伝系と歴史 1 | サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ

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気持ちよく生きるためのライフスタイルとしての南派拳法(カンフー)蔡李佛拳とエスクリマ(フィリピン武術)ラプンティ・アルニス・デ・アバニコを横浜、湘南、都内で練習しています。オンライン・レッスン一か月@10000で行っております。
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 自分が教わっている八極拳についてちょっと調べてみた。

 というのも、この拳法は以前に書いてきた通りに、拳士たちが傭兵戦士としてあちらこちらの乱に参加していたため、多くの派に枝わかれしているためです。

 また、中国の武術史研究で言われるには回族武術は初級は長拳、中級が八極拳、上級が心意拳とあるように、回族という中国における武術の歴史のど真ん中に通っている文脈の中核にいるような存在なので、大変に広く分派していると思われたからです。

 ちょっと調べただけでも、少林寺に伝わっているという少林八極拳や道家八極拳などのようにいつから出来たのか分からない物から、古くから仏法の守護武術だとしてローカルに伝わっているという月山八極拳というような物まで出てきました。

 そのくらいの規模の話になってしまうともう話が大きすぎて捉えどころがなくなってしまうので置いておいて近代からの「確認できる」流れに目を向けただけでも、まずは我々鴻勝蔡李佛の歴史で語られている、太平天国の時の参加流派に八極拳が含まれています。

 この太平天国、教科書だと清朝崩壊のきっかけとなった農民革命だとだけ言われていますが、実態を辿れば客家の革命運動家を中心に、漢族の反乱分子や回族、壮族(チワン族)などが合一された大規模な革命運動です。

 その折に多くの武術交流がされたと言う話を教わりました。

 この時に、客家武術や回族武術の技術が混ぜ合わされた可能性は充分あります。

 当然、我々蔡李佛のような少林寺系革命武術門派もその中核に居たので、多くの物が流出し、多くの物が獲得されたとも考えています。

 チワン武術(古式ムエタイ)が蔡李佛に入ったのもその時です。

 昔、北派武術には回し蹴りがないが南派にはなぜあるのか、という話がありましたが、おそらくそれはこの時に入って来たのでしょう。

 首相撲も飛び膝蹴りも蔡李佛はそこから獲得しました。

 また、客家武術である白眉拳では首相撲へのカウンター技が含まれています。

 この後、清朝が滅びつある時代に、八極拳はもう一段階大きな勇躍を果たします。

 元々、中国の武術は北虜南倭と言われるように北は騎馬民族、南は海賊との構想を苗床に発展してきました。

 私たちサウス・マーシャル・アーツ・クラブではこの南側の海賊武術の研究を縦軸、仏教武術の伝播を横軸としてやってきたのですが、この南側を主体とした太平天国の乱の後、方角的な流れが変動します。

 ようやく南方からの反乱を鎮めたと思ったところに、疲弊した国体に東と北から戦乱が訪れます。

 海賊が南、仏教が西から訪れていたことを思うと真逆ですね。

 世界の中央であると自負する中華、四面楚歌の言葉の通りに包囲攻撃を浴びている時代です。

 この、東と北からの侵攻というのは日本が北に入植をしてきた、関東軍、満州傀儡政権の流れですね。

 これによって、一つにはいわゆる内家拳という物が興ってきて馬賊間を中心に普及して現在に至る隆盛を築いてゆくのですが、もう一つ大発展を遂げたのが八極拳です。

 

 

                                                                       つづく