「斜陽」
2009年6月13日公開。
太宰治の「斜陽」の映画化。
原作:太宰治「斜陽」
脚本:落合雪恵
監督:秋原正俊
キャスト:
かず子:佐藤江梨子
母:高橋ひとみ
上原:温水洋一
和田:小倉一郎
直治:伊藤陽佑
あらすじ:
良家の子女として生まれ、何も知らずに育ってきたかず子(佐藤江梨子)は、ある日突然、叔父・和田(小倉一郎)からの援助が途絶え、母(高橋ひとみ)と共に親類の別荘へ越すことになる。
だが、慣れ親しんだ旧家への想いから、母は病にとらわれ次第に弱っていく。
そして、母と二人きりで慣れない日々を過ごすうち、かず子はしばしば言いようのない感情に襲われるようになっていった。
そんなある日、厭世観に満ちた無頼の弟・直治(伊藤陽佑)がふらりと戻ってくる。
直治の仲間で作家の上原(温水洋一)と出会ったかず子の人生は思いもよらない方向へと滑り出していくのだった……。
コメント:
太宰治生誕百年を記念して製作された同名小説の映画化。
突然の苦境に立たされた良家の子女の姿を描く。
原作は、太宰治の代表作「斜陽」である。
「人間失格」と並ぶ太宰治の作家としての金字塔とされている名作中の名作である。
これは、敗戦後の没落貴族の母と姉弟、デカダン作家らの生き様を描いた、太宰文学最高のロマン。
真の革命のためにはもっと美しい滅亡が必要だという決意から書かれたとされている。
『新潮』1947年7月号から10月号まで4回にわたって連載され、同年12月15日、新潮社より刊行された。
初版発行部数は1万部。すぐさま2版5,000部、3版5,000部、4版1万部と版を重ねベストセラーとなった。
太宰の代表作の一つで、作中で描いた、没落していく上流階級の人々を指す「斜陽族」という流行語を生みだした。
斜陽という言葉にも、国語辞典に「没落」という意味が加えられるほどの影響力があった。
太宰治の生家である記念館は、本書の名をとって「斜陽館」と名付けられた。
ついに太宰治が、日本の文壇において最新の人気作家となったのである。
1947年に発売され、ベストセラーとなり、それがきっかけで没落していく上流階級を表した「斜陽族」という流行語も生まれた。
では、どのようにしてこの作品が執筆されたのであろうか。
その経緯を見てみると、これが他人様の作品をネコババしたようなものだということが分かる。
それは太宰が死んでから判明したらしい。
太平洋戦争下、太宰は妻子を連れて、津軽(青森県金木町)にある生家の津島家に疎開し、終戦を迎えた。
GHQによる日本の戦後改革の一環として農地改革が発表され、大地主だった津島家も人や物の出入りが減った。
がらんとした生家の様子を見た太宰は「『桜の園』だ。『桜の園』そのままではないか。」と繰り返し言っていた。
(太宰治の生家)
太宰は長兄である津島文治の書棚からアントン・チェーホフの戯曲集を借りて読み、生家を帝政ロシアの没落貴族になぞらえていた。
1946年(昭和21年)11月14日、太宰は疎開先からようやく東京に戻る。
翌日の11月15日、新潮社出版部の野原一夫が長編小説執筆依頼のため太宰宅を訪問。
11月20日、太宰は新潮社を訪れ、河盛好蔵、野原一夫、『新潮』編集長の斎藤十一らと神楽坂の店で酒盃を傾ける。
野原の弁によれば太宰はその席で
「『桜の園』の日本版を書きたい、自分の実家の津島家をモデルにして没落する旧家の悲劇を書きたい、題名は『斜陽』だ」
と述べ、本作品の『新潮』への連載と、新潮社からの刊行を確約したという。
執筆中に静子が太宰の子を妊娠(生まれた女児が作家・太田治子である)したこともあり、終盤の展開がいささかチェーホフの『桜の園』から外れ、太宰・静子が実際辿った経緯が反映された感もある。
