私は映画を良く観るので、YOUTUBEでも映画に関する配信を享受することが多々あります。
先日も映画解説者の人たちのライヴ配信を観ていた処、チャット欄で「グランド・マスターの功夫には縦と横しかない」というセリフの意味が分からない、という書き込みを目にしました。
これは、四時間も撮影されたのに公開版では二時間くらいになった結果、ストーリーが全く意味をなさず、ライバルとなるはずの登場人物同士が全く対面することさえなく終わった怪作「グランド・マスター」の中で、主人公であるイップ・マンが言うセリフです。
ただの主人この1セリフではなく、物語を通して彼のメッセージとして送られる言葉で、ラストシーンでもモノローグとして語られる物なので、映画全体の意味を背負った大切な言葉です。
この言葉がどういうことなのか、まずは改めて解説いたしましましょう。
この映画は、大戦後前後、動乱期の中国を舞台に実在の武術家たちがどのように生きたかという群像劇になっています。
主人公は、上にも書いた詠春拳のイップ・マン先生。
中国共産党の抗日プロパガンダ映画の主人公として「発掘」された人物で、そのおかげで活躍に尾ひれはひれが山ほどついて、虚像の英雄としてでっち上げている人物です。
映画とはまったく違う彼の実像については、共産党と共に「葉問」を制作したスタッフがその後に造った秋生氏主演のイップ・マン映画のシリーズで描かれています。
家族を捨てて亡命し、アヘン中毒で、愛人を囲っていて生徒たちに軽蔑されていたという人間イップ・マンのリアルがそこにあります。
この、イップ・マンと言う人は災禍を逃れて当時英国領であった香港に逃れた人で、俗説として日本兵を殺したことがある、という未確認情報があるのですが、世界史的には何もしていない人です。
そこが共産党のプロパガンダに合致していたのでしょう。
何もしていないからどのようにもでっち上げられる。
功夫映画界の普遍の英雄黄飛鴻先生は、フランスに侵略されていたベトナムを解放するための黒旗軍の調練教練を務めたと言う史実があるのですが、イップ・マン先生にはそのような史実が何もない。
しかし、武術界においては彼は物凄く大きなパラダイム・シフトをもたらしました。
それが「武術の資本化」です。
それまでの武林では禁じられていた、お金さえもらえば誰にでも武術を教えるということを職業として確立した人なんですね。
これは、彼を描いたどの映画でも描かれています。
富豪の家に生まれたおぼっちゃんで生涯労働をしたことが無かったイップ・マン氏が、生活手段として人々に武術を教えはじめたことは、それまでの武林の考えからすると驚くようなことで、イギリス領香港であったからこそのことであり、また20世紀の世界の在り方を大いに示唆した物でした。
映画「グランド・マスター」は、その、近代化したビジネス武術家と伝統的世界に生きる古典武術家を対比して描いた作品です。
つづく