掌と南の拳術 | サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ

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気持ちよく生きるためのライフスタイルとしての南派拳法(カンフー)蔡李佛拳とエスクリマ(フィリピン武術)ラプンティ・アルニス・デ・アバニコを横浜、湘南、都内で練習しています。オンライン・レッスン一か月@10000で行っております。
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 先日の東京練習会で掌による発勁を練習していた時に、上手く行くと撃たれた時に掌の痛みを感じないと言う感想が出ました。

 自分で自分を打つことは出来ないので分からないのですが、同じことを何度か言われたことがあります。

 昔ついていた先生からは、皮膚の痛みはなくて直接私の腕が身体の中に入ってきた、と言われたこともあり、またある生徒さんは体内に鉄の棒が入ってきたみたいだと表現しました。

 それらは私も撃たれて覚えたことのある感触です。

 掌で撃たれても拳で撃たれてもその他で撃たれても、決してぶつかったところの肉が痛いということではありません。

 もちろんたまたまそのようになることあありますが、それは本質的なダメージとは関係ない。

 このような打ち方により、すたすたと歩いてトンと触るだけで相手を倒すスタイルになってゆくのが我々の武術なのですが、そのためには腕の力を入れない練習をする必要があります。

 大抵、やろうとして腕に力が入って掌底打ちのようにひっぱたいてしまうと、表面が痛いだけの打撲技になります。

 このあたりにまつわるエピソードとして、腕無し名人と言われた中国武術家のお話をしたのですが(うろ覚えでしたが)、実はその名人について調べなおした結果、実はブルース・リーがかつてその人に教えを乞うていたという話が分かりました。

 もしブルースが生きていたら、いまは還暦すぎの(やや)老人です。

 そのブルースが若いころの老人と言えば、実は清朝末から現代にかけての中国武術のアツアツの時代の人です。

 太極拳や我々の蔡李佛拳が成立したのがおよそ200年前。

 義和団事件が1900年。

 抗日戦のゲリラ闘争で多くの中国武術家が活躍したのが1940年代。

 こうしてみると結構最近のお話です。

 そんな戦国時代において、腕無し名人と言われた人がどのような功があったことでしょう。

 果たして本当に、今日見るような競技格闘技と同列に測りうるようなものだったでしょうか?

 そういう意味で、現代格技の手段で伝統武術を見直したブルースの存在は時代のアイコンというにふさわしいと言えるでしょう。

 ブルースは、腕無し名人から陰陽の調和が崩れていることを指摘され、教授を断られました。

 そしてその少し後に変死しています。

 彼は葉問師からも伝授を拒絶されています。

 性格や行状のためだという話も聞きますが、その死が意味しているように、やはり偏差がひどかったというのがあるのではないでしょうか。

 一人の人間としては偉大かもしれませんが、中国武術としては私がまったく彼を認められないのはそこが大きく原因します。

 やればやるだけ不健康になって死に至るメソッドなど、私はまったく認めない。

 ただ、スポーツという物はそういった一面があるのは現実なので、そのような生き方そのものは一つの実存として大いに敬意を払います。

 しかし今回取り上げたいのは個人の生き方ではなくて歴史と伝統のお話なので、その辺りを次回に続けたいと思います。

 

                                 つづく