また、主要登場人物四人の設定は、いずれも年代別の太宰自身の投影(初期=直治、中期=かず子と母、末期=上原)の色が濃い。
作中に登場する貴族の娘の言葉遣いが「実際の貴族の女性の言葉遣いからかけ離れている」と、学習院出身の志賀直哉や三島由紀夫などが指摘している。
「愛人」という言葉が、戦前はほぼ「恋人」と同義で使われていたのに対し、戦後は「不倫相手」等のネガティブな意味合いで使われるようになったのは、本作が端緒であるとの研究がある。
それが本当なら、太宰治は、「斜陽」と「愛人」という二つの流行語を編み出したことになる。
さらに重要なことは、この小説に出てくる日記の文章だ。
なんとそれは、当時太宰が深い男女の仲になっていた太田静子の日記を参考にし、箇所によってはほとんどそのまま書き写されたものだったというのだ。
それが真実であることが、後日彼女の実の娘・太田治子によって明かされたのである。
新潮社の会長だった佐藤俊夫の遺品から生原稿が2017年に発見され、日本近代文学館に寄贈されたようだ。
小説『斜陽』では、主人公のかず子は妻子がある作家・上原と関係を持ち、子供を授かっている。
このかず子には、モデルとなった太田静子という実在の女性がいたのだ。
それが、太田静子だ。
彼女は、妻子ある太宰治と男女の仲になり、太宰の子供を授かったのだ。
不倫だと承知の上で。
1947年(昭和22年)1月6日、かず子のモデルとなった太田静子は、三鷹にあった太宰の仕事部屋を訪問する。
太宰は静子に日記を見たいと伝える。
2月21日、太宰は一人暮らしをしていた静子を神奈川県下曽我村(現:小田原市)の雄山荘に訪ねる。
この訪問は静子の日記を借り受けることが主目的だったと言われている。
2月26日、雄山荘を発ち、静岡県内浦村(現:沼津市)の安田屋旅館に止宿し、執筆を始めた。
雑誌掲載4回分のうち2回までを4月頃までに脱稿。5月24日、静子は実弟を連れて三鷹を訪問し、太宰の子を受胎したことを告げる。6月末、本作品を脱稿した。
執筆中に静子が太宰の子を妊娠(生まれた女児が作家・太田治子である)したこともあり、終盤の展開がいささかチェーホフの『桜の園』から外れ、太宰・静子が実際辿った経緯が反映された感もある。
また、主要登場人物四人の設定はいずれも年代別の太宰自身の投影(初期=直治、中期=かず子と母、末期=上原)が色濃い。
つまり、太宰治は自らの不倫相手をモデルにして、この小説を書き上げており、その題材となる日記も不倫相手の実際の日記を流用していたのだ。
すでに別ブログに掲載したように、太宰治映画の第1作である「看護婦の日記」の原作「パンドラの匣」の主要部分は、ほとんど戦時中に入手した木村という太宰のファンの日記を流用したものであることがすでに判明している。
名作といわれる「走れメロス」も、中東の文献からの盗作であることが明らかだ。
そして、今回は不倫相手の日記の流用だ。
ある部分は、完コピだというから恐れ入る。
代表作である「斜陽」というベストセラーは、愛人の日記の流用によって出来上がったものなのだ。
もうはっきりした!
太宰治は、盗作の常習犯だ。
不倫も平気だし、何度も狂言まがいの心中騒ぎを起こして世間を騒がせ続けていた厄介者だ。
こういう作家を日本を代表する文豪と呼んでも良いのだろうか。
映画「斜陽」は、佐藤江梨子がヒロイン・かず子を熱演しており、その母を演じた高橋ひとみも存在感を示しており、佳作である。
この作品に難癖をつけるつもりは毛頭ない。
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