自民党総裁選 高市早苗 今日立候補? 女性初の総理の可能性は?  | 人生・嵐も晴れもあり!

人生・嵐も晴れもあり!

人生はドラマ!
映画、音楽、文学、歴史、毎日の暮らしなどさまざまな分野についての情報やコメントをアップしています。

高市早苗という女性議員が今回の総裁選に立候補するという。

2度目らしい。

 

高市早苗氏の経歴をたどる:

 

高市 早苗

たかいち さなえ

          

内閣広報室より公表された肖像
(2019年 撮影)

生年月日 1961年3月7日(63歳)
出生地 日本の旗 日本 奈良県
出身校 神戸大学経営学部経営学科卒業
前職 近畿大学経済学部教授
所属政党 (無所属→)
(自由党・自由改革連合→)
(新進党→)
(無所属→)
自由民主党(町村派→無派閥)
称号 経営学士(神戸大学・1984年)
配偶者 山本拓(夫)(2004年 - 2017年、2021年 - )
サイン
公式サイト 高市早苗(たかいちさなえ)

日本の旗 内閣府特命担当大臣(クールジャパン戦略)

内閣 第2次岸田第2次改造内閣
在任期間 2023年9月13日 - 現職

日本の旗 経済安全保障担当大臣
内閣府特命担当大臣
(知的財産戦略、宇宙政策、経済安全保障)

内閣 第2次岸田第1次改造内閣
第2次岸田第2次改造内閣
在任期間 2022年8月10日 - 現職

日本の旗 内閣府特命担当大臣(科学技術政策)

内閣 第1次安倍内閣
第2次岸田第1次改造内閣
第2次岸田第2次改造内閣
在任期間 2006年9月26日 - 2007年8月27日
2022年8月10日 - 現職

日本の旗 内閣府特命担当大臣(マイナンバー制度)

内閣 第3次安倍第2次改造内閣
第4次安倍第2次改造内閣
在任期間 2016年8月3日 - 2017年8月3日
2019年9月11日 - 2020年9月16日

日本の旗 第18-19・23代 総務大臣

内閣 第2次安倍改造内閣
第3次安倍内閣
第3次安倍第1次改造内閣
第3次安倍第2次改造内閣
第4次安倍第2次改造内閣
在任期間 2014年9月3日 - 2017年8月3日
2019年9月11日 - 2020年9月16日

その他の職歴

日本の旗 内閣府特命担当大臣
(沖縄及び北方対策、食品安全、イノベーション、少子化・男女共同参画)

(第1次安倍内閣)
(2006年9月26日 - 2007年8月27日)
日本の旗 衆議院議員
(奈良県全県区→)
(奈良1区→)
(比例近畿ブロック→)
(奈良2区→)
(比例近畿ブロック→)
奈良2区
当選回数 9回
(1993年7月19日 - 2003年10月10日、
2005年9月11日 - 現職)
 第55・60代 自由民主党政務調査会長
(総裁:安倍晋三)
(2012年12月25日 - 2014年9月3日)
(総裁:岸田文雄)
(2021年10月1日 - 2022年8月10日)
 自由民主党広報本部長
(総裁:安倍晋三)
(2012年9月28日 - 2012年12月25日)

 

 

高市 早苗(髙市 早苗[3]、たかいち さなえ、1961年〈昭和36年〉3月7日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(9期)、経済安全保障担当大臣、内閣府特命担当大臣 (クールジャパン戦略、知的財産戦略、科学技術政策、宇宙政策、経済安全保障)。内閣総理大臣臨時代理就任順位第2位。

総務大臣(第18・19・23代)、内閣府特命担当大臣(マイナンバー制度担当)(第3次安倍第2次改造内閣・第4次安倍第2次改造内閣)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、科学技術政策、少子化・男女共同参画、食品安全、イノベーション担当)(第1次安倍内閣)、 経済産業副大臣(第1次小泉第1次改造内閣・福田康夫改造内閣・麻生内閣)、通商産業政務次官(小渕内閣・小渕第1次改造内閣)、衆議院議院運営委員長、同文部科学委員長、自由民主党政務調査会長(第55・60代)、同日本経済再生本部長、同広報本部長、同情報調査局長、同遊説局長、同奈良県連会長などを歴任。

AIWS世界リーダー賞受賞(2023年)。「安倍晋三元内閣総理大臣感謝と継承の会奈良」顧問、ダボス会議(世界経済フォーラム)2008年度ヤング・グローバル・リーダー。

 

奈良県出身(現住所は大和郡山市筒井町)。父親はトヨタ系列の自動車会社勤務、母親は奈良県警察勤務という共働き家庭に育った。小学校の途中から橿原市に住む。橿原市畝傍南小学校卒業。奈良県立畝傍高等学校卒業。神戸大学経営学部経営学科へ進学。専攻は経営数学。大学生時代は軽音楽部に所属し、ヘヴィメタルバンドでドラムを担当。

1984年(昭和59年)3月、大学卒業。同年4月、松下政経塾に入塾(第5期生)。

1987年、アメリカ合衆国(米国)へ渡った。米民主党下院議員のパトリシア・シュローダーの個人事務所で、Congressional Fellowとして勤務し、議員立法のための調査や分析を行った。

なお、この米国での勤務については後に議論があった。

 

1989年(平成元年)に日本に帰国し、松下政経塾を卒塾して亜細亜大学系列の日本経済短期大学(のち亜細亜大学短期大学部)助手に就任。

1989年(平成元年)3月、テレビ朝日のキャスターとなる。

同局の『こだわりTV PRE★STAGE』のキャスターを蓮舫と共に担当。

1990年(平成2年)10月、フジテレビ系列の朝の情報番組「朝だ!どうなる」のメインキャスターとなる。

 

1992年(平成4年)5月19日、第16回参議院議員通常選挙・奈良県選挙区(改選数1)の公認申請を自由民主党県連に提出した。同年6月9日、党県連(会長:奥野誠亮)は奈良県選挙区の公認候補を決めるため、奈良市内のホテルで拡大役員総会を開いた。候補に名乗りを挙げたのは高市と、参議院議員の服部安司の三男の服部三男雄の2名。有権者313人のうち出席した215人が投票し、投票は異例の無記名で行われた。前日までの不在者投票と合わせて開票した結果、服部が162票、高市が137票、無効が1票で服部に決まった。同月10日、県連は党本部に服部の公認を申請した。同月29日、高市は無所属で立候補すると表明し、保守分裂選挙が確定した。

同年7月26日、参院選投開票。無所属で立候補したが、服部に大差で敗れ落選。

 

1993年(平成5年)、第40回衆議院議員総選挙に奈良県全県区(定数5)から無所属で出馬し、得票数トップで初当選。

1994年(平成6年)、政策集団「リベラルズ」に参加。リベラルズを母体に自由党(柿澤自由党)が結党され、党首の柿澤弘治が同年4月に羽田内閣で外務大臣に就任したため、与党の一員となった。同年7月、自由党は自由改革連合(自民党を離党した海部俊樹を代表とした)に参加し、さらに同年末に新進党に合流。

1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制導入に伴い、奈良1区から新進党公認で出馬し、2選。

同年11月に新進党を離党し自由民主党(自民党)に入党。新進党を離党した理由としては、「総選挙前、新進党の税制調査会で徹底的に議論した上で『大規模な減税は不可能』という結論を出したにもかかわらず、新進党党首の小沢一郎が総選挙の公示日に突然、十八兆円の大規模減税策を公約に掲げたこと」を挙げた。

自民党入党後は清和政策研究会(三塚博派→森喜朗派)に所属(のち派閥離脱)。

1998年(平成10年)7月、小渕内閣で通商産業政務次官に就任。

2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙では比例近畿ブロック単独で出馬し、3選。

当選後の同年7月11日より、首相の森喜朗を支援する「勝手補佐官」を自称し、同じく自民党国会議員の下村博文、世耕弘成、山本一太と共に活動した。

2002年(平成14年)、第1次小泉改造内閣で経済産業副大臣に就任。また、自民党による一般向けの政治講座「きょうと青年政治大学校」の講師として「日本経済の再生」について演説した。

 

