谷崎潤一郎の映画 日本の文豪として世界的に知られる作家の映画化作品をレビュー! | 人生・嵐も晴れもあり!

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谷崎潤一郎という文豪がいます。

 

ノーベル賞候補にもなった著名作家であり、多くのヒット映画の原作者でもあります。

作風は、耽美主義を始めとする独特のものが特徴で、女性をさまざまな角度から描き続けた天才でした。

 

この人の映画化作品をレビューするにあたり、まずはその出自と経歴をたどります。

 

谷崎 潤一郎
(たにざき じゅんいちろう)
        

         (1951年撮影)

誕生 1886年7月24日
日本の旗 日本・東京市日本橋区蛎殻町二丁目14番地
(現・東京都中央区日本橋人形町一丁目7番10号)
死没 1965年7月30日(79歳没)
日本の旗 日本・神奈川県足柄下郡湯河原町吉浜字蓬ヶ平
墓地 日本の旗 日本・京都市左京区鹿ヶ谷法然院
東京都豊島区染井墓地慈眼寺に分骨
職業 小説家、劇作家、随筆家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 旧制一高英法科卒業
東京帝国大学国文科中退
活動期間 1910年 - 1965年
ジャンル 小説、戯曲、随筆、翻訳、和歌
主題 女体美の探究、マゾヒズム
江戸の絢爛、悪魔的心理
デカダンス、フェティシズム
モダニズム、異国趣味
美とエロスの曼荼羅
日本の伝統美、母恋い
風俗絵巻、老人の性
文学活動 耽美派、悪魔主義、古典回帰
代表作 『刺青』(1910年)
『痴人の愛』(1924年-1925年)
『卍(まんじ)』(1928年-1930年)
『蓼喰ふ虫』(1928年-1929年)
『春琴抄』(1933年)
『陰翳禮讚』(随筆、1933年-1934年)
『細雪』(1944年-1948年)
『少将滋幹の母』(1949年-1950年)
『鍵』(1956年)
『瘋癲老人日記』(1961年-1962年)
主な受賞歴 国民文芸賞(1923年)
毎日出版文化賞(1947年)
朝日文化賞(1948年度)
文化勲章(1949年)
毎日芸術大賞(1962年度)

 

谷崎 潤一郎(たにざき じゅんいちろう、1886年〈明治19年〉7月24日 - 1965年〈昭和40年〉7月30日)は、日本の小説家。

明治末期から昭和中期まで、戦中・戦後の一時期を除き終生旺盛な執筆活動を続け、国内外でその作品の芸術性が高い評価を得た。

日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。

初期は耽美主義の一派とされ、過剰なほどの女性愛やマゾヒズムなどのスキャンダラスな文脈で語られることが少なくないが、その作風や題材、文体・表現は生涯にわたって様々に変遷した。

漢語や雅語から俗語や方言までを使いこなす端麗な文章と、作品ごとにがらりと変わる巧みな語り口が特徴。

『痴人の愛』『春琴抄』『細雪』など、情痴や時代風俗などのテーマを扱う通俗性と、文体や形式における芸術性を高いレベルで融和させた純文学の秀作によって世評高く、「文豪」「大谷崎」と称された。

その一方、今日のミステリー・サスペンスの先駆的作品、活劇的な歴史小説、口伝・説話調の幻想譚、果てはグロテスクなブラックユーモアなど、娯楽的なジャンルにおいても多く佳作を残している。

 

谷崎倉五郎、関の次男として東京市日本橋区蛎殻町二丁目14番地(現・東京都中央区日本橋人形町一丁目7番10号)に誕生。

長男・熊吉は生後3日で亡くなったため、潤一郎の出生届は、「長男」として出された。

次男として誕生した弟の谷崎精二は、のちに作家、英文学者(早稲田大学教授)となる。

母方の祖父・谷崎久右衛門は、一代で財を成した人で、父は江澤家から養子に入ってその事業の一部を任されていた。

しかし、祖父の死後事業がうまくいかず、谷崎が阪本尋常高小四年を卒業するころには身代が傾き、上級学校への進学も危ぶまれた。

谷崎の才を惜しむ教師らの助言により、住込みの家庭教師をしながら府立第一中学校(現・日比谷高等学校)に入学することができた。

散文や漢詩をよくし、一年生のときに書いた『厭世主義を評す』は周囲を驚かせた。

成績優秀な潤一郎は「神童」と言われるほどだった。

1902年(明治35年)9月、16歳の時、その秀才ぶりに勝浦鞆雄校長から一旦退学をし、第二学年から第三学年への編入試験(飛級)を受けるように勧められる。

すると合格し、さらに学年トップの成績をとった。

本人が「文章を書くことは余技であった」と回顧しているように、その他の学科の勉強でも優秀な成績を修めた。

卒業後、旧制一高に合格。一高入学後、校友会雑誌に小説を発表した。

 

