ハリウッド・コメディ映画 第26位 「チャンス」人生とはなにかを考えさせる名作コメディ! | 人生・嵐も晴れもあり!

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「チャンス」

Being There

 

Being There (1979) - Google Play の映画

 

「チャンス」 プレビュー

 

1979年12月19日公開。

無学の庭師が突然大統領候補になるという奇想天外なコメディ。

興行収入:$30,177,511

 

原作:ジャージ・コジンスキー『庭師 ただそこにいるだけの人」

脚本:ジャージ・コジンスキー

監督:ハル・アシュビー

 

キャスト:

チャンス:ピーター・セラーズ

イブ・ランド:シャーリー・マクレーン

ベンジャミン・ランド:メルビン・ダグラス

大統領:ジャック・ウォーデン

 

Being There (1979) | The Criterion Collection

 

あらすじ:

ワシントンの古い屋敷の主人が、ある朝突然死んだ。

残されたのは中年の庭師チャンス(ピーター・セラーズ)と黒人のメイドの2人。

チャンスは、ここ数十年屋敷の外へは一歩も出たことがなく、読み書きもできず、ひたすら庭いじりとテレビを観る楽しみだけで生きてきた男だった。

やがて管財人に屋敷を出て行くように言われたチャンスは、街の喧騒の中に飛び出すことになる。

見るもの、出会うもの全てが珍しく、それらに気をとられていたチャンスは、1台の高級車にぶつけられ、足を負傷してしまった。

すると、車に乗っていた婦人に手当てをするから私の家に寄って欲しいと言われた。

車の中でその美しい貴婦人イブ・ランド(シャーリー・マクレーン)に名を問われ、「庭師のチャンスです」と名のるが、彼女はそれを「チョンシー・ガーディナー」という氏名だと聞き違えた。

やがてその車が着いたのは経済界の大立物ベンジャミン・ランド(メルビン・ダグラス)の邸で、貴婦人は彼の妻だった。

ランドは高齢で健康状態もすぐれなかったが、チャンスの子供のような無垢さに接していると気持ちが安らぐのを感じた。

数日後、ランドを見舞いにやって来た大統領(ジャック・ウォーデン)は、そこでチャンスと会い、庭の手入れに例えた極めて楽観的な意見に耳を傾けた。

大統領はさっそくTV放送のスピーチでチャンスの言葉を引用し、それをきっかけにチョンシー・ガーディナーの名は一躍全米に知れ渡るようになる。

それからチャンスのTV出演などの奇妙な生活がはじまるが、彼の本当の正体を知る者はいなかった。

やがてランドが大往生を遂げ、その葬儀の際チャンスはイブから愛の告白を受けた。

そして大統領の葬送の辞で新大統領候補がチョイシー・ガーディナーであることが明らかにされるのだった。

 

Being There | SBIFF

 

コメント:

 

数十年間ひたすら庭いじりだけを仕事としてきた俗世間を知らない庭師が、その純真無垢な精神故に知らぬ間に大統領にまでなるという社会諷刺、皮肉を含んだコメディ映画。
 

テレビから「未完成交響曲」の演奏が放送されている。

知的障害があって読み書きが出来ず、仕事以外の時間はテレビばかり見て過ごしている庭師のチャンスは、物心ついた頃から住み込みで働いてきた屋敷の当主の死を知らされるが、その意味を理解出来ないでいる。

メイドのルイーズからは年上の女性と結婚しなさいよと忠告され、当主の代理人の弁護士から命じられて、今まで外に出たことがなかった屋敷から出されてしまうことになった。

チャンスは町に出てさ迷い歩いていたところ、歩道際で高級車に脚を挟まれてしまい、乗っていた美しいイヴから脚の治療をイヴの自宅ですることを勧められる。

名前を問われて「庭師のチャンスです」と答えるが、「チャンシー・ガーディナー」という姓名であると勘違いされる。イヴの家では、病気療養中の夫であり経済界の大立者であるベンジャミンとも知り合うことになる。自動車に挟まれたことによる脚の怪我について、ベンジャミンの主治医であるロバート医師から「今回のことに関して賠償請求をする積りはあるか」と訊かれ、チャンスは「請求?何のことだか分からない」と答え、医師を安心させた。

ベンジャミンはチャンスを、その古風で丁寧な物腰もあり、事業に失敗して財産を失った実業家であると早合点し、チャンスが語る単なる庭の手入れや植物の生長の話を「経営者は庭師みたいなものだ」とマクロ経済の話と誤解し、不況下の米国を立て直す暗喩であると考え、大統領や財界人に彼を紹介する。

大統領はチャンスの発言を楽観的な政治的アドバイスと誤解し、その後の演説の中でチャンシー・ガーディナーの名前を出すことになる。

チャンスは周囲の注目を集め始め、テレビのトーク・ショーに出演し、樹木が育つには季節があるなどという庭師の言葉が誤解され、幅広い人気を得る。

ベンジャミンの代理でイヴ同伴で出席した夕食会でソ連大使の隣に座った際も、チャンスはユーモアと捉えられる軽妙な受け答えをし、また、大使の言うロシア語のジョークを分かったふりをして一緒に笑うことなどにより、一層の信頼感を醸し出していく。

ロバート医師はチャンスの純朴さに違和感を覚え、チャンスは賢人などではなく、彼の経歴が不明なことも別の要因によるものとの疑念を深めていくが、チャンスがベンジャミンの最後の日々をいかに幸福なものにしているかを考慮し、その疑念をベンジャミンに伝えることはしなかった。

