母が認知症になりました。
一人暮らしの時は大丈夫だったのに。
姉が癌の終末期で実家に帰ってきました。
9月に余命半年を宣告され、11月に実家に戻り、3月を超えて、6月いっぱいまで生きました。
余命半年と言われ10ヵ月生きて逝きました。
自由に生きてきた姉との同居は、母にとってストレスでした。
姉の逝去後、回復するかと思われた認知症ですが、
その後も、どんどん進行しました。
姉の残した家具を、ノコギリで切り始めました。
家具に付いている電気コードを、ハサミでちょん切りました。
休みをとって、要介護申請をしました。
主治医を決めて、認定調査等をクリア。
要介護2がつきました。
しかし残念ながら、グループホームもデイサービスもホームヘルプサービスも拒否して、
介護保険サービスの利用には、つなげられませんでした。
母は、生活が成り立っていうちは、なるべく自宅でと望みましたが、
秋が過ぎ、冬が来て、身体的にも衰えて、出来ていたことが出来なくなりました。
見当識障害が進み、季節も場所も人も判らなくなりました。
ゴミを細かく切り刻み続けるなど、奇行が目立ち始めました。
近所のコンビニまで食べ物を買いに行くことだけは出来ていましたが、
それも難しくなりました。
なにより、南風の事が分からなくなりました。
ずっと自分の事より南風の事を心配してくれていた母でしたが、
息子なのか孫なのかが分からなくなりました。
週に1~2回、千葉と埼玉を往復する生活でした。
流石に気丈な母も、一人暮らしは無理と感じたのでしょう。
グループホームもデイサービスもホームヘルプサービスも拒否してきた母が、
施設入所を望むようになりました。
それを契機として、ケアマネに相談。
要介護認定の更新申請をしました。
役所、認定再調査、主治医の診察と健康診断。
社会福祉士としての知識があって良かった。
先ずは、介護老人福祉施設(特別養護老人ホーム)のショートステイお試し入所、慣らし入所から始めました。
数十年、自分のモノを買う事が無かった母のために、
下着を買い、服を買い、靴を買い、名前を書き、名前を貼りました。
グループホームもデイサービスもホームヘルプサービスも拒否してきた母ですから、
心配していたのですが、施設に連れて行くと、すんなり入所しました。
ショートステイ入所を繰り返して、要介護3が付くまで持たせる予定でした。
なんと、続けて次のショートステイできる空きが出たとの連絡がきました。
幸運でした。
面会に行ったら、息子なのか、孫なのか分からなくなっていた南風のことが、とうとう親戚の叔父さんだと思うようになってました。
北海道は雪が降って大変だろうから気を付けて帰るように言われました。
でも、心配してくれるのは、有難い長年の習慣かな?
現在要介護2ですから、今回の申請で、要介護3になったら、ショートステイを入所に変更できそうだ情報が入りました。
なんか、幸運だと思っていたら、甘かった。
要介護認定には、落とし穴がありました。
20年ぐらい前に、要介護認定の問題点に、
障害高齢者は、要介護度が高めだけど、認知症高齢者は、要介護度が低くなってしまうと言う課題が見つかりました。
20年も前の課題なので、既に修正されていると思ってました。
甘かった。
認識不足でした。
要介護再申請、却下されて、唖然としました。
だって認知症が進行して、一人暮らしは、もう無理なんだから、要介護3になって施設入所出来ると思いこんでいましたから。
母の前で母の奇行をあげつらう事を躊躇ったのが敗因でしょうか?
行動心理障害をなるべく色々話して、悲惨さをアピールする必要があったのでしょうね。
慌てて、教授会欠席届けを提出して、有給休暇を申請しました。
在宅のケアマネさんと施設の相談員さんと、ケアカンファレンスです。
そうしたら、ショートステイを続けた状態で、ショートステイの限度を超えた日数は、介護保険は使えないから、10割負担になるけど、実費を支払えば、続けて施設に置いてもらえる事になりました。
次の再申請のタイミングも、見計らっていただけるとのこと。
不服申し立ては、時間がかかるので、不服申し立てより、再申請の方が、早く要介護3になれる可能性が高いです。
確認したら、やはりそうだとケアマネさんが仰ってました。
やれやれでした。
どうやら、お金で解決出来そうな目処が立ちました。
ヒサ絵さんの「忘れてもいいよ」です。
泣かせます。
認知症の親に忘れられた子どもの歌です。
お読みいただきありがとうございました。
