いまの日本のフィリピン武術界にはうさんくさい人間が多すぎる、と言うことを前にも書きましたが、どうもこれは日本だけに限らない問題であるようです。
フィリピンでのマスターの中にも、すでに国内のその世界が腐りきっているおっしゃる先生もいるそうです。
曰く、金で資格を売っているようなところは腐りきっている、ということだそうです。
以前に私も批判した、有名な外国人マスターが、実は自称している流派のマスターではまったくないということを知りました。
その流派の直の先生が「俺が知らない間に勝手にうちの先生になってる人がいる。クレージーだ」と言っていたことがあったのですが、そのクレージーがこの有名外国人先生のことだと分かりました。
その流派は、直の先生含めて歴史上三人しかマスターは居らず、そこには外国人先生は含まれていないということが明言されていました。
にも関わらず、その外国人先生は相変わらず巡業をして、日本でもそのやっていない流派を教えて出稼ぎをしています。
上に書いた先生がおっしゃるように、指導資格を得るのに金銭の授受が伴うことが腐りきっているのだとしたら、私も間違いなく腐りきっている世界の一人でしょう。
言い訳をするつもりはありませんが、私は自分からマスターにしてくれともグランド・マスターになりたいとも言いだしてはいません。
しかし「お前は出来るからプロモートする」と言われた時には対価を払って教わりました。
なので、これが腐っているなら私も間違いなく腐った一人です。
なにせ、昔の先生の中には個人的な信頼関係で弟子はとっても金銭の謝礼は受け取らないという方がおられたそうなので、そういう物が伝統的な正しい師弟の在り方だとするなら私は間違いなく腐っています。
しかし、そのように曲がりなりにもきちんと束脩をもって技術を学んだ事例と、そもが全く習っても与えられてもおらず、名前を出された流儀の先生から「そんな事実はない。クレージーだ」と言われているような有様とでは、だいぶんお話が違うようにも感じます。
とはいえ、自分が敬愛する世界の腐敗に自分が関わっているのだとしたらそれはとても居心地が悪く、胸の痛むところです。
ただ、初めから私の先生は「お前がマスターになれ。俺の技術を広めるんだ」と自分の延長としての役割を私に与えて、そのために取り立てたのだと思うと、少なくとも師への不孝にはなっていないことかと思われます。
私は本物に価値を見出していて、自分も本物になりたいと思ってここまでやってきました。
どこまでやれば本物だと言えるのか、それは難しいことなのかもしれません。
とくに、偽物だらけの世界では。
慢心せず、道を踏み外さず、誠実に歩んでゆきたい次第です。