海賊武術の一つの証言 | サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ

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気持ちよく生きるためのライフスタイルとしての南派拳法(カンフー)蔡李佛拳とエスクリマ(フィリピン武術)ラプンティ・アルニス・デ・アバニコを横浜、湘南、都内で練習しています。オンライン・レッスン一か月@10000で行っております。
連絡southmartial@yahoo.co.jp

 海賊武術、というほとんど日本では浸透していない視点から武術を掘り下げることになったきっかけは、たまたま自分が学んでいた蔡李佛拳とエスクリマがともにそうであったからでした。

 それを助長するきっかけとなったのは、エスクリマの技術が明らかにカンフー由来の物とみられるのでそこを追求すべく向かった最初のフィリピン修行でした。

 そこで、偶然ドンピシャに蔡李佛拳から成立したエスクリマ、ラプンティ・アルニスと出くわすことが出来たのですが、これは逆を返せば一つの極端な例を捕まえただけで、実は本質的な答えとはまた違います。

 とはいえ、その辺りのことは広範囲的に現地で長く研究をされていらっしゃる専門家の方にお任せして、私はもう一つの切り口、仏教の身体文化というラインからも武術の流れをたどっていたのですが、その結果として至ったのがタイです。

 仏教と言えばインドという発想が出るのは当然なのですが、すでに玄奘三蔵法師が旅した唐の時代からインドでは仏教が下火になっていました。

 その後も列強の侵略時代に至って、インド初めアジア諸国での仏教の資料は失われて行きました。

 しかし、その中で唯一古典を保持しているのがタイです。

 タイで武術と言えばムエタイ、そしてムエタイと言うのはカビー・カボーンという総合武術の中の徒手の部であったということまでは書いてきました。

 このカビー・カボーン、ルーツを辿ると日本の海賊剣術や中国武術からの輸入、およびインドからのカラリパヤットの血を引くという物なのですが、その経緯の中にどうもシュリーヴィジャヤ王国の影が見え隠れしています。

 これはまさに中国で言えば唐の時代に発展した仏教の国で、タイからスマトラに至るまでの国土を持ち、インドや中国と交易をおこなっていた海洋王国です。

 以前に書いた、玄奘三蔵の後にインドに仏典を求めて旅をした義浄法師が海側のルートで移動をした折に滞在したことでも知られています。

 それを書いたときに私は、シュリーヴィジャヤ武術が中国武術とインド武術の中間的存在であり、のちのフィリピン武術、マレー武術、タイ武術のルーツなのではないかと憶測したのですが、どうやらそのうちの一つと同調する説に出くわしました。

 こちらとなります。

 

https://www.youtube.com/watch?v=ijV3xJOKPeM

 

 フィリピン武術について語る動画なのですが、この中で一人の男性が、フィリピン武術はシュリーヴィジャヤ・ファイトにルーツがあるのではないかと言っています(たぶん)。

 もしこの説が裏付けられると、フィリピン武術の中の中国武術要素は、発生の段階からすでに含まれていたと言う可能性が高まってきます。

 そして、それはタイ武術にもつながる物であり、仏教武術と海賊武術という私の研究対象の同一性を示すものにもなるという次第です。