「情婦マノン」
(原題:Manon)
1949年3月9日公開。
小説『マノン・レスコー』の翻案を映画化。
ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞作。
原作:アベ・プレヴォー『マノン・レスコー』
脚本:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー、ジーン・フェリー
監督:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー
キャスト:
- ロベール・デグリュー:ミシェル・オークレール
- マノン・レスコー:セシル・オーブリー
- レオン(マノンの兄):セルジュ・レジアニ
あらすじ:
ユダヤ人の一団を乗せイスラエルに向かう貨物船から若い男女の密航者が発見された。
男はロべ-ル(ミシェル・オークレール)、女はマノン(セシル・オーブリー)であった。
船長の前で男は二人の過去を物語った。
四四年、レジスタンス運動に加わっていたロべ-ルはドイツ兵相手に売春をしたために村人のリンチに会おうとしているマノンを救った。
しかし、マノンの魅カのとりこになったロべ-ルは運動から離脱し、彼女をつれて解放にわき立つパリに向かった。
マノンの兄レオン(セルジュ・レジアニ)は闇屋をやっており、羽ぶりがよかった。
マノンはぜいたくな生活にあこがれ、真面目な結婚生活を説くロベールの言棄には耳をかさなかった。
ロべ-ルを愛していないわけではないが、マノンはぜいたくをするために娼婦稼業に身を落とすのをいとわなかった。
ロベールは彼女の歓心を買うために闇屋になった。
レオンがマノンをあやつり、アメリカ人の金満家と結婚させようとしているのを知ったロべ-ルはレオンを殺して逃げた。
事情を知ったマノンはロベールの後を追った。
ロベールの話を聞いた船長は二人に同情し、ユダヤ人たちといっしょにパレスチナの海岸に上陸させて逃がしてやった。
しかし砂漠を旅する一行は宿敵のアラビア人部隊に襲撃され全滅してしまった。
銃撃で死んだマノンを砂中に埋めたロべ-ルはその上で息を引きとった。
コメント:
十八世紀のアべ・プレヴォーの小説『マノン・レスコー』を現代の物語にしたもの。
第二次世界大戦下、フランス人レジスタンスの男がナチス兵相手に売春していた女を救うところから物語は始まる。
ラストの、射殺された恋人の死体をさかさにかついで砂漠をさまよい歩くシーンが特に有名。
人を愛するということは、時にロマンチックであり、時にサスペンスフルであり、時にミステリアスであり、時に不条理なものでもあることを深く感じさせる名作である。
主人公のふたりの出会いから逃亡までの臨場感溢れる戦場シーンや、砂漠の暑さがジリジリと伝わってくる。
映画史に名高いラストシーンが印象に残る異色の悲恋譚である。
原作『マノン・レスコー』のあらすじは以下の通り:
騎士デ・グリューは美少女マノンと出会い駆け落ちする。
だが、彼女を愛した男たちは嫉妬や彼女の欲望から破滅していき、デ・グリューも巻き込まれて数々の罪を犯す。
彼女はアメリカへ追放処分となり、デ・グリューも彼女に付き添って行くが、アメリカでも彼女をめぐる事件は起き、ついにマノンは寂しい荒野で彼の腕に抱かれて死ぬ。
この小説は、ファム・ファタール(男たちを破滅させる女)を描いた文学作品としては最初のものといわれ、繊細な心理描写からロマン主義文学の始まりともされる。
正しい題名は『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語』。
アンリ=ジョルジュ・クルーゾーは、フランスの映画監督・映画プロデューサー・脚本家。
サスペンスやフィルム・ノワールの監督として有名。
映画史上初めて世界三大映画祭の全てで最高賞を受賞した監督でもある。
また、ヌーヴェル・ヴァーグの生みの親とも言われている。
主な作品は以下の通り:
- 密告 Le Corbeau (1943年)
- 犯罪河岸 Quai des Orfèvres (1947年)
- 情婦マノン Manon (1949年)
- 恐怖の報酬 Le Salaire de la Peur (1953年)
- 悪魔のような女 Les Diaboliques (1955年)
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