「ベニスに死す」
(原題:: Death in Venice)
1971年3月1日公開。
美少年に魅入られた芸術家の苦悶と恍惚を描いた異色作。
トーマス・マンの代表作を巨匠・ヴィスコンティ監督が映画化。
受賞歴&順位:
- 1971年:第24回カンヌ国際映画祭25周年記念賞
- 1971年:ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞 監督賞
- 1971年:ナショナル・ボード・オブ・レビュー ベスト10選出
- 1972年:第45回キネマ旬報ベスト・テン第1位
- 1972年:キネマ旬報賞 外国映画監督賞
- 1972年:英国アカデミー賞:美術賞、撮影賞、衣装賞、音響賞
- 1972年:第44回アカデミー賞衣装デザイン賞(ノミネート)
原作:トーマス・マン「ヴェニスに死す」
脚本:ルキノ・ヴィスコンティ、ニコラ・バダルッコ
監督:ルキノ・ヴィスコンティ
キャスト:
グスタフ・アシェンバッハ:ダーク・ボガード
タジオ:ビヨルン・アンドレセン
タジオの母:シルヴァーナ・マンガーノ
あらすじ:
1911年、ベニス。
ドイツ有数の作曲家・指揮者であるグスタフ・アシェンバッハ(ダーク・ボガード)は休暇をとって、ひとりこの水の都へやってきた。
蒸気船やゴンドラの上で、さんざん不愉快な思いをしたアシェンバッハは、避暑地リドに着くと、すぐさまホテルに部屋をとった。
サロンには世界各国からの観光客が集まっていた。
アシェンバッハは、ポーランド人の家族にふと目をやった。
母親(シルヴァーナ・マンガーノ)と三人の娘と家庭教師。
そしてアッシェンバッハは、母親の隣りに座った一人の少年タジオ(ビヨルン・アンドレセン)に目を奪われた。
すき通るような美貌と、なよやかな肢体、まるでギリシャの彫像を思わせるタジオに、アシェンバッハの胸はふるえた。
その時からアシェンバッハの魂は完全にタジオの虜になってしまった。
北アフリカから吹きよせる砂まじりの熱風シロッロによってベニスの空は鉛色によどみ、避暑にきたはずのアシェンバッハの心は沈みがちで、しかも過去の忌わしい事を思い出し、一層憂鬱な気分に落ち込んでいった。
ますます募るタジオへの異常な憧憬と、相変らず重苦しい天候に耐え切れなくなったアシェンバッハは、ホテルを引き払おうと決意するが、出発の朝、朝食のテーブルでタジオを見た彼の決意が鈍る。
だが駅に着くと、自分の荷物が手違いでスイスに送られてしまったため、アッシェンバッハはすぐにホテルに引き返した。
彼の心は、タジオと再会できる喜びでうちふるえていた。
彼はもう、タジオへの思いを隠そうともしなかった。
タジオの行く所には、常にアシェンバッハの熱い眼差しがあった。
タジオもそのことに気づき始めているようだ。
しかしこの頃、ベニスには悪い疫病が瀰漫しはじめていたのだ。
街のいたる所に、消毒液の匂いが立ちこめ、病いに冒され、黒く痩せ衰えた人々が、行き倒れになっていた。
しかし、観光の街ベニスにとって旅行者に疫病を知られることは死活問題であり、地元民はそれをひた隠しにした。そのことを何とか聞き出したアシェンバッハは、それが真性コレラであることを知った。
それでも彼はヴェニスを去ろうとはしなかった。
彼は身も心もタジオの姿を追い求めて彷徨っていた。
タジオのために、化粧をほどこし、若づくりをするアッシェンハッハだったが、コレラに冒され、極度の精神的疲労も加わり、彼の肉体は急速に衰えていった。
浜辺の椅子にうずもれたアシェンバッハの目に、タジオのあの美しい肢体が映った。
海のきらめきに溶け込んでゆくかの如きタジオの姿に、アシェンバッハの胸ははりさけんばかりとなる。
そうして最後の力をふり絞って差しのべた手も力尽き、アッシェンバッハは、タジオの姿を瞳に焼き付けながら、遂に息絶えるのだった。
コメント:
ドイツを代表する、ノーベル文学賞を受賞した文学家・トーマス・マンの同名小説が原作となっている。
トーマス・マンの代表作には、『ブッデンブローク家の人々』、『ヴェニスに死す』、『魔の山』、『ファウストゥス博士』などがある。
この小説家は日本でも人気が高い。
影響を受けている作家には、三島由紀夫、吉行淳之介、北杜夫、大江健三郎、辻邦生らがいるとされている。
映画は、ヴィスコンティの傑作の一つとしても有名だ。
公開当時は批評家の間では高評価で、その年のキネ旬第1位となるも、芸術性が強すぎるのと、中年男が美少年の魅力に捕らわれるホモ映画みたいだとの世評もあり、なかなか手が伸びなかったという。
自分の目で確認せず、無責任な他人評に影響される悪例となった。
バート・ランカスターとアラン・ドロンが共演した「山猫」もそうだが、確かにヴィスコンティ監督の映像美へのこだわりはつねに凄い。
本作のテーマは、まさに美の本質とは何かを問うものだが、名匠・ヴィスコンティにとっては絶対に妥協できない作品だったのだろう。
論理的で人工的に完全な美こそ究極の美であるという信念を持つ主人公の音楽家が、そういったものを超越する自然が生み出した美に心ならずも圧倒され、打ちのめされるという極めて異色の作品なのである。
どちらが優るという話ではないだろうが、残念ながら自然が生み出す美は短命だということがある。
逆に言えば短命だからこそ、その瞬間、一時の美しさが際立つということも言えるのだろう。
本作のテーマ曲にグスタフ・マーラーの交響曲第5番の第4楽章「アダージェット」を使用し、マーラー人気復興の契機となったことでも名高い。
美とは何かという永遠のテーマを映画化した極めて美的センスへの理解度が問われる難しい映画なのだ。
主人公の作曲家アシェンバッハを熱演したダーク・ボガードの存在感はさすがだ。
美少年タジオ役をつとめたアンドレセンは、アイドルとして苦難の人生を歩んだ。
1970年、ヴィスコンティ監督は『ベニスに死す』の映画化の為に、主人公の作曲家を虜にする少年タジオ役を求めてヨーロッパ中を探していた。
当時、友人とバンドを組んで歌っていたアンドレセンがヴィスコンティの目に止まり、数多くの候補者の中から選ばれた。
ヴィスコンティは、数千人の候補者をリストアップし、最終的にはアンドレセンに決定したという。
1971年8月、映画のキャンペーンと明治製菓「エクセル」のCM撮影のため来日している。
日本でのキャリアを構築することは祖母の強い勧めだったという。
来日の際には熱狂的な歓迎を受けた。
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