったく別のところに、中国武術の価値は存在しています。