「伊豆の踊子(1967)」
1967年2月25日公開。
「伊豆の踊子」の5度目の映画化。
原作:川端康成「伊豆の踊子」
脚本:恩地日出夫、井手俊郎
監督:恩地日出夫
キャスト:
- 薫(踊子):内藤洋子
- 川崎(高校生):黒沢年男
- 栄吉(踊り子の兄):江原達怡
- 千代子(その妻):田村奈己
- お芳(母親):乙羽信子
- 百合子(雇い娘):高橋厚子
- お咲(酌婦):団令子
- お清(酌婦):二木てるみ
- お滝(女中):北川町子
- お雪:酒井和歌子
- 茶屋のばあさん:小峰千代子
- 紙屋:小沢昭一
- 鳥屋:西村晃
- お時(女中):園佳也子
- 竹林の男:名古屋章
- 婆さん:賀原夏子
あらすじ:
伊豆の下田に向かう一高生・川崎は、途中、旅芸人の一行に出会い、古風な美しい踊子に惹かれた。
峠にさしかかる頃、にわか雨が降り出し、茶屋に飛び込むと、さっきの旅芸人と再び会い、これがきっかけとなって川崎は彼らと連れになって旅をすることにした。
一行は踊子の兄・栄吉、妻・千代子、千代子の母・お芳であった。
踊子の名は薫といい、旅のつれづれにたずねる川崎の問いに、生れ故郷の甲府のこと、今は大島にいて毎年伊豆にやってくることなどを頬を染めながら話すのだった。
ある日栄吉と風呂に入っていた川崎は、向かいの共同風呂にいる薫が裸で手をこちらに振っているのを見て、その無邪気さに思わず苦笑した。
こうして芸人一行が湯ケ野の町を座敷から座敷へと流し、三味線や太鼓の音が川崎の耳に快よく聞える何日かが続くうちに、薫も“下田に着いたら活動写真に連れて行って下さいね”と甘えるようになり、二人は親しみを増していった……。
やがて下田に着き、明日はいよいよ川崎が東京へ帰るという日、身分違いの仲を案じたお芳の“お座敷だよ”との言葉に薫は悲しみの涙をのむのであった。
そして翌朝、乗船場には薫がただ一人海を見つめながら川崎を待っていた。
やがて栄吉が川崎を送ってやってきた、
薫の姿をみとめた川崎の眼は輝いた。
それまでの無邪気な薫とは打って変わって、彼女は今は無言で頭を下げるだけだった……。
夜になり船も下田から大分遠ざかった頃、川崎は甲板に出た。
彼の頬にも涙が伝わっていた。
その頃、薫は座敷で太鼓を打っていた。
キチンと坐り、自分の切ない気持が、船の上の川崎にとどけとばかり、一点を見つめ、悲しみに耐える真剣な表情で太鼓を打ち続けていた。
コメント:
監督は異才・恩地日出夫、脚本は名匠・井手俊郎による川端康成の「伊豆の踊子」である。
井手俊郎脚本の「伊豆の踊子」は、ヒロインが訪ねた温泉町の外れで、自分と年の違わぬ娘(二木てるみ)が病気で臥せているところに遭遇し、しかも彼女は身体を売る酌婦だと知り、ヒロインがショックを受けるというエピソードを“発明”しているところが特徴だ。
二木てるみが演じる、肺炎で病の床にある少女が印象的。
子供たちに「もうすぐ死ぬの」と言い、お葬式には来てくれるわねと約束しながらも、子供たちが寝ている明け方にひっそりと埋葬されてしまう。
この哀しいエピソードが、明るい踊り子に影を落としている。
さらに、この恩地日出夫版ではさらにラスト近く、東京の男に棄てられた修善寺の芸者という役柄で酒井和歌子を登場させており、東京から来た書生と別れることになるヒロイン自身の姿と対比させる構造を採用し、ドラマに厚みをもたらしている。
恩地日出夫は、1960年に27歳で監督となり、東宝ヌーベルバーグとも呼ばれた『若い狼』で監督デビュー。
続いて、団令子主演で作品を発表するが、「観念的」「難解」と評される。
ブランクの後、内藤洋子売り出しのための『あこがれ』を制作。そのみずみずしい映像感覚は評判となる。その後の『伊豆の踊子』『めぐりあい』などで、青春映画に新境地を開く。
以後、新宿西口バス放火事件の被害者の手記を映画化した『生きてみたいもう一度・新宿バス放火事件』や、昭和30年代の農村で育つ子供達の姿を活写した『四万十川』などを発表。『蕨野行』(村田喜代子原作)では、芸術選奨文部大臣賞・報知映画賞監督賞を受賞している。
一方テレビドラマでは、ショーケン主演で大人気となった『傷だらけの天使』(1974年 - 1975年)の監督を手がけた。
特にオープニング映像の演出は視聴者に強烈な印象を与え、テレビ史における名シーンとなっている。
1979年には、シンガーソングライターの泉谷しげるを主役に起用した土曜ワイド劇場『戦後最大の誘拐 吉展ちゃん事件』で、芸術祭賞優秀賞を受賞した。
この作品が泉谷の俳優デビュー作となったことでも話題となった。
ヒロイン・薫を演じた内藤洋子は、高校在学中の1965年、黒澤明監督の『赤ひげ』でデビューし、注目された。
その後も本作で主役を演じてから、累計20本以上の映画に出演して、人気を高めて行った。
歌手としても成功し、松山善三監督の『その人は昔』の挿入歌だった「白馬のルンナ」が50万枚の大ヒットとなった。
1970年、音楽家の喜多嶋修と結婚して芸能界を完全に引退した。
わずか6年間の芸能生活だった。
喜多嶋舞は、彼女の娘である。
内藤洋子が最も人気となったのは、1966年のテレビドラマ「氷点」である。
平均30%以上の視聴率を記録し、最終回の視聴率が42.7%という大ヒット作となった。
彼女は、ヒロイン・新珠美千代の養女・辻口陽子役で出演。
徹底的に新珠美千代にいじめられる役だ。
番組が高視聴率を続けたことで、遊覧コースとして観光バスが自宅前を通過する程の事態となった。
しかも「あちらに見えますのは、ドラマ『氷点』で陽子を演じている内藤洋子さんのご自宅でございます」と紹介されたという。
主演の新珠三千代たっての共演だったらしい。
主人公の一高生・川崎を演じたのは黒澤年男。
「時には娼婦のように」のイメージとは全く異なる役柄だが、本作がこの人の初主演作となっている。
さわやかで純情そうな風貌が良い。
この映画は、レンタルも動画配信もない。
DVDが販売されている: