帯広柏葉高校空手部交流試合の話 | 南風のブログ

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脳梗塞患者で闘病生活中です。
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沖縄空手道無想会世話人に復帰しました。
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南風は、北海道帯広柏葉高等学校出身です。

50年近く前、正確に言うと45~7年前の、

まだバンカラだった頃の、

帯広柏葉高校の思い出を幾つか披露しています。

 

「空手の歴史」のところでも披露しましたが、

帯広柏葉高等学校空手部は、

全日本少林寺流空手道錬心舘に所属しており、

公式試合は防具付き組手をしていました。

帯広柏葉高校(旧帯広中学)は帯広三条高校(旧帯広女学校)と姉妹校であり、

隣同士でもあって交流戦も行われていました。

三条高校は、和道流だったと記憶しています。

寸止めの試合と防具付きの試合を両方行って、

三柏戦の勝敗に関与するなんて、のんびりした時代でした。

その後、帯広三条高校は移転してしまい、

その後、三柏戦はどうなったのだろう?

我々は、移転直後で中止になった記憶しかありませんが、

現在は、再開しているかもしれませんね。

ネットで検索したら、2018(平成30)年、第60回目の三柏戦は三条高校が勝ったらしい。

なるほど、市内の体育館でやってるんですね。

 

近所には、(私立)帯広北高校があり、こちらの流派は「極真会館」でした。

分裂前の「極真会館」で兎に角、フィジカルが強い。

よく他流試合をやりましたよ。

当然、ルールは極真ルール「フルコン」です。

 

で今回のメインは、他流試合の話ではなくて、

同門対決の話です。

 

帯広市の高校も、まだまだバンカラで、

東大紛争の煽りで制服自由化になった旧制中学の一角である、

帯広柏葉高校を除いて、一部の真面目高校生を除いて、

全員が、「ビーバップハイスクール」状態だった時代です。

 

 

現在で言えば、「クローズ」と言えば解りやすいですかね?

不良高校生たちが沢山でてくるヤツ。

 

 

さてさて、

帯広柏葉高等学校空手部は、

全日本少林寺流空手道錬心舘に所属しており、

帯広白樺高等学校空手部も同門でした。

現在では、スピードスケートの清水宏保選手や大菅小百合などを輩出し、

甲子園にも複数回出場している、

有名な高校になっていますが、

当時は、偏差値もあまり高くない、

全員が突っ張り不良高校生で、全員が変形学生服を着ており、

髪の毛は、リーゼントってヤツでした。

 

さて、三年の強い先輩に連れられて、

それほどでもない二年の我々は、帯広白樺高等学校の門をくぐりました。

 

我々は5~6名です。

帯広白樺高等学校の高校生は、全員です。

500人から700人ぐらいの見学者。

 

さて、同門対決開始。

負けたら、強い先輩にやられるし、勝ったら周りは白樺高生です。

自分より強い仲間は、それほどでもない相手に当たって勝利。

なんか、偶然ですが、一番強い相手に当たることになった南風。

どうにか引き分けになりました。(ホッ!)

 

ところが、同門の空手部員は、それで納得してくれましたが、

納得しないのは、500人から700人ぐらいの白樺高生の見学者。

「ちょっと待てヤ!コラ!」

バババと周りを取り囲まれた南風です。ヤバッ!

「マア、マア、マア、マア!」

「マア、マア、マア、マア!」と鬼強よの引率三年生が、

取りなしてくれている隙に、ソクサソクサと着替えて帰り支度。

さっさと、帯広白樺高等学校の門を出た二年生選手団なのでした。

 

46年前の、普通の高校が「ビーバップハイスクール」や「クローズ」

だった時代の、帯広柏葉高校空手部の交流試合の思い出でした。

 

お読みいただき、どうも有難うございました。