1908年(明治41年)、旧制一高英法科卒業後に東京帝国大学文科大学国文科に進むが、後に学費未納により中退。

在学中に和辻哲郎らと第2次『新思潮』を創刊し、処女作の戯曲『誕生』や小説『刺青』(1910年)を発表。

早くから永井荷風によって『三田文学』誌上で激賞され、谷崎は文壇において新進作家としての地歩を固めた。

以後『少年』、『秘密』などの諸作を書きつぎ、自然主義文学全盛時代にあって物語の筋を重視した反自然主義的な作風で文壇の寵児となった。

 

大正時代には当時のモダンな風俗に影響を受けた諸作を発表、探偵小説の分野に新境地を見出したり、映画に深い関心を示したりもし、自身の表現において新しい試みに積極的な意欲を見せた。

関東大震災の後、谷崎は関西に移住し、これ以降ふたたび旺盛な執筆を行い、次々と佳品を生みだした。

長編『痴人の愛』では妖婦ナオミに翻弄される男の悲喜劇を描いて大きな反響を呼ぶ。

続けて『卍』、『蓼喰ふ虫』、『春琴抄』、『武州公秘話』などを発表し、大正以来のモダニズムと中世的な日本の伝統美を両端として文学活動を続けていく。

こうした美意識の達者としての谷崎の思想は『文章読本』と『陰翳禮讚』の評論によって知られる。

この間、佐藤春夫との「細君譲渡事件」や2度目の結婚・離婚を経て、1935年(昭和10年)に、元人妻の森田松子と3度目の結婚をして私生活も充実する。

太平洋戦争中、谷崎は松子夫人とその妹たち四姉妹との生活を題材にした大作『細雪』に取り組み、軍部による発行差し止めに遭いつつも執筆を続け、戦後その全編を発表する(毎日出版文化賞、朝日文化賞受賞)。同作の登場人物である二女「幸子」は松子夫人、三女の「雪子」は松子の妹・重子がモデルとなっている。

 

戦後は、高血圧症が悪化、畢生の文業として取り組んだ『源氏物語』の現代語訳も中断を強いられた。

しかし、晩年の谷崎は、『過酸化マンガン水の夢』(1955年)を皮切りに、『鍵』、『瘋癲老人日記』(毎日芸術賞)といった傑作を発表する。 

1950年代には『細雪』、『蓼喰ふ虫』が翻訳され、アメリカでも出版。

ノーベル文学賞の候補には、判明しているだけで1958年と1960年から1964年まで7回にわたって選ばれ、特に1960年と1964年には最終候補(ショートリスト)の5人の中に残っていた。

最晩年の1964年(昭和39年)6月には、日本人で初めて全米芸術院・米国文学芸術アカデミー名誉会員に選出された。

 

1965年(昭和40年)、東京医科歯科大学附属病院に入院。

退院後、京都に遊ぶ。

7月30日腎不全に心不全を併発して死去。

享年80(満79歳没)。

8月、青山葬儀所にて葬儀。戒名は「安楽寿院功誉文林徳潤居士」。

絶筆は『にくまれ口』『七十九歳の春』。

 

京都市左京区鹿ヶ谷の法然院に納骨。

百日法要で、東京都豊島区染井墓地慈眼寺にある両親の墓に分骨。芥川龍之介の墓と背中合わせとなる。

 

 

映画化作品は数多くあり、大佛次郎と並ぶほどの映画界での大御所的存在である。

現在確認されている映画は、以下の通り、計65作存在しているが、最新作は昨年2023年の公開作品であり、今後も新たな映画が期待される:

  • アマチュア倶楽部(1920年、大正活映、トーマス・栗原 監督)※ オリジナルシナリオ
  • 葛飾砂子(1920年、大正活映、栗原喜三郎 監督)※ 泉鏡花原作、谷崎潤一郎 脚色
  • 雛祭の夜(1921年、大正活映、栗原喜三郎&谷崎潤一郎 監督)※ オリジナルシナリオ。谷崎は操人形の操作担当。
  • 蛇性の婬(1921年、大正活映、栗原喜三郎 監督)※ オリジナルシナリオ
  • おつやと新之助(1924年、日活、中川紫郎 監督)※『お艶殺し』が題材
  • 本牧夜話(1925年、東亜キネマ、鈴木謙作 監督)
  • お艶殺し(1925年、東亜キネマ、阪田重則 監督)
  • お艶殺し(1934年、日活、辻吉朗 監督)
  • 春琴抄 お琴と佐助(1935年、松竹、島津保次郎 監督)
  • お市の方(1942年、大映、野淵昶 監督)
  • 痴人の愛(1949年、大映、木村恵吾 監督)
  A Fool's Love (1949) Original Trailer [HD] - YouTube
  • 細雪(1950年、新東宝、阿部豊 監督)
  • お艶殺し(1951年、東映、マキノ雅弘 監督)
  • お遊さま(1951年、大映、溝口健二 監督)
  • 源氏物語(1951年、大映、吉村公三郎 監督)※ 谷崎潤一郎 監修
  • お国と五平(1952年、東宝、成瀬巳喜男 監督)
  • 乱菊物語(1952年、東宝、谷口千吉 監督)
  • 春琴物語(1954年、大映、伊藤大輔 監督)
  • 猫と庄造と二人のをんな(1956年、東宝、豊田四郎 監督)
  睇戲】猫と庄造と二人のをんな – どがちゃがHONG KONG、OSAKA
  • 乱菊物語(1956年、東宝、谷口千吉 監督)
  • 細雪(1959年、大映、島耕二 監督)
  • 鍵(1959年、大映、市川崑 監督)
  357 鍵 1959 市川崑 : 日本映画の遺伝子
  • 痴人の愛(1960年、大映、木村恵吾 監督)
  • お琴と佐助(1961年、大映、衣笠貞之助 監督)
  • 瘋癲老人日記(1962年、大映、木村恵吾 監督)
  映画「瘋癲老人(ふうてんろうじん)日記」(1962)若尾文子、山村聰主演。 - fpdの映画スクラップ貼
  • 台所太平記(1963年、東宝、豊田四郎 監督)
  • 白日夢(1964年、松竹、武智鉄二 監督)
  • 卍(1964年、大映、増村保造 監督)
  卍(まんじ)(1964):映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
  • 紅閨夢(1964年、松竹、武智鉄二 監督)
  • 悪党(1965年、東宝、新藤兼人 監督)
  • 刺青(1966年、大映、増村保造 監督)
  刺青 - シネマ一刀両断
  • 堕落する女(1967年、松竹、吉村公三郎 監督)
  • 痴人の愛(1967年、大映、増村保造 監督)
  痴人の愛(1967年版) | あの時の映画日記~黄昏映画館
  • 鬼の棲む館(1969年、大映、三隅研次 監督)
  • おんな極悪帖(1970年、大映、池広一夫 監督)
  • 讃歌(1972年、大映、新藤兼人 監督)
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  • 鍵(1974年、日活、神代辰巳 監督)
  • 春琴抄(1976年、東宝、西河克己 監督)
  モモエ映画・1976年『春琴抄』 | 『シネマ de もんど』 ももじろう2号のブログ
  • 谷崎潤一郎「痴人の愛」より ナオミ(1980年、東映、高林陽一 監督)
  • 白日夢(1981年、富士映画、武智鉄二 監督)
  • 卍(1983年、東映セントラルフィルム、横山博人 監督)
  • 華魁(1981年、武智プロ、小川プロ、武智鉄二 監督)
  • 鍵(1983年、東映セントラルフィルム、木俣堯喬 監督)
  • La chiave(1983年、伊仏合作映画、ティント・ブラス 監督)※ 邦題『鍵』
  • 細雪(1983年、東宝、市川崑 監督)
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  • 刺青 IREZUMI(1984年、にっかつ、曽根中生 監督)
  • The Berlin Affair(1985年、伊・西独合作映画、リリアーナ・カヴァーニ 監督)※ 邦題『卍/ベルリン・アフェア』
  • 白日夢(1987年、松竹、武智鉄二 監督)
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  • Dagboek van een oude dwaas(1987年、蘭白仏合作映画、リリ・ラデメーカーズ 監督)※ 邦題『吐息』。『瘋癲老人日記』を題材にしている。
  • 卍(1987年、オリジナルビデオ、 服部光則 監督)
  • 鍵(ディレクターズ・カット完全版)(1997年、新東宝、木俣堯喬 監督)
  • 鍵 THE KEY(1997年、東映、池田敏春 監督)
  • 刺青 SI-SEI(2005年、アートポート、佐藤寿保 監督)
  • 卍(2006年、アートポート、井口昇 監督)
  • 刺青 堕ちた女郎蜘蛛(2007年、アートポート、瀬々敬久 監督)
  • 春琴抄(2008年、ビデオプランニング、金田敬 監督)
  • 白日夢(2009年、アートポート、愛染恭子 & いまおかしんじ 監督)
  白日夢 | あらすじ・内容・スタッフ・キャスト・作品情報 - 映画ナタリー
  • 刺青 背負う女(2009年、アートポート、堀江慶 監督)
  • 刺青 匂ひ月のごとく(2009年、アートポート、三島有紀子 監督)
  • BUNGO -日本文学シネマ- 富美子の足(2010年、オリジナルビデオ、 橋本光二郎 監督)
  • 神と人との間(2018年、TBSサービス、内田英治 監督)
  • 富美子の足(2018年、TBSサービス、ウエダアツシ 監督)
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  • 悪魔(2018年、TBSサービス、藤井道人 監督)
  • 鍵(2022年、BBB、井上博貴 監督)
  • 卍(2023年、レジェンド・ピクチャーズ、井土紀州 監督)

 

これから、谷崎潤一郎の映画化作品を出来る限り多くレビューして行きます。

 

ご期待ください!