2003年(平成15年)の第43回衆議院議員総選挙では、奈良1区で民主党の馬淵澄夫に敗れ、比例代表での復活当選もならず落選した。

2004年(平成16年)、秘書をしていた高市の弟が山本拓の事務所で雇われたことが縁で結婚した。

同年4月、近畿大学教授(学部は経済学)に就任した。

2005年(平成17年)の第44回衆議院議員総選挙(郵政選挙)では、奈良2区の自民党候補であった滝実が、首相の小泉純一郎が推進する郵政民営化法案に反対して自民党を離党した(造反組)ため、高市は自民党による滝への刺客候補として同区に国替えして立候補した。高市は滝を破って再び衆議院議員へ当選し、国政に復帰。

これにより近畿大学も退職。

なお滝も新党日本から比例代表で復活当選している。

 

2006年(平成18年)、第1次安倍内閣で初入閣し、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、科学技術政策、少子化・男女共同参画、食品安全、イノベーション担当)に就任した。

同年8月15日の終戦記念日に、高市は第1次安倍内閣の閣僚の中で唯一靖国神社に参拝した。当初は公務を優先して参拝しない意向だったが、「全閣僚が終戦記念日に靖国神社へ参拝しないことを避ける」ために、みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会会長・島村宜伸から要請を受け、同日の夕方に急遽参拝を行った。

同年10月、自民党政務調査会の「青少年特別委員会」委員長および「繊維・ファッション産業政策小委員会」委員長を務めた。2008年(平成20年)、青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律の作成に携わる。

2008年(平成20年)8月、福田康夫改造内閣で経済産業副大臣に就任し、麻生内閣でも再任された。

 

2009年(平成21年)8月の第45回衆議院議員総選挙(政権交代選挙)では奈良2区で立候補した。前回の選挙で破った滝実(新党日本を離党し、衆議院解散後に民主党に入党していた)に敗れたが、比例近畿ブロックで復活当選し5選。

2009年11月、「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律の一部を改正する法律案」を提出した。当初は成立しなかったが、その後も同様の改正案を提出し、2014年6月に法改正を達成した。

2011年(平成23年)、清和政策研究会(森喜朗派)を離脱し、無派閥となった。理由は「次期総裁選で、派閥会長の町村信孝ではなく、安倍晋三を支援したいため」だったという。

翌2012年(平成24年)の総裁選では、公言していた通り安倍晋三を支援し、推薦人にも名を連ねた。

新総裁となった安倍より、自民党広報本部長を任命され就任。

次期総選挙に向けて「日本を、取り戻す。」のキャッチコピーのもと、安倍と、幹事長の石破茂が連記されたポスターを作成し、話題となる。

 

2012年(平成24年)12月の第46回衆議院議員総選挙で当選し、6選。

同選挙では自民党が大勝して絶対安定多数の議席を獲得し、再び与党となった。

当選後、自民党政務調査会長に女性として初めて就任した。

自民党日本経済再生本部長も務めた。

 

2014年(平成26年)9月3日に発足した第2次安倍改造内閣で、女性初の総務大臣に就任した。同年12月の第47回衆議院議員総選挙で7選。その後発足した第3次安倍内閣、第3次安倍改造内閣、第3次安倍再改造内閣で3内閣続けて総務大臣に再任された[18]

2016年(平成28年)2月8日、高市は総務大臣として、放送局が政治的公平性を欠く放送を繰り返した場合、放送法4条違反を理由に電波停止を命じる可能性に言及した。同年2月12日、総務省は衆議院予算委員会理事懇談会で「政治的公平性」の解釈に関する政府統一見解を示した。

詳細は「#放送法第4条「電波停止」発言」を参照

2017年(平成29年)6月20日、総務大臣の在任日数が歴代1位となった。同年7月19日、山本拓と離婚した。

同年8月3日、内閣改造によって大臣を退任した。

総務大臣としての在任期間は、1066日であった。

同年10月の第48回衆議院議員総選挙で8選。

同年11月、新設された自民党サイバーセキュリティ対策本部長に就任した。

2018年(平成30年)10月、衆議院議院運営委員長に就任した。

議院運営委員長に女性が就任するのは衆参両議院合わせて初めてであった。

 

2021年(令和3年)2月から安倍晋三の再々登板に向け、勉強会を重ねてきたが、菅義偉に義理立てをする安倍が立候補に後ろ向きであったことから、自身が立候補する決意をしたと高市は述べている。

