〈別の日の夜中‐②〉

 

人間は神が創って下さったが、創ったのは人間だけか…、そうではない。地上に存在するものはすべて神の創造物だ。だったら、人間に心があるように、すべての創造物(山川草木、空気や土地など)にも魂があり生命があり意思があるはずだ。

 

神の想いは、創造物すべてが助け合い協力し合って魂を成長させることが目的だ。そう気づくと、草も木も石も、物ではなく生きている友達として見えてくる。姿、形は違っていても、言葉は交わさなくても思いは通じるはずだ。

 

UnsplashDiego PHが撮影した写真

 

山川草木、すべての創造物の中に神の心が入っている。だから仏教では、山川草木ことごとく仏性ありと言っている。このことに気がついた人が言ったのだろう。そう思って草木を見ると今までは物であったが、今度は輝ける生き物に見えてくる。

 

私は十年ほど前に、家の庭で家庭菜園をしてトマトを育てたことがある。試しに、一本のトマトだけに毎日、朝夕言葉をかけた。その言葉をかけたトマトだけは、秋になり他のトマトや野菜は枯れたのに十二月まで元気で実をつけた。その実は、寒さのため赤くはならなかったが枯れはしなかった。

 

農家の方が稲作で、毎日稲に言葉をかけるとその田んぼの稲は他の田んぼの稲よりも収穫量が多いと話していた。植物にも人間の想いは通じるのである。ただ人間には、植物の言葉が聴けないだけだ。

 

森林浴をすると、心が癒されるのは誰もが体験している。考えてみると山川草木すべては、お互いに魂の成長が出来るように協力しあっている。それなのに、人間だけは特別だと思っている。人間だけが生命を持っていると考え、人間の都合だけで自然を壊し山川草木の命を奪い、山川草木の心の成長のことは少しも考えていないではないか。

 

こんなことに気づいてから、通勤途中の道端の草花にも、コンクリートの割れ目で土のないところにも根を張って頑張っている雑草にも、頑張れよ精一杯生きろよ、と言葉をかけるようになった。

 

また、小さな虫も殺せなくなった。皆それぞれ、与えられた姿の中で精一杯生きているのだ。魂を成長させているのだ。虫自身は魂のことは気づかないだろうが、精一杯生きることが神の心にかなっているのだ。

 

人間は一番生命力も知恵も有り、あらゆる特権も他のすべてのものよりも与えられている。与えられているということは、創造主(神)に期待されているのだ。そうならば、神の望む姿(生き方)で生きなければならない。

 

神の望む生き方とは何か。それは「外の心」を捨て「内の心」を育てることだ。「内の心」とは、他人に尽くす・思いやり・許す心・強調の心だ。「外の心」とは、動物的本能から出る我さえよければという自己中心の心と、財産や名誉というような世俗欲である。

 

こんなことに気づき、翌朝また神様に伺った。そうすると、空気にも風にも意思があり心があるという。そういうことが分かると、空気さんありがとう、風さんありがとう、という気持になる。昔の人は、自然の命を知っていた。だから、太陽を拝んだのだろう。

 

〈また、別の日の夜中‐③〉

病気は、百パーセント悪霊がかかわっているという。何故、神によって創られた肉体が憑依されるのかと考える。神は、肉体は憑依されないように健康で過ごせるように創ってあるはずなのにと考える。…しかし、分からない。

 

突然に、ひらめいた。そうだ神は、人間に心の使い方の自由を許された。肉体は魂(心)に従うように出来ている。肉体が壊れるとは、心に問題がある。問題とは何かと、また考える。そうだ、「内の心」は神の心だ。「外の心」は動物的な心だ。

 

「内の心」で生きていると肉体は魂に従うから健康であるが、「外の心」で生きていると神の意に反するから肉体の細胞は酸化し、血管は傷つけられてしまう。つまり肉体は、「内の心」で生きるのに適したつくりになっているからだ。

 

そして、「外の心」で生きる人は、神の心に逆らっているから肉体が傷つき酸化してしまうのだ。だから、悪霊がつ憑きやすくなり、その結果として病気になるのだ。では、病気を治すにはどうすれば良いかということになる。それは、「内の心」で生きて何事にも感謝することだ。

 

このことから考えると、「内の心」で感謝して生きている人には悪霊は憑依できないという結論になる。翌朝、また神様にお聞きすると、そうだと言う。やはり、神の心の意に添った生き方をすれば幸せになれると気づいた。

 

〈それから、別の日の夜中‐④〉

 

私たちは、毎日ご飯やパンや肉に魚も食べている。栄養学の先生は、何の食べ物はカロリーが高いとか、それにはこんな栄養が含まれているとか、健康には何品を一日に食べると良いとか言っている。

 

食べ物を、物としか見ていない気がする。カロリーよりも、その命が大切だという事が分からないのだろうか。山川草木、魚や動物もすべて神性を宿している。それぞれの立場で魂を磨き、地上のあらゆるものに役立とうと生きている。

 

生きるということは、他からエネルギーを吸収しなければならない。他からエネルギー(生命力)を頂くということは、他の生命を自分の中に取り込むということである。人間は人間以外の生き物を犠牲にして、それを食べて生きている。命が形を変えたのが食べ物だ。人間は自然から命を頂いているのだ。

 

だから、魚を食べるにしても野菜を食べるにしても、魚や野菜の命を頂いていることになる。命を頂いていることに気づけば、自然と「いただきます」という言葉が出る。「いただきます」の言葉の中には、お母さんが料理してくれたことに対する感謝の念や、漁師さんや農家の人達のお陰、食べ物を育んでくれた太陽や土や水のお陰もある。

 

すべてに対しての感謝であるが、やはり、大事な命を頂いたものに一番感謝したい。また、命を与えたものは感謝されることにより、そのものの魂はさらに生かされることになると思う。そんなことを考えていると、やはり人間は神のふところ住まいで生かされているんだなと気づく。

 

以上、このような事をその都度に毎晩考えて、神様に教えて頂きながら学ばせてもらっています。こんなことから、学んだ事を『心の友』誌に書かせてもらっています。

 

話は戻りますが、夜中の一時から三時までが自分を見つめ思案する時間です。それが過ぎると四時まで寝ます。午前四時に起床、五時に食事、そして六時半までに治療院に入ります。毎日、相談の手紙がきています。

 

治療の仕事前に、返事を書いています。七時になると次々と電話が入ってきます。とても忙しい時です。ですから、電話の返事も雑になります。本当に忙しいのです。治療院に着くと、まず神棚の水を換えてから一日の祈りを始めます。

 

『世の為、人の為に、神様の道具として私をお使い下さい。あの世の掃除や、この世の悩む人の手助けをさせて下さい。私の命も、身も心もすべて神様にお預けします。あの世とこの世が幸せになる為なら、私の犠牲など何も惜しくありません。たとえ今、命がなくなっても結構です。…(礼拝)』

 

それから、頼まれている何人かの人の事を祈ります。そして時々、自分に私心(私利、私欲)はないか、神様の想いから離れていないかと自分をチェックしています。神様は、私の意思に関係なく私を使っていると申しています。使われることにより体調が崩れることもありますが、使ってもらえる喜びの方が大きいから、私は幸せです。

 

皆さんは、すべての人が価値観が違います。一様に、どんな生き方が良く、どんな生き方が悪いとも申せません。しかし、人間誰でも死は、必ずやってくるという事です。そして死んでおしまいではなく、誰でもがあの世で生き続け今の世と同じような生活をするという事です。

 

それからあの世の生活は、この世の心のあり方や使い方によって決まります。あの世に旅立つまでの時間、少しでも魂を磨き世の中に恩返しをしてみませんか。どんな方法でもよいです。この世は、自分一人だけで生きて来たわけではないでしょう。皆さんの協力があって、今日があるのです。

 

幸せだった人生の人もあるでしょう。苦労だけだと思える人生もあるでしょう。でも、それは因果応報からくる自分の責任であり、これがあの世へと引き継がれます。この世では、不幸と思えた人もそれにより因縁が消え、あの世では幸せに暮らせる種になることもあります。

 

これらのことは、『心の友』誌をよく読んでみて下さい。理解してもらえると思います。私の願いは、一人でも多くの方が世のため、人のためになって、少しでも社会に恩返しをする人が増えて下さればと念願しています。

 

この『心の友』誌の中に書いてあることは、嘘も誇張もありません。真実の事です。これにより見えない世界があること。この世もあの世も深い関わりがあり、生きている人間同志もあの世の人達も、皆が協力して生きていかなければならないことに気づきます。

 

それから最後に、悩んだり行き詰まったり、問題の解決が見つからない人は御一報下さい。すべて無料です。すべての人が陽気暮らしが出来て、あの世への旅立ちの時は悔いのない良い人生だったと言って、周りの人に感謝しながら旅立ちませんか。私は、そんなお手伝いをさせて頂きたいと願っています。

 

[解説] 今から18年前の2006年ごろに宮下先生が書かれた文章です。この頃は、加藤先生の力を借りることができないため、宮下先生がフーチを通じて神と対話して悟りを得た内容を書かれています。加藤先生を通じて大神様・親神様の教えを直接聞く場合と比較すると、さすがに具体性や迫力が減りますが、それでも内容的には皆様の参考になるかと思います。

 

加藤先生を通じて大神様・親神様の声を聞けた際の情報に基づくと、宮下先生の前世は高級神霊だったようですから、悟りの内容は、正しいと思うのです。今世では、人間となり、霊能力はありませんから、悟りに限界がありますが、それでも普通の人間よりは遥かに高度な内容になっているはずです。

 

空気や風に意思があるというのは、私にはちょっと信じられません。ある空間に、担当の高級神霊がいて、空気を良くするとか、人間に気づかせるために風を吹かすとかはできると思います。そういう意味で、空気や風が意思を持っているように感じることはあるかもしれません。ただまあ、私の方が霊格が低いのは明らかであるので、霊格が高くなっていくと、宮下先生の話が理解できるのかもしれません。