古典の剣術エスクリマ、バハドのエスクリマについて書きましたが、バハドと言うのは元々ドセ・パレスという12の派の中での内輪もめから生まれた物です。
つまり、全体の中ではごく一部でしかない。
では、他の剣士のエスクリマはどうなったかというと、いまでも土着で行われているらしいのです。
これが家伝系であり、中には子孫から「いまどきこんなことやってらんねえよ」と言うことになってしまった派も多いそうです。
どうしても、途中でアップデートされていないと体系化がされないドメスティックな物になってしまって、一体何をやっているのかがよくわからない物もあると聞いたことがあります。
これは、フィリピンがバランガイ制という地方領主制で成り立っていた頃の名残で、貴族や名家の家の子息は家系の風習を継ぐということが遺っているからです。
ちなみに、ドゥテルテ大統領は現在の中央集権主義を辞めて、地方分権制に戻そうと言う政治方針で活動されているそうです。
フィリピンという国は島も違うし部族も違う、しかもそれぞれ言葉も違うという状態なので、外部からの統治がままならない。
だったら地元の名士に任せた方が上手く行くということもあるのかもしれません。
中世に戻るだけの気もしますが。
そのような、中世から続くような剣士の家のエスクリマの系譜として有名なのが、カリス・イラストリシモという流派なのです。
これを伝えたのはセブ島のイラストリシモ家の剣士、アントニオ・イラストリシモ先生でした。
ただこの人は、家伝のエスクリマを修行したのですが実際にはそこから発展した自分流の剣術で強くなった人で、これは他人に教える物ではないとずっと教えることを拒否していたそうです。
ただ、フィエスタの剣士として有名だったイラストリシモ先生はどこででも弟子入り希望者に追いかけられて、最後にはマニラの港湾労働者をしていた時にやむなく半ばこれを飲むことになってしまいました。
というのも、イラストリシモ先生は試合で相手を殺しては次の島に逃亡、その先でまた殺して逃亡ということを繰り返しているうちにマニラの雑踏に潜り込んだのですが、この時代にはすでにバハドでのエスクリマが普及していた時代だったため、港湾労働者の間にこれを覚えたいと言う人たちが多かったのだというのです。
セブでのバハドのせいで、フィリピンではエスクリマと言うのは不良の喧嘩の手段だという認識が広まり、貧しくギャング化した若者たちにとってはそれはステータス・シンボルのような意味合いを持ちました。
そして、運輸業界や港湾労働者というのは、洋の東西を問わずギャング組織の土台となる物です。
彼らは仲間のうちに高名なエスクリマドールが居れば見逃すことはなかったのでしょう。
断り続けていたイラストリシモ先生ですが、最後には生活の世話を見てくれていたトニー・ディエゴ先生に「教えはしないけどビデオに録るのはまぁよい」みたいな形でなし崩しに技術を見せてゆきます。
本人は若者たちが練習をしている傍に座っているだけで、気が向けばたまに一言二言アドバイスをくれるというような感じだったと聞きます。
ですので、カリス・イラストリシモと呼ばれる流派は実際にはトニー・ディエゴ先生が創始したものだと本人は言っているそうです。
この流派は、私も以前にこのページで写真を挙げたマニラの公園の芝生で練習をしており、すべての生徒はトニー・ディエゴ先生が教えているそうです。
そして、その中でインストラクターとして認めた人間は三人しかいないというのに、世界中にカリス・イラストリシモのインストラクターを自称する人が居て、YOUTUBEで動画を配信しています。
ディエゴ先生曰く「クレイジーだ」だそうです。
そして、そのようなクレイジーの中の一人が、アメリカでこのスタイルを「これはカモット・リホック、略してカリと言う物だ」として普及させました。
現在カリと呼ばれている物の素性はこのような物です。
ちなみに私も「カリス・イラストリシモを教えてやろう」という話を持ち掛けられたことがあります。
つづく