総裁選の基軸政策である「日本国土強靭化計画(サナエノミクス)」等の政策はこの勉強会で練り上げたものである。菅が自民党総裁選の不出馬を表明した後、安倍は高市を全面的に支援すると発表した。

 

同年8月10日の週刊誌『週刊文春』に論文「総裁選に出馬します!」を寄稿し、同年9月に実施される自民党総裁選挙(9月17日公示、9月29日投開票)への立候補の意欲を示した。理由として「私が菅義偉を総裁に支持した理由は菅が『安倍内閣の政策を踏襲する』と語ったことであったが、菅内閣ではアベノミクスの2本目の矢である『機動的な財政出動』が適切に実行されなかった」と指摘した。

さらに8月26日発売の『月刊Hanada』に、有本香を聞き手とする「わが政権構想」を寄稿し、「支持率1パーセントになっても菅総理を支える」と語った。

2019年(令和元年)9月11日、第4次安倍再改造内閣で再び総務大臣に就任した。

内閣府特命担当大臣(マイナンバー制度)も務めた。

 

2020年(令和2年)9月17日、安倍の辞任に伴う内閣総辞職および菅義偉内閣の発足に伴い、総務大臣を退任した。

後任大臣の武田良太との引き継ぎ式では、「NHK受信料と携帯電話料金の改革を完遂したかった」と語った。

同日、正式に総裁選への立候補を表明。

9月8日には総裁選出馬の記者会見を開き、「私、高市早苗は、日本を守る責任と、未来を拓く覚悟を持って、ここに自民党総裁選挙への立候補を表明いたします。」と、正式に立候補を表明。自民党総裁に女性が立候補したのは2008年総裁選の小池百合子以来2人目。

また、16日に野田聖子も立候補を表明したことで、2021年総裁選は男性2人、女性2人の立候補となった。

 

第1回投票で国会議員票は岸田文雄に次ぐ114票で河野太郎の86票を上回る2位につけるも、党員党友票は河野と岸田を下回り、得票数3位で決選投票に進めなかった。

高市は敗北後の支援議員に対して「政策に賛同いただいた。勇気が出ました」と挨拶をした。

決選投票の結果、岸田が河野を破り第27代自由民主党総裁に選出された。

 

2021年(令和3年)10月1日、自民党政務調査会長に再就任。総裁選を争った河野は自民党広報本部長、野田は内閣府特命担当大臣(地方創生、少子化対策、男女共同参画)に起用された。

同年10月4日に岸田総裁が第100代内閣総理大臣に就任し、第1次岸田内閣が成立した。その日に行われた首班指名選挙の衆議院における投票で「高市早苗」に1票が投じられた。

高市の名前が読み上げられた際には議場内にはどよめきが起き、「誰が入れたんだよ!」とヤジが飛んだ。高市に1票を投じたのは丸山穂高衆院議員(NHKと裁判している党弁護士法72条違反で所属)であった(無論、高市本人は岸田に投票している)。

同年10月11日、自民党経済安全保障対策本部長に就任。

同年10月31日、第49回衆議院議員総選挙で9選。

 

2022年(令和4年)8月10日、経済安全保障、知的財産戦略、科学技術政策、宇宙政策担当の内閣府特命担当大臣として第2次岸田第1次改造内閣へ入閣。

科学技術政策担当大臣としては前述の第1次安倍内閣以来約15年ぶりの再登板である。

なお大臣秘書官は弟の知嗣が務めている。

同年8月27日、奥野信亮が自民党奈良県連会長を辞任。

同年9月25日、自民党奈良県連の総務会が開催。当初は奥野の辞任に伴う会長選挙が予定されていたが、奥野が総務会の冒頭で立候補を取り下げたため、無投票により高市が県連会長に就任した。

2023年(令和5年)3月2日、立憲民主党参議院議員の小西洋之は、放送法が定める「政治的公平」の解釈をめぐる総務省の内部文書を入手したとして、文書の内容を公表をした。

同日、高市は記者団に「怪文書だと思う」と述べた。

翌3月3日、参議院予算委員会で小西から追及を受けると、文書に記載された自身のやりとりについて「捏造だ」と断言。

捏造でなければ、大臣、議員を辞職する意向を表明した。

一方、解釈変更を主導したとされる礒崎陽輔は同日、朝日新聞の取材に応じ、「首相補佐官の在任中に、総務省の局長と政治的公平性に関する放送法の解釈について意見交換し、補充的説明をするに至ったのは事実」と述べ、文書に示された一連の経緯をおおよそ認めた。

