〈Jさんの実例〉
Jさんからの便りです。
私の右頬(ほほ)に、人の顔が見えます。それも女の顔と男の顔の二つが見えていて、二年ぐらい消えないのです。気味が悪く、ノイローゼになりそうです。
また主人が、いつも右足のスリッパが思うように履(は)けないのはどうしてでしょうか。
〈回答〉
私からの返事です。ご主人の右足の件は、医学的には座骨神経がやられています。しかしこれも、Jさんの頬に顔が見える原因も、J家の先祖が関わっています。J家の先祖の中に変死して苦しんでいる人が頬に現れているのです。
「J家先祖代々之霊位」と書きつけた位牌を作ってください。出来上がったら朝に電話してください。J家の大勢の先祖の助けと魂入れをします。また他にも関わりある霊を助け出し善処します。
その後、Jさんから位牌ができましたと連絡がありました。J家の先祖の助けと先祖代々の魂入れ、頬に現われている二人の霊の助けを行いました。これをすると、すっかり良くなりその後はJさんも平穏に暮らしています。
このようにあの世からはいろいろの信号が送られてきています。あの世があるとかないとかの我を張らないで、あの世の霊もこの世の人間も共に幸せになるように生きるべきです。
〈Kさんの実例〉
Kさんからの電話です。
電話の内容は、いつも誰かに嫌われているとか、悪口を言われているとか、こういったことで愚痴(ぐち)をこぼしていました。朝は大勢の人から電話が来るため、「話は手短にしてください。話が長くなりそうなら手紙を出してください」と言って電話を切りました。そういうことで、Kさんからすぐに手紙がきました。次のようなことです。
前略 先生いつもお世話になりありがとうございます。
先日に私の長兄が亡くなりましたが、その葬儀でのことです。次の兄の二人が、私が香典(こうでん)を盗んでいないかと私を疑っています。
また私が、マンションの管理員をしていますが、半日ずつの勤務で午前と午後と勤務場所が違います。お昼には、家へ昼食に帰ってきますので近所の人たちは変な目で見ています。
居住者の入退居の時とか設備の点検の時とか、用事ができたときには時間通りには帰ることができず、不規則な時もあります。近所の人に挨拶(あいさつ)しても、変な目で見られます。「こんな時間に帰ってきたの…?」と言われたこともあります。
また私の家の前の人ですが、いつも私を見ていて冬でも台所の窓を開けてこちらを見ています。そして、周りの近所の人にいろいろと悪く言って話されます。私を見て、何をしているんだろう、あっちへ行ったりこっちへ来たりでブラブラしていて、と疑いの目で見ているのです。
ほかにも、近くの畑の人は、私がこの畑のイチゴを盗んで行くと近所の人たちに話されます。私は何一つ盗んでもいないのに、なぜこのように悪く言われるのでしょうか。
そのことを姉たちにも話しましたら、何と私を疑っていました。先生、私はこんな兄弟姉妹なら、誰もいらないと思います。早くこの世からいなくなればと思います。実の兄弟姉妹なら、もっと助け合わなくてはと思いますが、こんな兄姉ならそんな気にもなりません。
一方では一生懸命に、神様や魂の勉強をさせていただいておりますが、この気持はどうすることもできません。先生、私は何も盗んでいないのに何故このようにみんなに疑われるのでしょうか。原因を教えていただけませんでしょうか。お忙しいところ済みませんが宜しくお願い致します。 かしこ
〈回答〉
Kさんはこのように訴えていますが、神様にお伺いすると誰もそのようなことは思っていないと申されています。Kさんの受け止め方が悪いのです。なんでもひがんで物事を曲げて受け止めているのです。すべてをマイナスの方向で解釈しているのです。
私の治療院の患者さんでもKさんと同じような人がいます。
この二人は、何事においてもすべてをネガティブ(否定的)に受け止めるから、対人関係がうまくいかず常に感情が乱れています。心は、その人の人生を、その心のあり方のように創(つく)り出します。心が消極的だと血液も濁り、細胞も破壊的に働きます。
だから、Kさんは肝硬変を患い、患者の方も肺ガンとなるのです。
この患者さんもガンの手術後、西洋医学の治療に疑問を抱き、私のところへ治療に来るようになりました。そしてまた、二人とも離婚されています。
夫婦の間でも、相手を思う気持ちがなくなり自己中心的で否定的な考えをしていたらうまく行くはずがないのです。この患者さんには、治療のたびごとに心のあり方の話をずっとさせてもらっていました。また、ある宗教にも入っていました。
だから、どんなに御利益のある宗教でも、神社仏閣にお参りに行っても、力のある祈祷師に拝んでもらっても、自分が変わらないと病気は治らないですと『心の友』誌に書かせてもらっているようなことを根気強く話しました。
今は、すっかり真理がわかりだし宗教からも抜け、困っている人達に手を差し出すようになりました。不思議なものです。この方が、心の受け止め方を否定的な考えから前向きの考えに変えただけで、病気は治って元気になり、毎日遅くまで働いています。
さらに五十歳というのに新しい彼氏もでき、結婚を前提に付き合っていて活(い)き活きと暮らしています。以前は何事にも不平不満だらけだったのに、今は何でも感謝に受け止められる人になっています。
Kさんは遠方に住んでいて心の指導はできませんが、『心の友』誌をよく読むようにとは言っています。どこまで真剣に読んでいるかは、疑問です。心の成長に応じてその人の運勢は変わっていくのです。Kさんの心の問題もありますが、なぜ物事をことごとく否定的に受け止めるのかについて神様にお伺いしました。
前世の因縁があるそうです。この因縁がKさんの心の成長を邪魔しているのです。Kさんの因縁とは、大きな鉱山の親方の女房でした。多くの鉱山労働者の賄(まかな)いに何人もの女の人を使っていました。
