「黄金狂時代」
(原題:The Gold Rush)
1925年6月26日公開。
1925年12月17日日本公開。
チャップリン自作の監督・主演コメディ。
監督・脚本:チャールズ・チャップリン
キャスト:
- 孤独な金鉱探しチャーリー:チャールズ・チャップリン
- ジョージア(酒場の女):ジョージア・ヘイル
- ビッグ・ジム・マッケイ(金鉱探し):マック・スウェイン
- ブラック・ラーセン(指名手配犯):トム・マレイ
- ハンク・カーティス(鉱山技師):ヘンリー・バーグマン
- ジャック(女たらし):マルコム・ウエイト
- バーテンダー:スタンリー・J・サンフォード
あらすじ:
雪深い山に金鉱を捜し求めてきた一人の金鉱探し・チャーリー。
猛吹雪に難渋した上、転がり込んだ小屋にはお尋ね者のブラック・ラーセンがいた。
やがて、同じく猛吹雪で転がり込んできた金鉱探しのビッグ・ジム・マッケイと避難生活を送ることとなる。
寒さと飢えがピークに達し、ビッグ・ジムはチャーリーがニワトリに見える始末。
やがて靴を食べる生活まで始めた。
紆余曲折を経てビッグ・ジムと別れ、麓に出来た新興の街にやってきたチャーリーは酒場で出会ったジョージアに一目ぼれする。
大晦日の夜、酒場の近くにある小屋の留守を任されたチャーリーは、ジョージアをもてなそうとパーティの準備をして自宅に誘うが、約束をすっぽかされてしまう。
酒場での大晦日のパーティが終わった後、ジョージアは約束を思い出してチャーリーの家に行くが、チャーリーは落胆して外出していたため会うことはできなかった。
飾り付けられた部屋の中や自分あてのプレゼントをみたジョージアは、チャーリーが自身に好意を寄せていることに気づく。
酒場にやってきたチャーリーは所在なさげにうろついていたが、酒場のバーテンダーからジョージアからの言伝を書いた紙を受け取る。
そこには、約束を破ったことを謝りたいと書かれていた。
(以上はサウンド版の展開。元のサイレント版では恋敵のジャック宛ての手紙だったものを、チャーリーがかつがれて自分宛てだと思い込んだ。)
すぐさまジョージアを探し回るチャーリーだが、おもいもがけずビッグ・ジムと再会を果たす。
彼は何か無我夢中な様子で一緒に来てくれとせがんでくる。
実は、ジムはチャーリーと別れた後、自ら探し当てた金鉱へ戻ったのだが、待ち伏せしていたブラック・ラーセンと乱闘になった末に頭部を殴打され、記憶を失っていた。
記憶を取り戻したものの、金の鉱脈のありかのしるしを残した場所を思い出すことができなかったため、共に一緒に過ごしていたチャーリーを探していたのである。
チャーリーは再会したジョージアに必ず戻ってくると言い残し、金の鉱脈を見つけ出すべくジムと共に再び雪山へと舞い戻る。
そして、崖崩れによる小屋の崩落という危機をなんとか乗り越え、ついに金の鉱脈を発見し、一躍百万長者となった。
そして帰りの船上でジョージアと再会し、今度こそ結ばれるのだった。
コメント:
1925年に製作されたアメリカ映画である。
チャールズ・チャップリンが監督・脚本・主演を務めた喜劇映画。
喜劇王と呼ばれたチャップリンの作品の中でも特に傑作と呼ばれている作品である。
正直で単純故に周囲の笑い者になってしまうチャーリーの姿が、おかしくも哀愁を感じさせる。
サイレント映画という表現の幅が限定された時代に、身体全てを使って表現するチャップリンの姿がシンプルだからこそストレートに感動を伝えてくれる。
そしてシーンの一つ一つがとても印象に残る映画で、どっちに逃げても銃口が追いかけてくる小屋での古典的なコメディシーンや、雪崩で崖っぷちに流された小屋の中でのあたふたぶりがとても面白い。
ひもじさの為に靴を食べるシーンや、フォークを使ったダンスのシーンは名シーン中の名シーン。
新年のパーティーで浮かれる人々と対照的に、約束したジョージアを待ち一人寂しく窓際に立つチャーリーの姿が哀しみを誘う。最後まで彼の真っ直ぐな姿勢が、波乱を起こし、災難を招きながらも、ささやかな幸福を引き寄せていくのはとても感動的だ。
常に楽しさと哀愁とをちりばめて、観る者に人の喜怒哀楽を感じさせてくれる人間味あふれる映像は、この時すでに完成されていたのだ。
やはりこの人は、映画の天才だ。
チャールズ・スペンサー・チャップリン(英: Sir Charles Spencer Chaplin, KBE、1889年4月16日 - 1977年12月25日)は、イギリス出身の映画俳優、映画監督、脚本家、映画プロデューサー、作曲家である。
サイレント映画時代に名声を博したコメディアンで、山高帽に大きなドタ靴、ちょび髭にステッキという扮装のキャラクター「小さな放浪者」を通じて世界的な人気者になり、映画史の中で最も重要な人物のひとりと考えられている。ドタバタにペーソスを組み合わせた作風が特徴的で、作品の多くには自伝的要素や社会的及び政治的テーマが取り入れられている。
チャップリンのキャリアは70年以上にわたるが、その間にさまざまな称賛と論争の対象となった。
チャップリンの子供時代は貧困と苦難に満ちており、救貧院に何度も収容される生活を送った。
やがて舞台俳優や芸人としてミュージック・ホールなどの舞台に立ち、19歳で名門のフレッド・カーノー劇団と契約した。
そのアメリカ巡業中に映画業界からスカウトされ、1914年にキーストン社で映画デビューした。
チャップリンはすぐに小さな放浪者を演じ始め、自分の映画を監督した。その後はエッサネイ社、ミューチュアル社、ファースト・ナショナル社と移籍を重ね、1919年にはユナイテッド・アーティスツを共同設立し、自分の映画を完全に管理できるようにした。
1920年代に長編映画を作り始め、『キッド』(1921年)、『黄金狂時代』(1925年)、『街の灯』(1931年)、『モダン・タイムス』(1936年)などを発表した。『独裁者』(1940年)からはトーキーに完全移行したが、1940年代に私生活のスキャンダルと共産主義的傾向の疑いで非難され、人気は急速に低下した。
1952年に『ライムライト』のプレミア上映のためロンドンへ渡航中、アメリカへの再入国許可を取り消され、それ以後は亡くなるまでスイスに定住した。
しかし1972年の第44回アカデミー賞で「今世紀が生んだ芸術である映画の製作における計り知れない功績」により名誉賞を受賞、アメリカでの授賞式に招かれた。
主な長編映画は以下の通り:
- キッド(1921年)
- 巴里の女性(1923年)
- 黄金狂時代(1925年)
- サーカス(1928年)
- 街の灯(1931年)
- モダン・タイムス(1936年)
- 独裁者(1940年)
- 殺人狂時代(1947年)
- ライムライト(1952年)
- ニューヨークの王様(1957年)
- 伯爵夫人(1967年)
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