3月6日、松本剛明総務大臣は参議院予算委員会で、放送法の「政治的公平」を巡る新たな見解を示したきっかけが、礒崎からの問い合わせだったことを認めた。

3月7日、総務省は、小西が公表した文書と省内に保存している行政文書が同一のものであることを認め、78ページの文書全文をホームページに公開した。

なお、この騒動が影響し4月9日に行われた2023年奈良県知事選挙ではかつて高市の秘書官を務めた平木省が保守分裂や高市自身の高熱もあり応援に駆け付けられず、求心力を失った平木が敗北する一因になったとされる。

同年4月下旬、アメリカ合衆国ボストン・グローバル・フォーラム主催の2023年度AIWS世界リーダー賞を受賞。

 

同年6月24日、自民党奈良県連が総務会を開き、高市の県連会長続投の方針を決めた。高市は会の冒頭、奈良県知事選挙で平木が日本維新の会候補に敗北したことの責任を取るとして辞任を申し出たが、挙手で採決した結果、出席した委員の大半が続投を支持した。

しかし同年9月13日発足の第2次岸田第2次改造内閣で経済安全保障担当大臣などに留任し県連の会議などへの出席が難しくなっていることを理由に、同月16日に県連役員に辞意を伝え、同日付で受理された。

同年11月15日、国力増強をテーマにした勉強会「『日本のチカラ』研究会」を設立し、国会内で初会合を開いた。

この日の勉強会には高市のほか、各派閥などから計13人の議員が出席した。

 

高市は自身の政策として、主に次のような提唱および活動を2021年までに行っている。

  • 日本国憲法を改正し、「戦争の放棄」などの条項を削除して(自衛隊ではなく)「国防軍」と明記する。
  • 日本の国旗への損壊等の行為は、外国の国旗への損壊等に対する行為と同じ処罰とすべきと主張している。
  • 皇位継承問題に関して、男系男子による継承を維持し、旧宮家の皇籍復帰を支持し、女性宮家・女系天皇には反対する。
  • 福祉について「いきすぎた結果平等」を削減し、機会平等を推進する。社会保障の「不正な受給」を阻止する。
  • 経済について、先端技術などの成長産業への財政投資を積極的に行う。外国との自由貿易を推進する。
  • 税制について、所得税の累進課税を廃止する。将来的には企業や金融への増税を行う。
  • 教育について、実学を重視し、義務教育におけるプログラミング教育や、高等専門学校・専門学校の拡充をする。
  • 安全保障について、防衛費を増額して、敵基地攻撃能力に関する法整備を推進する。サイバーセキュリティを充実させる。
  • 歴史観について、靖国神社への参拝を継続する。また「日本が一方的に悪いことになっている」と村山談話に否定的である。
  • 暴力やポルノなど「有害な表現」の規制を推進する。児童売春・児童ポルノ規制法を改正した。
  • 家族観について、選択的夫婦別姓に反対し、旧姓(通称)の利用拡大を主張する。

 

これまでの経歴を見ると、総務大臣などの大臣職を長期間歴任しており、自民党の主要職もしっかりつとめており、これまで安倍内閣、菅内閣、岸田内閣を支えてきたベテランであることがはっきり分かる。

これだけ安定した仕事ぶりは高く評価されて良いだろう。

 

しかし、この人は、靖国神社への参拝を継続しており、皇位継承問題に関して、男系男子による継承を維持すべきと主張したり、選択的夫婦別姓に反対したりと、完全に古い自民党の体質を受け継いでいる印象が強い。

 

これから対応すべきSDGsとか、LGBTQなどに対する先進的な姿勢も必須になるだろう。

また、裏金問題や派閥問題の抜本的な対処についても、自分自身で範を示せる力仕事ができるかどうか、女性政治家であるだけに難しいかも知れない。

 

また、外務、財務、経済産業、防衛などの分野で実務の経験がないため、不安が残る。

 

先進国第一位の女性蔑視大国・日本で、女性初の首相となることは、かなり難しいのではなかろうか。

 

今回の総裁選での政策や支持率の推移などは、今後アップして行く予定。