この女房は自分勝手で、自分の気に入らない女の人は働き者であっても意地悪をしたり苦しめたりしました。そのために、使用人の女の人は体を壊したり、精神的に変になったりした人も何人もいました。
そのうちの五人の女の人が恨み、Kさんに敵(かたき)を取ろうと念を送ったり憑依(ひょうい)したりしているのです。だからKさんは、自分の意思ではなく、みんなに嫌われるような状態に追い込まれているのです。
〈対策〉
Kさんには、命根石を置いて恨んでいる人達にお詫びをするように伝えました。一ヵ月お詫びしたら、この手紙を送り返すように伝え、その後いつものように気の毒な女の人達を導き全員たすけ出しました。
その後、Kさんは周りの人達とうまくいくようになり、否定的な受け止め方がなくなりました。ここで申し上げたいことは、私たちの日常生活に現れてくる出来事はすべて意味があるのです。偶然ということはありません。
病気にしても、いろいろ困ったり悩んだりする出来事も、すべて原因があるのです。一つは神の手引きであったり、指導であったりします。もう一つは、前世の因縁の知らせです。因果応報の理(ことわり)が関わってきます。
あと一つは、人間として生まれてきた目的を果たせとの催促です。特に高齢者になってからの病気や事情は、そのように受け止め反省して、あの世へと旅立つまでに少しでも世の中への恩返しの生き方をしたいものです。
私たちは、何事にも感謝のできる人間にならなくてはなりません。感謝とは気づくことです。感謝するということにまず気がつかなければなりません。そして、常に感謝と喜びの心を持つことです。
何につけても神恩感謝の気持ちを忘れず、何事も喜んで受け止めて、いまの今を喜ぶことです。たのしい楽な事だけに感謝して喜ぶのではなく、苦しいこと困難なことも喜びに変えて通ることです。
どんなことがあっても、一切合(いっさいがっ)財(さい)すべて「天が良いように与えてくれている」と受け止めることです。そうするとありがたく喜んで通ることができます。ここまで悟ることは、なかなか大変なことですがこのような心づくりをすることです。
不平不満や愚痴はなるべく言わないことです。私たちは気づかないだけで、天の恩、大自然の恩、父母の恩、知人や友人の恩、あらゆる恩の中で生かされ守護されているのです。
そのことに気づかず日常生活では、「もらう」だけの生き方をしていないでしょうか。「与える」ことや尽くす、奉仕するなどの生き方をどれほどしているでしょうか。人間誰でもその一生を見ますと、楽しいこと愉快なこと楽なことばかりではありません。
雨の日もあり風の日もあります。時には嵐の吹きすさぶ日もあるでしょう。こんなに一生懸命努めているのに、どうして自分はうだつが上がらないのだろう。こんなに一生懸命信仰もしているのに、なぜこのような目に遭(あ)わねばならないのか、…そういう思いのする日が全くないとは言い切れないでしょう。
そういう大きな節(ふし)(節目)に出遭わしたときに、これを喜びに変えて通れるか。あるいは、ただ節に負けて折れてしまい不平不満ばかりで通るか、その思い方の差が出てきます。喜びの思いは必ず天に通じるものです。喜びの思いは要するに誠だからです。誠は天に通じます。
なってくることのすべてを、天の与えだとして感謝と喜びの思いで受け止めるということは、小さいようで実は大きな誠の心です。天の理にそった誠なればこそ、これを天が受け取り、私たちが幸せになるように守護して返してくださるのです。
いくら、信心している心を磨いていると言っても、日々に喜びを見いだせない、喜びを見いだそうと努力もしない、それでは天の理や神の思いに適(かな)わないのです。
日々どんな小さなことでも喜ぶ、何はなくても生かされて生きているのだという根本の真実を自覚し、それを喜びに変えて受け止めつつ通っていくことが大切です。たとえ、いま現在苦しいことがあっても、あるいはなかなか思うようにいかなくても、日々喜びの思いを忘れず感謝と報恩の心で進んでいくならば、明るい運命の人生に切り替わることに間違いはないのです。
UnsplashのDuong Nganが撮影した写真
[解説] 何事も悪く取るか、良く取るかで運勢が代わり、健康にも影響するということです。これはよく言われることなのですが、なかなか実践できません。なぜかというと、とりあえず、何事もよく取ろうと、多くの人はやってみるのですが、急には運勢は変わらず、結局、トラブルが続いて、気の持ちようなどというのは嘘だ、となってしまうのです。
この世は複雑ですし、ものには程度があるので、心の持ちようで何もかも変わるわけではありません。ただ、それでも、何でもマイナス思考にしていては上手くいくものも上手くいきません。
一つの攻略法は、死んだ時の自分を想像することです。今死んで、神様が採点したら、何と言うだろうかと考えるのです。よほど人のために生きた人でない限り、あなたは合格ですよと言って貰える自信はないでしょう。無条件に自信を持ってしまった人は、逆に危ないです。自分は本当に合格と言えるだろうかぐらいの謙虚さがないと、多分合格している可能性は低いでしょう。
そうすると、もう一度やり直すぐらいなら、今回頑張ろう、という気持ちになります。そもそも魂が何十億だか百億年だか、地球上の時間で生きているとすると、私たちが一回一回の人生にそれほど拘る理由もないのです。
皆、何かを成し遂げたい、何かの欲を満たしたいなどと考えますが、人間がどれだけ頑張っても、高々しれています。
私たちが目指すべきは、まず、神の教えに照らして恥じない生き方であったといえるような人生です。もちろん、実際は、そうそううまくいかないのですが、それでも、なんとか頑張ったと言えるような生き方をしたいものです。