大倭寇後の武術史私論 7・マニの神話と十大形 | サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ

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気持ちよく生きるためのライフスタイルとしての南派拳法(カンフー)蔡李佛拳とエスクリマ(フィリピン武術)ラプンティ・アルニス・デ・アバニコを横浜、湘南、都内で練習しています。オンライン・レッスン一か月@10000で行っております。
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 さて、大倭寇後の時代の広東、福建での南派拳法の伝播と、東南アジアへの普及を書いてきました。

 ここで別の角度にある物に注目しなおしてみたいと思います。

 それは、マニ教です。

 ちょっと長くなるので要約するのが大変そうですから、ウィキペディアからマニ教の神話を引用してしまいましょう。

 

マニ教の神話では、

  1. 原初の世界では、「光明の父」もしくは「偉大なる父(ズルワーン)」と呼ばれる存在が「光の王国」に所在し、「闇の王子(アフリマン)」と称される存在が「闇の王国」に所在し、共存していた。「光の王国」はエーテルをその実体とし、また、「光明の父」は理性知識思考理解とでも翻訳される5つの精神作用を持っており、それを手足とし、また住まいとしていた。しかし、「闇の王子」はそれを手に入れたいと考え、闇が光を侵したため、闇に囚われた光を回復する戦いが開始された[5]。「光明の父」は「光明の母」を呼び出した[5]
  2. 「光明の母」によって最初の人「原人オフルミズド」が生み出された。原人は、光の5つの元素を武器として「闇の王国」へと向かい闇の勢力と戦うが、これに敗北して闇によって吸収されてしまう(「第一の創造」)。オフルミズドは闇の底より助けを求めた[5]
  3. 「光明の父」は「光の友」ついで「偉大な建設者(バームヤズド)」「生ける霊(ミスラ、ミフルヤズド)」を呼び出す。偉大な建設者は「新しい天国」を作り、「生ける霊」は闇に囚われていた横たわるオフルミズドを引き上げて「新しい天国」へ連れて行ったく(「第二の創造」)[5][注釈 3]
  4. オフルミズドとともに闇に囚われた光の元素は闇に飲み込まれたままであったが、これは闇の勢力にとっては毒となるものであった。一方「生ける霊」とその5人の息子たちは、闇に囚われた光の元素を救い出すため、闇の勢力との間に大きな戦争を繰り広げた。そして、このとき倒された闇の悪魔たちの死体から現実の世界が作られた[5]。悪魔から剝ぎ取られたによって十天が作られ、となり、排泄物身体大地となった[5]
  5. 「光明の父」は「第三の使者」を呼び出し、さらに「光の乙女」「輝くイエス」「偉大な心」「公正な正義」を呼び出す[8]。闇の執政官アルコーンには男女の別があるが、男のアルコーンに対しては「光の乙女」、女のアルコーンに対しては肢体輝く美しい青年の姿で顕現し、彼らが呑みこんだ光の元素を放出させようとする。男のアルコーンは情欲を催して射精し、精液の一部は海洋に落ちて巨大な海の怪獣となったが、海獣は光の戦士によって倒され、残りは大地に落ちて植物となった[5][8]。女のアルコーンは地獄で流産し、大地に二本足のもの、四本足のもの、飛ぶもの、泳ぐもの、這うものという5種の動物を産み出した[8]
  6. 闇の側では、虜にした光の元素を取り戻されないよう、手元に残された光を閉じ込めるため「物質」が「肉体」の形をとって、全ての男の悪魔を呑み込んで一つの大悪魔を作り、女も同様に大女魔を作った。大悪魔と大女魔は憧憬の対象である「第三の使者」を模して人祖アダムとエバ(イヴ)を創造した[8]

  相変わらずのすごい幻魔大戦ストーリーに圧倒されてクラクラしてしまいますが、思い出してください、これが反清複明の明ということですからね。

 これが彼らの闘争の思想的土台ですよ。立ち直ってください。私もがんばります。

 この神話の中に、気になる部分があるのです。

 それは、数字で言うと5の部分の最後にある、日本神話の蛭子に相当する部分です。

 ここで描かれているものとそっくりな物を武術の技術で聞いたことがあるのです。

 それは、私がかつて学んでいた回族拳法です。

 海賊じゃないです、今回は回族です。

 その拳法を、心意六合拳と言います。

 文革のころまでは十大形と呼ばれるのが一般的だったと言います。

 これは十種類の動物にカテゴライズされた技法からきているのですが、その十種類の動物というのは、鷹、燕、ハイタカ、鶏、サル、熊、トラ、馬、蛇、龍です。

 この十種類を一生懸命覚えないといけないのですが、ある拳師がこの十大形のことを「二本足の物二種(鶏とサル)、四本足の物三種(熊、トラ、馬)、飛ぶもの三種(鷹、燕、ハイタカ)、這う物二種(蛇と龍)と言っていたのです。

 このような言い回しは、あるいはイスラム教などの砂漠宗教では一般的な物なのかもしれません。

 これだけならあまり拳法や革命(拳匪)とはあまり関係ないようなのですが、明思想が革命結社に共通しており、それらが体制という巨大な敵との対決を大目的として一つになっているので、実際に回族拳法はこの後の拳法家革命で大活躍をするのです。

 もちろん十大形もその一つです。

 そしておそらくはこれらは、革命拳法の成立に大きくかかわっているのです。

 先に書いた五祖拳もまた、二本足の物(猴拳)、飛ぶもの(鶴拳)が含まれています。

 四本足の物と言うと、洪拳はトラをシンボルとしています。

 這う物はと言えば、龍形拳です。