動物の筋膜 | サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ

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 伝統的な古いことばかりやっている私ですが、最近は医学博士の書いた読みやすい本などにも目を通しております。

 筋膜に関する本なのです。

 我々少林拳で言う膜というのが筋膜とはまるまる同じではないということは理解しているつもりなのですが、どこが実際に違うのかを知りたかったのです。

 読んでいるうちに、たまたま目に入ってきたことに驚きました。

 それこそが、私が以前から関心を持っていたことです。

 筋膜というのは全身を覆っているのですが、その膜はミルフィーユ状に幾層にも重なっていて、それぞれの繋がりが一定では無いようで、その中で、身体をクロスして通っているラインがあるのが人間の特徴だと書いてありました。

 クロスとは、右手と左脚、左手と右脚ということです。

 これは、人間が二足歩行になって進化したことの結果だそうで、身体を捻じりながら歩くのが普通であることで発展した構造であるようなのです。

 同じ直立をする動物を思い浮かべても、確かにクマや猿は身体を捻じって歩く印象がありません。

 全身が斜めって、真横方向によたり歩くような印象があります。

 そのような動物は、体内で斜めに筋膜が繋がっていないそうなのです。

 人間だけが、右脚と左手、左脚と右手を同時に出して歩行する。

 なので、人間が行う格闘技はこの仕組みが基本となっています。

 前に出している足に対してクロスする方の手を使うと、斜めに走っている筋膜を使って身体を捻じる力で打つことが出来ます。

 鋭器を用いるときは、刃物の切れ味が威力になるのでそのようなことは必要ないのですが、鈍器だとやはりこの斜め筋膜を活用することになると思います。

 動物ではこのような構造で歩くことを斜対歩というそうです。

 四本の足が地面に突いた状態で、右前足と左後ろ足、左前脚と右後ろ足を同時に出して歩くことです。

 犬、猫、チーター、馬、牛などは、個体によって差はある物の一般的に斜対歩が多いとされているようです。

 反対に、左側、右側、と左右の足を同時に出していくのが側体歩で、これはキリンやゾウ、ラクダなどがそうであると言います。

 これを知って思い出したのが、中国の西側のシルクロードだったか、中央アジアだったかでの言い伝えです。

 そこでは、馬に蹴られても助かるけど、ラクダに蹴られると治らないから気を付けろ、というのだそうです。

 なぜラクダはダメかというと、ラクダには勁があるから浸透してしまうのだ、と。

 現代格闘技は斜対歩だと書きましたが、中国武術は側対歩なのです。

 単重で片方の軸だけを使い、基本としては身体を捻じらない。

 だからこそ、槍や剣と同じ身体の遣い方で拳法を行って強い威力が出る。

 そしてこれは、本来人間の中に通っている強いクロスの筋膜の構造と異なるということになります。

 はい。

 ここで中国武術の、元神、すなわち動物的な本能の回復を重視する思想と、易筋、つまり筋を作り替えるという気功の重要性に集約される訳です。

 それらの伝統的訓練の結果、身体を縦に走る二軸の筋膜が作られる。

 これが勁であり、線です。

 ちなみにもともとの東洋伝統医学でも、人間の身体の筋肉の働きをつかさどるラインは、セン・カラタリーと言って身体を斜めにクロスして通っているとしています。

 だからこそ、この縦の二本の線を開通して易筋することが術とされているのです。

 そのような膜が開通して使えるようになったことがすなわち、少林でいう膜騰起ということでしょう。

 ちなみに、伝統的トレーニング、キャリステニクスの指導者ポール・ウェイドも、キャリステニクスにとって最も重要なのは脊椎起立筋群だ、と言っています。

 現代体育とは違う、伝統的な秘伝の構造が、ここに明確に存在しています。

 だからこそ常々言っているように、現代式のトレーニングと現代人の身体の遣い方で伝統武術を解釈しても足りないと言うことなのです。

 伝統的な中国武術の開始時にある考え方「立てることも出来るようになっていないのに武術など出来る訳がない」というのはこういうことです。

 だからまず、立てる身体を作ってからでないと始まらない。

 伝統的な練功法の理解と実践があって、その要求を満たした肉体への作り替えがあった上で、初めて伝統武術が使えるようになる。

 すべてがパッケージされて備わっていないと、まともに立つことさえ出来はしない。

 立つことが出来なければ、歩くことも出来ない。

 歩くことが出来なければ、どこにも行けない。