世界が現在の状況になり、経済活動を再開させるための空虚なパフォーマンスとして東京アラートという物が用いられ、なし崩し的に世の中は経済中心に戻って行きつつありますが、うちでは相変わらず通常レッスンは行っていません。
もうしばらく、ニュー・ノーマル化の中での感染者数の増減を観ながら、個人レッスンに限って再開をしてゆくかもしれないという風に見ています。
それまではオンライン・レッスンなのですが、レッスン・フィーは10000@ひと月で、そちらの生徒さんは個人レッスンが通常9000@のところ、5000に割引と言うことになっていますのでお得ですよ、皆さん。
えー、まぁ、そういうことでですね、オンライン・レッスンの生徒さんなんですが、おかげさまでヨーロッパから市内に至るまでいらっしゃって下さいます。
もうね、オンラインだから空間や時間的制限は関係ないというのが良いところとなっておりますので、それぞれのペースでやっていただいているのですが、その中でやはり、色々質問が出てきています。
その中で、ちょっと面白いと思ったエスクリマの歴史といまについて書きたいと思います。
エスクリマ、あるいは現地ではアルニスとも呼ばれるこのマーシャル・アーツは、もともと統治時代にスペイン人が現地人を調練した時の武術、エスグリマに由来するというのが定説です。
このエスグリマ、要はスペインのフェンシングなんですけれども、現在ではほとんど行われていないと言います。
代わりに、その子孫であるエスクリマが発展したのですけれども、ではなぜ彼らが現地人を調練したのかというと、当時彼らがフィリピンと名付けたスペイン領のその諸島は、近隣にインドネシアのイスラム勢力や傭兵海賊民族であるブギス人、また倭寇などの武闘派集団がゴロゴロしており、商用船や沿岸の町などを狙っていたのですね。
ですので、領地を護ったり本国からこの海域を抜けて南米に向かう自国の船を護るためには、現地人勢力を育成しないといけない。
それで訓練されたフィリピン人たちが増えてゆくのですが、これらのヒトたちからやはり巧手というのが生まれてきて、それが剣士という人たちになったわけでしょう。
それらの人たちが自分流の剣術を編み出して子供たちに伝えていったところから家伝の剣術というのが継承されて行ったのが第一世代のエスクリマドール(アルニスダー)たちであろうということです。
そこから剣士たち同士の交流が始まっていくのですが、それの重要なポイントがフィエスタ、つまりお祭りです。
日本でもお祭りにプロレスが来たり、古くは奉納相撲というのがありましたね。メキシコでもプロレスが行われると聞きます。
そのような感じなのかお祭りで剣士たち同士の試合というのがあるというのですけれども、これが真剣で切りあうと言う物で、死人が出てたって言うお話です。
そりゃ死にますよね。
でも、これね、中世くらいまではそのくらいのことは当たり前にあったのかもしれない。
また、いまのボクシングや総合格闘技、エクストリーム・スポーツだってちょっとした当たり所の事故で死にかねないのですから、そもそも人類において祭というのはそういう物なのかもしれません。
まぁ、中世くらいまでと書きましたが、フィリピンはこれ、20世紀半ばまでやってたのですけども。
というか、いまでもキリスト教のお祭りで、むち打ち教徒みたいな人たちが血しぶきを吹き出しまわすみたいなお祭りが現地にはありますので、フィリピンと言うのはもうずっとそういう気風の国だと解釈するべきなのかもしれません。
だんじりだなんだだって、そーとーあぶなっかしいことしてますでしょう。
各国そういう土俗が祭には出るのかもしれません。
そのような剣士たちの時代も、20世紀になると斜陽になってきたのでセブ島で保存運動が起きます。
様々な派の剣士たちが集まってエスクリマを残そうとして技術の普及活動に出たこの団体は、のちにドセ・パレスと呼ばれるようになります。
私が学んだラプンティ・アルニスもこのドセ・パレス派の一派です。
つづく