タオとアーニスとお醤油職人 | サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ

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気持ちよく生きるためのライフスタイルとしての南派拳法(カンフー)蔡李佛拳とエスクリマ(フィリピン武術)ラプンティ・アルニス・デ・アバニコを横浜、湘南、都内で練習しています。オンライン・レッスン一か月@10000で行っております。
連絡southmartial@yahoo.co.jp

 このところ、東南アジアにおける武術の伝播と混交の歴史を書いてきて、それからここ数回はフィリピン武術のタピタピについて書いています。

 フィリピンはハロハロ文化といって混交の文化の国です。

 なにせインドネシアが紀元前にインドに侵略されて服を着ることを覚えたのに対して、フィリピンはスペインが世界一周をしてやってきた大航海時代まで裸族だったくらいのものです。

 さらに東南にあるパプアニューギニアのアボリジニの人々を見るに、あのあたりの地域はそういった土壌なのかもしれません。

 そういった人たちのところに、中国、スペイン、短期間イギリス、アメリカ、日本と言った国が次々に訪れてゆき、それぞれの文化が遺されてはミックスされていまのフィリピンの文化を作りました。

 その中で、インドの兵器も日本の兵器もたくさん入ってきましたが、彼らはその使い方に関しては直系の継承をするということをしませんでした。

 なので、フィリピン新陰流というような物が生まれたという話はあまり聞きません。

 ハロハロして使ってゆく国風の中で、どんなものも大要をばっくりと掴まれてそれなりに使われてゆきます。

 その時その場であるもので生きるのがフィリピン人気質だと言います。

 スペインの剣術が土着化してエスクリマとなったのも、そのような環境の中でだと思えば納得がいく部分が沢山あります。とくに時代ごとに技をどんどん捨てて行って変化してゆく姿勢は現在進行形のフィリピン気質を感じます。

 そのような中で生まれたアーニスの技術も、ばっくりとしたもので、攻撃は右からか左から。真上と真下はどっちかに少し傾いてるからこれも右か左に分けられる。あとは突きで合わせて三種類! というXと・の二種類の軌道に大別されました。

 このXと・の対処さえできればいいのです。これがリニアルという直線的な動作への対処です。

 長い歴史の中でいろいろな技が生まれたりよそから取り入れられたりして複雑な物が増えましたが、そういう物を断片的に形で沢山覚えてもこれは実は本質とは離れたところにあります。

 そういう物ばかり覚えて使い方が分からないという方は日本人には多いのではないでしょうか。

 それよりも、Xと・に分類し動線の中で自由自在に動けるようになることこそがフィリピン武術の本質であると思います。

 このような物をフリー・フロウ、やセンス、クエンターダなどと言ったりします。

 モモイ・カニェーテ先生でしたか、確か晩年目を悪くされて手を引かれて歩いていたというのですが、この感覚は失われなかったと言います。

 実際、目が見えなくてもサッカーをする人たちなどもおられます。エスクリマとはそのような、外界のアウトラインを把握して反応する武術だと言えるのではないでしょうか。

 フェイントや威嚇に惑わされるどころか気づくことさえなくただ淡々とやるべきことをやって打ち返してゆけるようになるのが良いフィリピン剣士の在り方のように思います。

 この、無意識のまま動けるようになるためのエクササイズが、我々ドセ・パレス派閥ではタピタピ、バリンタワック派閥ではパラカウと言われる練習法で、これを理解できずに複雑な技の反復ばかりしているときっと本質を見失うことになるのだと思います。

 私もマニラで稽古中にそのような取り組み方をしてしまうと「違う! そういのは現代式なんだ!」とグランド・マスタルによく言われました。とっさに出るものこそが大切なのだということでしょう。

 複雑に見える動作は複雑さを求めて複雑になっているのではなく、ただその時一番いい動作を無意識にしたら結果他人からは複雑に見える様な予想外の動作になっているだけなのではないかと思います。決して初めから狙ってそうしてやろうと待ち構えてしたものではない。

 手持ちの技に囚われるのではなく、自由を獲得することが大切なのだと思って我々は取り組んでいます。

 最近、お醤油の蔵元の職人さんの面白いお話を聞きました。

 曰く、醤油というのは樽や藏が勝手に作るもので、自分はその世話をして後は出来た物を混ぜるだけだと言うのです。

 長い歴史の中で育ってきた酵母や麹などの微生物が樽や蔵には生きているので、発酵や醸造はそれらの菌が自然に行うのだとのお話です。

 これは非常にタオに通じる物です。

 自然の流れを勝手に複雑にねじくっていじろうとするのではなく、ただ物が出来るのを待って、出来た物を組み合わせる。

 私には、大変に自分が学んでいる武術的な話だと思いました。

 私の武術ということは、タオであり、禅です。

 自然と共に生きて、自分も自然の一部としてあ在る。

 天人合一、無為自然のライフスタイルです。

 アルニスも難しいことをしようと考えるときっとうまくいきません。ただ在ることを在るがままにしていれば、自然にアルニスの動きになるのではないかと思います。