革命のエスクリマ 3・事後 | サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ

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気持ちよく生きるためのライフスタイルとしての南派拳法(カンフー)蔡李佛拳とエスクリマ(フィリピン武術)ラプンティ・アルニス・デ・アバニコを横浜、湘南、都内で練習しています。オンライン・レッスン一か月@10000で行っております。
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 1986年の革命時、私のマスタルたちは一体どうしていたのでしょうか。

 私より年上の彼らは、自分たちの住んでいる町で起きていることを理解していたはずです。

 その彼らが、百万人による革命が国を変える様を目の当たりにしていたことは間違いはありません。

 この革命の後、アキノ氏の妻であったコラソン・アキノ夫人が大統領となります。

 しかし、彼女はアキノ氏のような自覚的な政治家ではありません。

 その妻であり、貴族の令嬢です。

 それが貴族制を解体しようとしていたマルコス派を打破してしまったのです。

 当然旧来の制度は継続され、アメリカの干渉も続きます。

 革命のあった同じ年、日本サラリーマンが共産ゲリラに誘拐されると言う事件がありました。

 若王子さん事件です。

 これもよくテレビで目にしていたことを覚えています。

 貴族制、およびアメリカの支配が続いている以上、共産ゲリラは当然活動し続けます。

 とはいえ、このフィリピンにおける百万人の革命、エドサ革命は世界史において大きな影響を及ぼします。

 同86年、台湾で独裁が終了。

 87年、韓国民主化。

 88年、タイで軍事政権が撤退。

 ミャンマーでは民主化運動が始まります。

 89年、ルーマニアでもチャウシェスク政権を打破する革命が起きました。

 そして同じ年に、中国では天安門事件です。

 世界の各地で民主主義運動が高まったのです。

 結果、91年のソ連崩壊によって、冷戦が終わります。

 私がよく引き合いに出す、フランシス・フクヤマが言う「歴史の終わり」が訪れました。

 民主主義と共産主義による世界を決定づける闘争に答えが出されて、歴史は終わってあとはもう日常が続くという認識が世界に訪れました。

 この時代の映画や漫画には、この「終わらない日常」の懈怠が多々扱われています。

 しかし、いままさに歴史的危機にある私たちにとっては、それが間違った見識であったことは自明の理です。

 冷戦の終了では人類の恒久的な安寧は訪れませんでした。

 もちろん、フィリピンの人達にとってもです。

 共産ゲリラは相変わらず宣布して活動を続けていますし、つい近年ドゥテルテ大統領が追い出すまではアメリカのGHQは駐屯し続けてフィリピンを圧迫していました。

 内戦も闘争定期的に継続されています。

 そして、貴族たちによる領地性は革命から四半世紀経ったいまでも手つかずのままです。

 マルコス大統領の統治時代の20年を入れれば、もう50年も何も変わっていません。

 それはすなわち、中世からずっとということです。

 そのような中で、エスクリマは次第にナショナリズムの象徴となってゆきました。

 革命の刃としての民衆のよりどころとなって行ったのです。

 彼らが自分たちの祖として、スペイン剣術をもたらしたスペイン人を上げるのではなく、そのリーダーであったマゼランを打倒した酋長、ラプラプを持ち出すのは、この愛国心の表れだといいます。

 そりゃあそうですよね。

 自分たちの私有財産を守るために、小作人や農奴を訓練して命捨てて戦えって言われたからって、恩に着はしないでしょう。

 アルニスには「圧政をしく強者への抵抗の意思」が込められていると聴いたことがあります。

 仮にどれだけ弾圧されても、押し付けられた労働のために与えられたサトウキビを刈る山刀や最悪棒きれでも拾えば、それだけで戦える、革命の用意はできている、という姿勢が込められているのです。

 私のマスタルたちは、退役軍人であったり、旧米軍派ゲリラ部隊の指導者の末弟子であったりします。

 そこに込められた歴史的な意義は、やはり同じ時代に身内の流派の中で内輪もめをしていたばかりのバハドのエスクリマとはまったく違うと思われるのです。

 ですので私は、バハドのエスクリマにも現在行われているスポーツとしての競技エスクリマにも、ショー・スポーツである総合格闘技エスクリマにも興味は持てません。

 また、アメリカで捏造された自称フィリピン武術に関しては、大航海時代以来の搾取をまだ続けようと言うのかという気持ちさえあります。

 フィリピンとインドネシアを同一視したり、唐手の道具を持ち込んだりと、フィリピンへの敬意がかけらも感じられません。

 文字通りの帝国主義で貪り続けてきて、いまもなお文化帝国主義とはと大変に遺憾に思っています。

 そのような強者の傲慢への抵抗の姿勢こそが、ゲリラ戦のエスクリマの低調には流れていると感じ続けています。

 かつての支配国の一つである日本の人間であるからこそ、首を垂れて彼らの精神を大切にしたく思います。

 ゲリラ戦のエスクリマは、地味で武骨で、いかにも楽し気なバハドのエスクリマとは違います。

 また、練習環境も、現地の人達と同じです。

 傲慢な言い方なのですが、これまで自分が遭遇した、世界で一番不潔な場所や危険な場所は、この練習場所の周辺でした。

 観光地のセブに行って外国人生徒の受け入れに慣れた先生方からお客さん扱いされながらパッケージングされた練習ツアーを楽しむ、というのとは全く逆の状態ではないかと想像します。

 しかし、現実のフィリピンの人達が生で行っている血の通ったエスクリマとはどちらでしょうか。

 私が強く惹かれ、ここまで求めてきたのは、文化と歴史のエスクリマの方です。

 

 

                                                                    終わり。