「女ともだち」
(原題:原題:Le Amiche)
1955年9月7日公開。
多くの映画賞を受賞した名作。
ミケランジェロ・アントニオーニの名作。
原作:チェーザレ・パバーゼ『孤独な女たちの中に』
脚本:スーゾ・チェッキ・ダミーコ、アルバ・デ・チェスペデス、ミケランジェロ・アントニオーニ
監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
キャスト:
クレリア:エレオノーラ・ロッシ・ドラゴ
ネネ:ヴァレンティナ・コルテーゼ
ロゼッタ:マドレーヌ・フィッシャー
ロレンツォ:ガブリエレ・フェルゼッティ
カルロ:エットレ・マンニ
モミナ:イヴォンヌ・フルノー
あらすじ:
洋装店の女支配人クレリア(エレオノーラ・ロッシ・ドラゴ)はトリノの店に着任した。
ホテルの隣室でロゼッタ(マドレーヌ・フィッシャー)という娘が自殺未遂を起こしたことから、彼女は四人の女友達と知りあった。
ロゼッタの自殺は、友達の一人・ネネ(ヴァレンティナ・コルテーゼ)の夫・ロレンツォ(ガブリエレ・フェルゼッティ)への恋心故だった。
だが、一命はとりとめた。
ネネは芸術家であると同時に良妻で、夫とロゼッタの関係を知りながら静観するという冷静さも持っていた。
クレリアは店の設計その他を担当したチェザレの助手カルロ(エットレ・マンニ)に憑かれていた。
ロゼッタは親切にしてくれるクレリアの助言でロレンツォとの恋を成就させることを誓った。
その頃、画家のロレンツォは個展を開いたが、失敗に終わり、ネネの方にスポンサーがつくという皮肉な結果になった。
それは三角関係を清算する良い機会だった。
ある夜、ロゼッタはロレンツォに最後の回答を求めたが、彼の心がやはりネネにあることを知り、入水してしまった。
それは仲間のリーダー格のモミナ(イヴォンヌ・フルノー)の偽りの友情も大きな原因の一つに挙げられる。
クレリアは大勢の客の前で、失職を覚悟で彼女を罵倒した。
彼女はカルロとの結婚を決意し、田舎に帰ることにした。
だが、思いがけず経営者は彼女を再び働かせると親切に言う。
彼女の気持が大きく揺れた。
とんで来たカルロに対し、彼女は別れの挨拶をした。
彼女の列車をカルロはいつまでも見送っていた。
コメント:
60年前の作品とは思えない登場人物の個性的でビビッドな感覚の作品である。
貧しい環境からキャリアを積んで自由を得たヒロインと富裕な故に本当の愛をなくても他人の恋愛で楽しむ者、恋心に振り回され自らを制御できず自殺する者、芸術家として夫よりも成功の道が開かれているにもかかわらず弱い夫を抱える良妻といった、複数の女ともだちの成立から、個々の人生へと分かれていく様をモダンなタッチで見事に描く作品。
ヒロインがローマから出身のトリノで支店を開店させる件や店内で店のマヌカンにプレタポルテを着せてファッションショーを行い販促活動するエピソードはファッション業界の原点を見るようで興味深い。
その顧客である富裕層とヒロインとの心のギャップが爆発する展開は鮮烈で、最高のクライマックスだ。
それでも好意を持った男からのアプローチを受け止めながら、自分のキャリアがつながっているチャンスがあればそれを即座に優先するヒロインの逞しさと呆気にとられつつヒロインを見送る男の姿が切ない。
チェーザレ・パバーゼの小説『孤独な女たちの中に』を原作として、スーゾ・チェッキ・ダミーコ、アルバ・デ・チェスペデスと共同して、ミケランジェロ・アントニオーニがシナリオを書き、監督した。
ベニス映画祭・銀獅子賞、イタリア映画祭銀リボン監督賞、撮影賞、助演女優賞(ヴァレンティナ・コルテーゼ)などを受賞した作品である。
ミケランジェロ・アントニオーニは、イタリアを代表する映画監督で、世界三大映画祭の全てで最高賞を受賞している。
この人は、1912年9月29日、イタリア中部のフェラーラで生まれた。
ボローニャ大学を卒業後、地元の新聞に映画批評を寄稿。1940年、ローマに移住。チネチッタで映画製作を学び、後に彼の作品に携わる数人の映画技術者に出会った。
1942年、ロベルト・ロッセリーニの『ギリシャからの帰還』の脚本を執筆し、マルセル・カルネの『悪魔が夜来る』で助監督を務めた。
1947年、短編ドキュメンタリー『Gente del Po』で映画監督としてデビュー。
その後も『愛すべき嘘』(1949年)など数本の短編ドキュメンタリーを製作する。
1949年、初めての長編となったドキュメンタリー『Ragazze in bianco』を発表した。
1950年、初の長編劇映画『愛と殺意』を発表。
1955年、本作『女ともだち』で長回しによる撮影スタイルを確立。
同年のヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞した。
1957年、自身の妻から突然別れを告げられたことをきっかけに、故郷フェラーラを舞台にした『さすらい』を製作。
ロカルノ国際映画祭で金豹賞を受賞した。
1960年、『情事』は既存の映画文法とは全く異なる作品であり、第13回カンヌ国際映画祭で上映された際には
ブーイングが鳴り止まなかったものの審査員賞を受賞。
英国映画協会サザーランド杯も受賞し、アントニオーニの代表作となった。
また、同作に出演したモニカ・ヴィッティはこれ以後、アントニオーニのミューズとして欠かせない存在となった。
1961年、ヴィッティの他にマルチェロ・マストロヤンニとジャンヌ・モローを起用した『夜』を発表。
第11回ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した。
1962年、ヴィッティとアラン・ドロンを配した『太陽はひとりぼっち』を発表。
第15回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞した。これら3作品は「愛の不毛三部作」として知られる。
1964年、再びモニカ・ヴィッティを主演に迎え、初のカラー作品となった『赤い砂漠』を発表。
第25回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した。
1966年、イギリスを舞台に、スウィンギング・ロンドンと呼ばれた当時のポップカルチャーを織り交ぜた不条理劇『欲望』を発表。1967年、第20回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞。
アンリ=ジョルジュ・クルーゾーに続いて、世界三大映画祭全ての最高賞を獲得した史上2人目の映画監督となった。
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