病気や困った事情の原因を調べていると、先祖が苦しんでいて、それが子孫に頼ったり、障ったりしていることが多くあります。十年以上前に、やはりこの事に気づき、先祖供養について指導させてもらった時期がありました。【拙著、「霊障からの奇跡の生還」を読み直してみて下さい】
また、その頃と相談される方も変わってきているので再度説明させて頂きます。
これは、新しく高級霊様に教えて頂いた事です。先祖とは、六代前までの直系の人で、父母、祖父母、曽祖父母、…と遡り六代前までの人、合計六十四人を言うんだそうです。だから、おじさんやおばさん(直系から出た人)は関係ないそうです。
UnsplashのArvid Høidahlが撮影した写真
この六十四人の者の生き様が、子孫に、ものすごく係わっています。先祖が徳を積んでいるか、反対に多くの人をいじめ苦しめているか…等、他人をいじめ困らせたりしていると家の因縁として子孫に現われ、子孫が苦しむことになります。
「霊障からの奇跡の生還」の本の中にある先祖の因縁を参照してみて下さい。逆に先祖が徳積みの人生であったならば、子孫はその徳により幸せな人生を歩むことになります。
これらのことばかりでなく、この先祖の六十四人は、亡くなってあの世の明るい所にいる人もいれば、反対に暗くて寒い所で苦しんでいる人もいます。そのような状況を招くということは、この世の人間として生きていた時の心のあり方と、自分がどのように他人に接して生きていたかということです。
つまり、「内の心」の生き方をしたか「外の心」の生き方をしたかの違いです。
「内の心」とは、他人に尽くす・思いやり・許す心・協調の心です。愛、温かい、優しい、穏やか、親切、嬉しい、楽しい、ありがたい、感謝、安心、…というようなことです。
「外の心」とは、動物的本能から出る我さえ良ければという自己中心の心と、財産や名誉というような世俗欲です。当然、動物的感情から出る怒り・そねみ・ねたみ・悪口・イライラ・悲しい・意地悪・不平・不満・先案じ・我慢が出来ない・キレル…等々を指します。
このように「内の心」の生き方は、誰も肉体という衣を着ていますとなかなか出来ないものです。それでも、少しでも「内の心」の大切さに気づき、それに近づこうと努力しながら生きていたかです。
あの世で、明るい所に住んでいる先祖の人は良いのですが、問題は暗くて寒い所にいる先祖です。毎日、暗くて寒くて、つらい所にいますから何とか楽になろう、どうにかしてここを抜け出そうと、そのことばかり考えています。そして、助かる方法を探しているのです。
また、先祖の中でも、いまだに自分が死んだことに気づいていない人もいます。何故ならば、自分の住んでいる状況が生きていた時と似た環境であったり、自分にも身体(幽体)があるし、生きていた時と少しも変りがないからです。
生きていた時、腰が悪くて痛かった人は、今でも腰が痛くて苦しいと思い込んでいるのです。しかし、実際には肉体がないので腰は痛くはないのですが、まだ本人は死んだことに気づかず、今ある身体は幽体という入れ物なのに生前の肉体だと思い込んでいるのです。
ですから、まだ生前の肉体の時の痛い想いを持ち続けていると、幽体の腰の所が痛いと感じるのです。それで、子孫やあるいは自分と同じように腰が悪い人を探し楽になろうと、この世の人間に憑依してくるのです。
こちらの肉体人間につ憑いて、自分の苦しみを何とかしようとするのです。すると、こちらの肉体人間の腰が悪くなってしまうのです。病気の百パーセントは、霊界からの憑依です。先祖の人(霊)は、人によって違いますが、あの世からこの世の子孫の姿を見ることが出来る人と出来ない人がいるようです。
問題は、先祖の人も幸せになり子孫の私たちも憑依されずに、逆に護ってもらえればうれしいですね。そして、その方法があるのです。それは、黒塗りか茶色塗りの一枚の位牌に、〝○○家先祖代々之霊位〟と書いたものをつくることです。
仏壇は買わなくてよいです。仏壇の替わりに位牌が入る少し大きめな化粧箱か木の箱があればよいです。なければ、しっかりした紙の箱でもよいです。先祖代々の位牌をつくることによりどんな良い事があるかというと、今まで途切れていた霊界の先祖と、この世の子孫が強く結ばれるということです。
位牌をつくることにより、先祖の人達は子孫のことがよく見えて分かります(位牌がないと見えない人もいる)。先祖の人でも修業して明るい世界(霊界)に住んでいる人は、位牌を通して子孫を守ってくれます。そればかりでなく、先祖の中で下の界の暗い所に住む人にも、位牌があることにより、上の界の明るい所に住む先祖が救いの手を差し出すことが出来るのです。
私たちは、誰でも守護霊や指導霊を持っていますが、力の弱い霊の場合は、力の強い先祖霊が加わって守護してくれます。大難を小難に、小難を無難に過ごさせてもらえるのです。
たとえば本来なら乗るべき飛行機に、途中、車の故障で間に合わず飛行機に乗りそこねてしまった。しかし、その飛行機が墜落する。もし、乗っていたら死んでいたが、命が助かったというような事は見えない世界からの守りです。
この世の出来事は、偶然ということはありません。運命や因果応報と、心のあり方、先祖とのつながり等が複雑に絡み合っているのです。病気や幸、不幸もすべてそうです。
よく、我が家は神道系だから、又はクリスチャンだから先祖代々の位牌はいらないと申しますが、誰でも先祖があって私たちがあるのです。だから、誰でも先祖への感謝の念は持たなくてはなりません。
先祖は、住む世界が違っても子孫の幸福と繁栄を願っています。この世の子孫とあの世の先祖がお互いに協力し合い、愛を交換させて生活していくのが基本です。神道系の人もクリスチャンの人も宗教に関係なく、先祖を敬い感謝する意味でも先祖代々の位牌は持ってほしいと思います。
位牌を通して、先祖の暗い所(霊界)で苦しむ人も子孫の正しい生き方を見て、自分が肉体人間として生きていた時の生き方が悪かったから、霊界に来てこのような暗い生活をしなければならない事に気づき反省するのです。
反省して悟ってくると、その悟りに応じて明るい世界へと昇華していくのです。反対に、子孫の私たちが悪い生き方をしていると、先祖の明るい所にいる霊格の高い先祖は子孫の事を心配して、折りにつけ正しい生き方に戻るようシグナルを送ってくれます。
この世は自分一人では生きられません。あらゆる人との触れ合いで生きています。実際には、目に見えるこの世の人たちとの関わり合いだけでなく、見えない世界とも関わりながら生きているのです。だから自分の事ばかりでなく、他人も先祖の人も、皆が幸せになるような考え方で生きるべきです。
(つづく)
[解説] 6代前までの直系先祖は64人にはならないと思いますが、人数はさておき、そこまでが一つのグループで、連帯責任的なものを取らされる訳です。6代前までいけば、それはたくさんの、いろいろな人がいるわけで、徳を積んだ人もいれば、全然ダメだった人もいるでしょう。一人でも徳を積んだ人がいれば良い方ではないかと疑っています。他人の人生に全然ダメというのは余計なお世話ですが、私も含めて最初は誰もが全然ダメな時期があるのではないかと思っています。
人生一回目で好成績を出せる人も中にはいるでしょうが、難しいんじゃないですかねぇ。ゲームって繰り返していくうちに上達しますからね。
いずれにせよ、お互い様の精神で、自分のグループのことを考える必要があります。