西洋文化圏にまで達したムスリムは、次々と聖戦の手を広げてゆき、エジプトにまで教区を広げました。
そうして取られた領土を奪還しようとして起こったのが、スペイン語でレコンキスタと呼ばれる運動です。
これをする人をレコンキスタドールと呼びますが、彼らが用いた剣術がエスクリマの西洋側のルーツとなっています。
この、西洋圏とイスラムの対立はその後も延々と続きます。
エジプトから始まった北アフリカのイスラム勢力はその後も強さをましてゆき、ヨーロッパ勢はその海域を通行するのが難しくなってゆきます。
そこで別ルートからユーラシア大陸をなぞろうとした結果が、大航海時代の始まりとなるのだそうです。
こうして東側に今度は侵略を行い、領土を広げようとした人たちのことを、コンキスタドールと言います。
彼らは奪還を旨としたレコンギスタドールと較べて、圧倒的に海賊でした。
ゆく先々の異国を率先して侵略して奪うことを旨としていましたので。
その流れの中で、フィリピンもまた彼等の領土となりました。
レコンキスタ、コンキスタの背景には常にイスラムの存在があった訳ですが、フィリピンでもそれは例外ではありませんでした。
フィリピンの南部、およびすぐ隣のマレー地域にはムスリムの王国であるミンダナオ=スールーという国があり、ここでも領地と財物の奪い合いが展開されるのです。
そこでコンキスタドールたちは地元のフィリピン人たちに自分たちの武術を与えて即席の兵士としました。
その剣術をエスグリマと言ったそうなのですが、これがフィリピン化したときにエスクリマと呼ばれるようになったというのがフィリピン武術発祥の由来だと言われています。
これが後に、アメリカ占領期を迎えて米軍軍隊武術と融合されたり、北部で勢力を持っていた中国武術と融合されたりしていまに至っております。