さて、原始的な人間の生命をバーバリズムとして讃えてきたコナン・シリーズですが、では、彼らの時代の白人種が野蛮人だと見なしていた黒人種に関してはどのような視点を抱いていたのでしょうか。
コナンというのは、映画での印象が強いとシュワルツェネッガーの金髪、白色的なイメージがあるかもしれませんが、原作では黒髪で褐色の肌の野蛮人です。
大男ではあるのですが、ボディビルダーではありません。
出身は北方で、冒険心に駆られた彼は略奪を生業としてコザックから海賊までを生業に世界中を冒険します。
作中の時間軸に合わせてその年齢と活動地域が変化してゆくのですが、必然若年時から後年に向かうごとに舞台は南方にシフトしてゆきます。
コザク時代の北方より少し南東に向かった時代には、インドやチベットを思わせる土地でのお話があり、キタイという名で中華が現れたりします。
この辺りの物語は、バートン大佐が収集したアラビアン・ナイトを思わせる物でもあり、非常に興味深い。
19世紀末からここまでの流れでは東洋への脅威があった黄禍論の時代のためか、アジア人は魔法使いであり、叡智を秘めた侮りがたい人々として描かれています。
アジアの魔法使いは決して頭でっかちの文明人としては描かれておらず、中にはアトランティスから伝わっている秘儀によって手刀一発で人を殺める恐るべき拳法を使ったりします。
面白い。
この辺り、やはりヨガやカンフーの脅威が直撃した時代を感じさせます。
そして、これがさらに南下した所の異人種である黒人種となると、これがまた野蛮でありながら文明社会では失われた自然界の魔法と繋がった人々として描かれることがあります。
コナン自身は差別主義者ではなく、黒人種の仲間たちと仲良く海賊行為を働いたりするのですが(黒人種のオンナは好みではない、と控えめに語ってはいます)、南方探検ものやジャングル探検もののエピソードに出てくる怪異としての黒人となると、より古代から存在する物として描かれます。
中には、黒人種の奴隷たちが人食い人種だったという非常にアラビアンナイト的、かつ同時代的なエピソードもあります。
面白いのは、黒人種の魔法使いというのがなぜかは知りませんが人間を小さくしたりして人形にしてしまうというモチーフが散見されることです。
これは相対的に見て、白人種の文明と言う物が本来自然が持っている世界の大きさと較べて限定的で小さい物であるのではないかという疑いがあったためではないかと憶測されます。
さらにこの視点を推し進めて言うなら、コナンのシリーズでもっとも頻繁に出てくる敵としての怪異は竜などのような分かりやすいファンタジー生物ではなく、獣人です。
ゴリラのような外見で人的な知性のある類人猿や、古代から生き残る毛むくじゃらの二足歩行生物のような、いわゆる「ヒューマノイド」なのです。
これはおそらく、バリバリのファンタジーを想像した現代人からするとちょっと肩透かしのところかもしれません。
しかし、現実的な危機としてハワードが同じ時代の読者たちに訴えたのは、常にこのような自分たちとは違うある種の「人間」の脅威だったのです。
敵側の怪異としての古代の獣人間、それらに捕食されるひ弱な文明人、そして、生き残る野蛮人=非文明人という構図が繰り返し描かれ続けます。
作者のハワード自身は人種差別主義者であったようなのですが、同時に文明批判をしていた結果、このような軋轢に揉まれる立ち位置となったのではないでしょうか。
次回はハワードの盟友であった、ラブクラフトに関してお話したいと思います。
つづく