「欲望のあいまいな対象」
(原題:Cet obscur objet du désir)
1977年8月14日公開。
二つの顔をもつ一人の娘に翻弄される初老のブルジョワ紳士の姿を描く。
脚本:ルイス・ブニュエル、ジャン=クロード・カリエール
監督:ルイス・ブニュエル
キャスト:
- フェルナンド・レイ:マチュー・ファベール
- キャロル・ブーケ:コンチータ
- アンヘラ・モリーナ: コンチータ
- ミレナ・ヴコティッチ:子連れの婦人
- ジャック・ドバリー:判事
- ピエラル:心理学教授
あらすじ:
スペインの南の町セビリア。
一見平和なこの町でも、正体不明のテロ事件が頻発していた。
初老のブルジョワ紳士であるマチュー・ファベール(フェルナンド・レイ)が、あわてて駅にやって来てパリ行きの切符を買った。
バカンス・シーズンの観光客で混雑する駅。
マチューが乗り込んだ一等のコンパートメントには、子連れの婦人(ミレナ・ヴコティッチ)、判事(ジャック・ドバリー)、心理学教授(ピエラル)が乗り合わせた。
そこへ、マチューを追って若い女がやって来る。
追いすがる彼女に、マチューは頭からバケツの水をかけた。
マチューの振舞いに非難の目を向けるコンパートメントの面々。
しかし、マチューは語り始めた。
その娘コンチータ(キャロル・ブーケ/アンヘラ・モリーナ)のことを。
マチューがコンチータに会ったのは、従兄の判事エドワール(ジュリアン・ベルトー)を食事に招いた日のこと。
その日雇われた新しい小間使がコンチータだったのだ。
その初々しい姿にすっかり魅せられたマチューは、夜コンチータを呼んだ。
しかしコンチータはその部屋を逃げ去り、翌朝、マチューの家を出て行った。
彼女を忘れられないマチューは、ローザンヌのレマン湖畔で偶然彼女と再会する。
演劇仲間といっしょの彼女は、興行主に騙され無一文だと言う。
そんな彼女に金を握らせるマチュー。
彼はそれがきっかけで、パリに帰ってからもコンチータのアパートを訪れた。
アパートでは、彼女が、母と二人で貧しい生活を送っていた。
マチューは、母親に大金を渡し、コンチータを自分の邸に引き取ろうとするが、コンチータはそんなやり方のマチューに怒り、手紙を残して彼の許を去ってしまう。
夜も眠れぬマチュー。
再びあるバーで偶然コンチータを見かけた彼は、今度こそは離すまいと、郊外の別荘に連れてゆく。
ところが、ベッドの中でマチューが手にしたものは、なんと彼女を守る貞操帯だ。
マチューの欲望は一向に満たされない。
一方では彼女はギター弾きの青年(デイヴィッド・ローシャ)と戯れたりしている。
傷心のマチューはセビリアにやって来た。
そして再びコンチータに出会う。
フラメンコを踊りながら母とわびしい生活を送っているという彼女に再び同情し、遂に家を買って与えた。
しかし、いよいよという夜、家の玄関に鍵をかけ、マチューが見ている前でギター弾きと抱き合う彼女。
怒りが爆発しパリに向かう彼を、彼女は追いかけて来たのだ。
さらに「私は処女よ」と叫ぶコンチータ。
話し終えて列車から降りたマチュー。
何と、仲むつまじく、コンチータが寄り添っていた……。
コメント:
本作は、ルイス・ブニュエル監督の遺作で、ピエール・ルイスの小説『女と人形』からインスパイアされた作品と言われている。原作とはクレジットされていないが。
とにかく、相当変わった映画である。
一人二役ならぬ、二人一役というあり得ない演出をしているのだ。
なんだこりゃ!
どうやら、女性の二面性をあらわすために、コンチータという小娘役を、キャロル・ブーケと、アンヘラ・モリーナという二人の女優が演じているのだ。
女性の静と動で役者を使い分けるのではなく、カメラのカット割りで女優が交互に変わる演出は、初老の男性だけではなく、観客を翻弄させるに十分である。
これを知って納得するまで、観る者は頭がおかしくなる。
さらに驚くのは、ラストシーンだ。
あれだけ翻弄された初老の紳士が、このコンチータという小娘、貧しい貧しい小娘で、小間使いだったこの娘と仲むつまじく寄り添う姿が現れる。
これはいったい何を意味するのか。
あれだけこの娘を罵り愚弄した老人が最後の最後で、この寄り添い方はいったい何なのか。
映画館で見終わって席を立とうとした瞬間にわかる。
「あっ!」そういう意味なのか。
タイトルが『欲望のあいまいな対象』だ。
欲望、この場合、愛情という欲望だが。
しかも身分の異なるいかがわしい小娘に対する愛欲である。
それが全て”あいまい”であることの表れなのだ。
監督のブニュエルは客観的な演出家だ。
その彼がこれほど主人公に思い入れをして、独白させる。
この情景に観客は見事にだまされる。
彼は最初からこの”あいまい”な欲望と愛情を映像にしたかったのであろう。
しかし、この一見不条理な女性像は、したたかさだけでは片付けられず、 今まで彼が描いてきた富裕層の権力行使とは違い、80年代からの女性の権利復興の前触れともとれる。
女の行動は、至ってシビアで利己的、パトロンの財をむさぼりつくし、それを離さない執着心、初老の発言や欲求に屈せず、執拗に迫られればその男を蔑むのだ。
その姿は悪女を越え、劇中で頻繁に描かれるテロ行為と同じで、能動者と受動者思惑の不一致に通じ、際限がない。
この初老の紳士は、分かりやすく言えば、何度も映画化されている、谷崎潤一郎原作の『痴人の愛』に登場する男とほぼ同じだ。
真面目一筋の男が、美しく、色気たっぷりの若いピチピチした女の子に徹底的に弄ばれる。
だが、全部許してしまう。
この情けなくも、憎めない、女の色香に翻弄される男の実態こそ、この映画の主人公と共通しているのではないだろうか。
まあ、男と女の世界というのは、所詮は騙し合いの中で行方が定まって行くようなものだが、徹底的に女性に主導権を与えてしまうケースというのが本作なのだろう。
ああ、女は怖い!
初老のブルジョワ紳士・マチュー・ファベールを演じたフェルナンド・レイは、1917年生まれのスペインの俳優である。
マドリード大学で建築を学んでいたときにスペイン内戦が勃発。
1936年ごろからエキストラで映画に出始め舞台での芝居や吹き替えも始める。
1944年にはじめて台詞のある役をもらう。その後『哀しみのトリスターナ』や本作『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』といったルイス・ブニュエル作品や、ウィリアム・フリードキンのアクション映画『フレンチ・コネクション』に出演して有名になる。
1977年には『Elisa, vida mía』でカンヌ国際映画祭男優賞を受賞した。
この役者の熱演なくして本作の成功はなかった。
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