ゴールデン・ウィーク、終わってしまえばあっという間だったような。
まぁ、私、9時には寝ちゃうから他の人より一日が終わるの早いから毎日が早く感じるのかなあ。
私は9日間だったのですが、初日の日曜日は例のシュハスコの会でした。
海で一日楽しく過ごしたなあ。
トークセンの練習いっぱいさせてもらって疲れたなあ。
そんな日でしたが、海を見て立っていると、傍にいた同じグループのご婦人からワインを勧められました。
私はアルコールを飲まないので、その旨を伝えさせていただきました。
するとその女性は「それは、身体を悪くしたの? それとも、その方がいいと思ったから?」と訊いてこられました。
その言葉の選び方から、彼女が物を理解して考えてらっしゃる女性だなと感じました。
彼女は手元のコップとタバコを見て、少し恥ずかしそうにしながら「私は、両方やるんだけど」と続けました。
そこで「はい。元々は飲みすぎてしまっていたんで、ない方が自分が幸せでいられると思ってお酒もたばこもやめたんです。ついでに言うとギャンブルもしないんです」と伝えました。
すると彼女は「それって最高じゃん!」と嬉しそうに言われました。
こういう人は素敵ですね。
ちゃんとわかって嗜んでられるのでしょう。
囚われるのではなく、自分で考えて選択するということが自由だということだと思います。
私はたまたま、その自由な選択の結果が早寝早起き、ノンアルコール、ノースモーク、ノーギャンブル(ついでに言うとノーガールズだと指摘されました笑)でした。
飲むと飲まない、吸うと吸わないの選択の比率は、もしかしたら59対41とかの誤差くらいの物だったかもしれません。
でも、私はそちらを選んだのです。
たまたまほんのちょっとでも自分が良いなと思っただけのことです。
そのちょっとの差の分、自分が自由になれて好きなことが出来る。その積み重ねが自由な人生そのものだと感じているからです。
このような生き方のことを、ストレート・エッジと言うのだそうです。
アメリカの刑務所内のスラングだそうです。
囚われてただ時間を待つしかない環境の中で、アルコールやドラッグ、タバコで時間を費やすか、自分の生き方を見つけてそれらを避けて生きるか。その選択は、常に自分の手元に残されているように思います。
人間は、自分と言う監獄に囚われた囚人だという考え方があります。
その監獄を居心地のよい物にすると言う選択は、私は可能だと思って暮らしています。