先日の練習では、師父から洪拳の用勁を随分しっかりと教わりました。
これが非常に難しくて、私はどうしても蔡李佛の鉄線勁が残ってしまいます。
もちろんこの鉄線勁はそもそも蔡李佛の発生時に元になった洪拳から来たもののはずなのですが、同時に洪拳ではこの長い勁ではなく、短い勁も用いることが重要だとして、現在そちらを仕込まれているのです。
恐らく、現状の私の認識では、この短勁は五祖拳にも通じるものだと思われるのですが、五祖拳では明確な上肢部の要求があり、洪拳ではその独自の要素を用いません。
もし、私がそちらを用いてしまったら、表面上は似た結果となっても、やはりそれは洪拳の勁だとは言えないでしょう。
少なくとも、師父が求めて居るものではない。
一方、洪拳の短勁は客家拳法の短勁と同様だと師父は教えてくれます。
広東の武館で師父が教わった通りの表現で言うなら、これはボールがポンポンと弾むような勁だということです。
むぅ。
これだけでは特定が非常に難しい。
そこで、眼の前で師父が繰り返してくださる動作を模倣してゆきました。
結果、少しづつ鉄線を抜いて行き、代わりの力を見つけてゆくこととなりました。
どうしても、勁には伝達ルートがあるので、断片的に変えただけでは模倣することも難しい。
そこで伝達路を聞きながらなんとか模倣するところに至りました。
通すところを通し、抜くところを抜く。
その日はまぁ、それでよいという方向性の確認だけをいただき、以後日々少しづつ繰り返しています。
ようやく少し、それっぽい雰囲気になってきたかなあ。
やはり、これまでのものとは違います。
そして、太極拳ともまた違う。
人間の体の中には、いろいろな可能性が潜在しています。