水木が弔問に訪れたのは、地方の部落です。
ここは大手製薬会社を所有する龍賀一族が代々総代をしているような村で、地元の神社の神主は一族の惣領が務めていると言います。
これ、まさに犬神家の一族が、戦前からの大手製薬会社を運営していて、それによって国策とも密着しており、長野の経済を掌握していたという設定から引用していることは間違いないでしょう。
水木はまさにその犬神家式の、遺言状開示の現場に居合わせるのですが、犬神家の変なデスゲームのルールを書いたような遺言とは違って、龍賀家ではまっとうに長男が継承者が指名されています。
しかし、登場したこの継承者と言うのが一目で見て白痴と分かるような発達障害者っぽい中年男性なんですね。
白塗りをして鉄漿を塗り、自分のことをマロと呼んでいる。
これでさすがに一族は大荒れになります。
継承者の名義はそういう実体のない経営者に書き換えられて、後のみんなはそのままの状態で一族経営の企業をいままで通りやっていけというのですから、遺産がまったく誰にも行き渡らない。
その浅ましいさまの中で、当然のようにマロが殺されます。
こうして再び、一族の遺産は宙に浮いて、誰がそのリバウンドをキャッチするのか、という話になってゆく訳です。
このお家騒動の渦中で、水木は自分とは別のもう一人のよそ者、放浪者のゲゲ郎と出会います。
一族の利益に直接の関係が薄い、この部外者二人が探偵となって事件の謎に踏み込んでゆくことになります。
先に書いたように、水木は今回、ノワールな主人公として設定されているので、これはちょっとサム・スペードやもっと明るく書けばフィリップ・マーロウっぽい位置にいると言えます。
対してひょうひょうとしたゲゲ郎はまさに金田一そのもの。
ちゃんとあの、目をノにして口を3にした、水木キャラがぼんやり立っている時のとぼけたたたずまいも披露してくれます。
と、ここまではなんのこともない地方土俗探偵ものなのですが、この作品が凄まじい社会批判映画となるのは事件の謎が明かされることがすなわち現代社会の闇を暴くこととイコールになっているからです。
次回、核心に至るまでネタバレしてゆきます。
つづく