ベンジャミンもチャンスのおかげで死が怖くなくなったと言い、イヴと共にその人間的魅力にますます惹かれて行く。

再生不良性貧血により自宅で長患いをしてきたベンジャミンはまた、2人が近しくなるのを好ましくも感じていた。

大統領の補佐官たちやメディアは、チャンスに関する情報が無いので調べ回るが何も出てこず、CIAかFBIが経歴を消した大物だと思わせる。

 

Being There

 

或る夜、寝室でテレビを見ているチャンスにイヴが言い寄るが、「私は(テレビを)見たいだけなんだ」と返されたのを誤解し、自慰行為を行う。

その後、ベンジャミンが死去する際、チャンスはベンジャミンから「イヴを頼む」と言われる。

ベンジャミンの臨終後、チャンスも死の意味を理解して涙を流す。

そして、チャンスはロバート医師から「あなたは本当の庭師なのですね」と訊かれ、それを認めた。

大統領が弔辞を読む中、ベンジャミンと親しかった政財界の大物たちが葬儀の棺を運ぶ際、再選の見込みが無い現職の大統領に代えてチャンスを次期大統領候補へと祭り上げる方針が決まっていく。

一方、そんな話に無頓着なチャンスは池の上を歩いて(水上を歩く奇跡を行ったというイエス・キリストの引用)去っていく。

ベンジャミンの「人生とは心の姿なり」という遺言が響く。

 

Being There (1979) Drinking Game and Podcast | Alcohollywood

 

この映画の原作となっているのは、ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』を下敷きにしたジャージ・コジンスキーの1970年の小説『庭師 ただそこにいるだけの人』(原題:Being There)。

それをコジンスキー自らが脚色したものである。

 

 

愚者が山から下り、教師となって、エンディングではツァラトゥストラに則り超人となってしまうというニーチェの話になぞらえ、主人公を取り巻く人々の姿を、20世紀後半のワシントンD.C.を舞台に活写した作品である。

『ツァラトゥストラはかく語りき』は、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの後期思想を代表作。

ツァラトゥストラという人物を主人公とする物語の体裁をとっているが、大半はツァラトゥストラによる思想の吐露である。

一連の物語において、ニーチェは神の死、超人、そして永劫回帰の思想を散文的な文体で論じている。

山に篭もって思想を養い、孤独を楽しんでいたツァラトゥストラは、神が死んだことを知覚し、絶対者がいなくなった世界で、超人思想を人々に教えようと山を下りる決意をする。

だが、低俗な人々は耳を貸そうとしない。そこで、ツァラトゥストラは、自分の思想を理解する人を探し始め、従う弟子たちを得る。

しかし「師に従うばかりではいけない」と結局弟子も棄ててしまう。

あらたな思索の末、ツァラトゥストラは人々に対して自らの思想を語ることを控えることを決め、山に帰郷する。

ツァラトゥストラは山中の洞窟で、何人かの特別に高等な人々と会い、彼らとの交流の中で歓喜する。

最後には、ツァラトゥストラが再び山を降りることで、物語は締めくくられている。

 

難しい話はさておき、この映画の面白さはどこにあるかというと、経済や政治の世界からかけ離れた自然と対話する庭師の精神世界の清らかさだ。

 

邦画でも似た作品がいくつもある。

その代表作こそ「男はつらいよ」の寅さんだろう。

ひとは、いつになっても庶民の心をもって毎日を明るく自然の赴くままに生きて行くことを願っているのだ。

 

日本人の心のふるさとのような映画が、ハリウッドにもあった!

 

主役のチャンスを演じているのは、ピーター・セラーズ。

この人は、イギリスのハンプシャー、サウスシー生まれの俳優。

第二次世界大戦中にイギリス空軍に入隊し、終戦までに兵長に昇任した。

慰問の任務で芝居をしていたほか、任務の合間に上官の物真似をしていたことが、後の演技に役立ったようである。

映画『ピーター・セラーズのマ☆ウ☆ス』や『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』では一人三役を演じ、『Soft Beds, Hard Battles(VHSタイトル『これがピーター・セラーズだ!/艶笑・パリ武装娼館』/DVDタイトル『マダム・グルニエのパリ解放大作戦』)』に至ってはナレーターを含めて実に7役に扮する怪演をみせるなど、作品ごとに声や発音を使い分け、フランス人・イタリア人・インド人・中国人・日本人ほか、様々な国のキャラクターを巧みに演じ分けて、観客の笑いと感嘆、そして天才の名を得た。

成功は比較的遅かった。

あるテレビプロデューサーと話をしたいが為に、当時有名だったコメディアンケネス・ホーンの声帯模写をして電話をかけたという。その後、BBCラジオの『ザ・グーン・ショー』に出演することになり、スパイク・ミリガン、ハリー・シーカム、マイケル・ベンティンらのコメディアン達と共に人気を得て、後に黎明期のテレビへも進出することとなる。

1950年に映画初出演。1956年の『マダムと泥棒』でコメディアンとしての評価を得る。1959年にはイーリング・スタジオ製作の喜劇に出演した。

1963年に公開された『ピンクの豹』で演じたクルーゾー警部は脇役であったが、主役を食うほどの抱腹絶倒の演技で一躍話題となり、クルーゾー警部を主役に据えて制作された『ピンク・パンサー』シリーズで、世界に名を馳せる俳優となった。

1964年にはスタンリー・キューブリック監督の、東西冷戦と恐怖の均衡を風刺したブラック・コメディ映画『博士の異常な愛情』にて、気弱なイギリス空軍将校、真面目なアメリカ大統領、大統領顧問を務める元ナチ科学者の三役を演じ、アカデミー主演男優賞に初ノミネートされた。

そして、1979年公開の本作『チャンス』でも二度目のアカデミー主演男優賞のノミネート、更にはゴールデングローブ賞 主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞した。

 

 

この映画は、Amazon Primeで動画配信可能:

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