「戦火のかなた」
(原題: Paisà)
1946年10月イタリア公開。
1949年9月6日日本公開。
第2次大戦直後の戦争映画。
脚本:セルジオ・アミデイ、フェデリコ・フェリーニ、チェレステ・ナガルヴィッレ、ヴィクター・ヘインズ、マルチェロ・パリエーロ、ロベルト・ロッセリーニ
監督:ロベルト・ロッセリーニ
キャスト:
第Ⅰ話:
- カルメラ:カルメラ・サツィオ
- ジョー(アメリカ兵):ロバート・ヴァン・ルーン
第Ⅱ話:
- ジョー(黒人のアメリカ軍のMP):ドッツ・M・ジョンソン
第Ⅲ話:
- フランチェスカ(毛皮の商売女):マリア・ミーキ
- フレッド(アメリカの戦車兵):ガール・ムア
第Ⅳ話:
- ハリエット(イギリス軍の看護婦):ハリエット・ホワイト
- マッシモ:レンツォ・アヴァンツォ
第Ⅴ話:
- マーチン大尉(カトリック従軍僧):ウィリアム・タブズ
第Ⅵ話:
- ディル(O.S.S.の隊員):ディル・エドマンズ
- チゴラーニ(パルチザン):アキレ・シビエロ
- ドイツ軍将校:ロベルト・ヴァン・ローエル
あらすじ:
第1エピソード :
シチリア島海岸の村へアメリカ軍が上陸する。村落の娘カルメラはドイツ兵が潜伏している城塞へ案内する。
ジャージー生まれの斥候の一人は手真似で故郷の話をし、ライターの火をかざしながら家族写真の説明をするが、これが標的となって敵弾に倒れる。
アメリカ兵のカービン銃で復讐しようとしたカルメラまでも犠牲になるが、発見した軍人たちはカービン銃を握っていた彼女が裏切ったと思う。
第2エピソード :
ナポリが連合軍によって解放される。
少年が泥酔した黒人兵を劇場や廃墟に連れて行き、寝込んだすきに靴を盗む。
3日後、この黒人MPは少年を発見し、靴を取りもどすため家まで案内させる。人々は貧困にあえぎ、少年は両親を爆弾で亡くしていた。
MPは戻った靴を捨てて逃げる。
第3エピソード :
ローマで酔ったアメリカ軍戦車兵が夜更けに毛皮を着たブロンドの商売女に呼びかけられる。
ベッドで「今の女はみな同じだ」といって、6ヶ月前に連合軍が初めてローマに着いた時のブロンド娘を思い出す。
フランチェスカという良家の娘が彼に水を与え、家庭へ招いて歓待してくれたのだ。
彼は再会を夢に描いていた。
商売女は戦車兵に伝言を頼むが、彼は淫売の住所だと捨ててしまう。
女は戦火で身を持ち崩したフランチェスカだった。
第4エピソード -:
フィレンツェではナチの勢力がまだ衰えず、イタリアのパルチザン(ゲリラ)と親ナチイタリア人勢力との間に白昼の市街戦が絶え間ない。
アメリカ軍野戦病院で看護婦として働いているハリエットは戦前恋人であったギイドという画家を探している。
パルチザンの頭首となっている通称「ルーポ」が重傷していることを知る。
彼女は知人の男と一緒に銃弾が降りそそぐフィレンツェの市街を突破するが、敵弾に倒れたパルチザンを介抱している時、死にいく彼の口から「ルーポ、これで同じになれる」と言われ、恋人も亡くなったことを知る。
第5エピソード :
ドイツ軍の反撃が強まる中、500年も経つカトリックのフランシスコ派僧院に3人のアメリカ従軍司祭が宿を求めてくる。
それぞれ宗派を異にし、カトリックとルーテル派のプロテスタントとユダヤ教である。
アメリカ軍の缶詰をもらい、久しぶりのご馳走をしようと考えていた僧侶たちは異教徒が2人いて困惑して宗教論争が始まる。
自分たちは2つの魂を救おうと断食をする。
カトリックの司祭は戦争で忘れていたものを思い出したと感謝する。
第6エピソード :
ポー川のデルタ地帯。
アメリカOSS隊員に引率されたバルチザンたちがドイツ軍に囲まれ、絶望的なゲリラ戦を繰返している。
孤立化した一隊がドイツ軍艇の捕虜となり、ジュネーブ条約は捕虜まで保護していないといわれる。
翌朝、彼らは手足を縛られ、川へ突き落される。悲劇を目撃しながら、なすすべがない。
1944年の冬のことで、数週間後イタリアは連合軍によってドイツから解放される。
コメント:
1946年公開のロベルト・ロッセリーニ監督によるイタリアの映画である。
ロッセリーニの戦争3部作と呼ばれる作品群『無防備都市』(1945)/『戦火のかなた』(1946)/『ドイツ零年』(1948)の2作目である。
6つのエピソードで構成されている。
1943年後半にはムッソリーニが失脚して連合国側に鞍替えをしていて、この映画の時代にはドイツの傀儡政権であるサロ政権の下、ドイツ軍が敵に回っていた。
イタリイ映画批評家、技術家団体による1947年度の最高作品賞、監督賞、作曲賞を獲得し、一九四六年度のヴェニス国際映画祭では最高賞、1947年度のブラッセル国際映画祭では特別賞、1948年度のニウ・ヨオク映画批評家団体による最優秀外国映画賞、ナショナル・ボード・オブ・レヴュウによる同年度最高作品賞を受賞した。
本作は、イタリアでのドイツ軍が撤退した僅か2年後、まだイタリア各地に戦争の傷痕が生々しく残る中で、戦中戦後のエピソード6つをオムニバスとして組み立てた映画である。
第6話「ポー川」のエピソードが、「周遊する蒸気船」や「地獄の黙示録」など、川面を滑る船の映画の系譜を形成していて美しい。
その川にレジスタンスたちの死骸が次々と放り込まれるという殺伐たる場面に“FINE”の文字を被せて映画を終えるロッセリーニの冷厳な作劇には、「ドイツ零年」の少年の死と同様、観る者を震撼とさせるに十分な映画的ショックがある。
黒人の米軍MP兵と戦争孤児の少年のエピソードや、マリア・ミーキ扮する娼婦が米軍兵を誘惑すると、彼はローマ解放直後に出逢った思い出の兵士だったというエピソードなどがある。
プロテスタントとユダヤ教の信者を迎え入れてしまう修道士の話が絶品。
哀れな異教徒を救うために自らは空腹に耐え、異教徒たちに食事を出すカソリック修道士たちの真面目な可笑しさが、「神の道化師フランチェスコ」を遥かに予告している。
本作は、ほとんどのイタリア映画のようにオールアフレコが採用されている訳ではなく、黒人MPと戦災孤児のお話などはほぼシンクロ録音されていて、黒人兵のアドリブ饒舌が効果を上げている。
また、ロケの効果は全篇において顕著に現れており、特に歴史遺産のフィレンツェが戦場となる話は、この街で銃弾が飛び交っていたのかと思うと、痛々しくて胸が塞がれる思いだ。
戦争は残酷なものである。
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