キネマ旬報 1971年度 主演男優賞 佐藤慶 「儀式」
受賞者は、個性派の佐藤慶。
まず、この俳優の出自と経歴をたどる。
佐藤家は先祖代々会津藩士だったが、戊辰戦争に敗れて以降は漆器材料の卸商を営んでいた。
また、2.26事件に参加し刑死した渋川善助の妻・絹子は叔母。
福島県立会津工業学校染織科卒業後、会津若松市役所戸籍係に勤務するかたわら、地元で結成した新劇愛好会で演劇に打ち込んでいたが、会の発表会の日に無断欠勤をして役所を免職されたという「根っからの新劇人」。
その後1951年に上京し、俳優の小沢栄太郎の芝居を見て、「ふてぶてしいまでに人間の暗い面を表現している」と憧れた。
この頃痩せた貧弱な身体に劣等感を持っていたが、体質改善をして半年間で24kgも体重を増やす。
1952年(昭和27年)に小沢が所属する俳優座養成所に第4期生として入所した。
同期には宇津井健・佐藤允・仲代達矢・中谷一郎らがいる。
このうち佐藤允、仲代、中谷の3人は、後年岡本喜八監督作品の常連として「喜八一家」と呼ばれるようになるが、佐藤慶も2本の岡本作品に出演している。
1955年以降、大島渚監督の一連の作品(1960年の「青春残酷物語」のヤクザ役、1966年の「白昼の通り魔」の強姦殺人犯役など)をはじめ、存在感ある悪役として本領を発揮。
中でも自身の無機質な風貌を生かした、屈折した性格の悪役を得意とした。
また、1960年代後半頃は、「個性的なアクの強さがファンを惹きつけている」と評された。
1980年には紀伊國屋演劇賞を受賞。
低く泰然とした声でのナレーションに人気があり、1970年代から1980年代にかけて日本テレビで放送された科学ドキュメンタリー『知られざる世界』のナレーターを担当した。
4時間半にわたる長尺のドキュメンタリーを劇場公開して話題になった映画『東京裁判』でも単独でナレーターをつとめている。
1981年には『白日夢』で武智鉄二監督の演出のもと愛染恭子と本番行為を行い、一躍話題になった。
1980年代から1990年代中盤頃にかけては「卒業」などテレビドラマを中心に主人公の厳格な父親役を数多く演じ、その重厚な演技が人気を博した。
2000年以降も体調をみながら仕事を続け、2004年に衛星劇場より配給製作された短編オムニバスホラー映画『日常恐怖劇場・オモヒノタマ〜念珠 七ノ珠 ECHOES』では主演級の老人役も演じきった。
体調面も含め、80歳を超えてからは仕事を控えるようになっていた。2010年5月2日午後4時19分、肺炎のため都内の病院で死去した。
81歳没。
亡くなる前年の2009年に公開された映画『カイジ 人生逆転ゲーム』(2008年11月撮影)が遺作となり、貫禄のある役を最後まで演じきった。
生涯で出演した映画は、190本に上る。
1965年の『鬼婆』でパナマ国際映画祭主演男優賞。
1971年の『儀式』でキネマ旬報主演男優賞を受賞。
テレビドラマでは1967年の『白い巨塔』で、前年に公開された同名映画で田宮二郎が演じた野心的な雰囲気とは違った、暗くねじれた個性を前面に出した財前五郎役を演じて代表作のひとつとなった。
本人は生前、「常識的な役にはあまり魅力を感じません。犯罪者とか権力者の方が食指が動きますね」と語っていた。
別の時には、「善人ってのには興味がないんですね。全然つまんない。ワルの方が面白い」とも語っていた。
また、「どうして役者をやっているかを一言で言えば、“人間とは何か?”ということを突き詰めて表現したいと思っているからです」と語っていたという。
70歳を迎えた頃に「今の夢は?」と聞かれた際、「徹底的なワルがやりたい。誰かそういう脚本を書いてくれないかなあ」と答えたという。
崔洋一からは、「佐藤さんは勉強家で役柄に対する理解力が高い。その一方で時に予想のつかない演技になることもある。作り手側に新たな想像力を湧かせる怪優でした」と評されている。
見た印象は、非常に暗く、多くの作品に出演しているが、笑った顔は全く思い出せない、不思議な役者であった。
しかし、演技力は素晴らしく、人間の心の暗部を見せることができる貴重な役者だった。
「儀式」
1971年6月5日公開。
混迷と動乱に満ちた昭和の時代と日本人を描いた異色作。
受賞歴および順位:
キネマ旬報ベストテン第1位。
同・主演男優賞(佐藤慶)
キャスト:
- 桜田満洲男:河原崎建三、椿隆一(少年時代)
- 桜田律子:賀来敦子、成島有美(少女時代)
- 立花輝道:中村敦夫、大田良明(少年時代)
- 桜田忠:土屋清、椿幸弘(少年時代)
- 桜田一臣:佐藤慶
- 桜田しづ:乙羽信子
- 桜田節子:小山明子
- 桜田勇:小松方正
- 桜田守:戸浦六宏
- 桜田進:渡辺文雄
- 桜田富子:河原崎しづ江
- 桜田キク:高山真樹
- 勇の花嫁:原知佐子
- 桜田ちよ:三戸部スエ
- 立花武世:小沢栄太郎
- 長老:殿山泰司
あらすじ:
「テルミチシス」テルミチ」という奇妙な電報を受取った桜田満洲男(河原崎建三)は、輝道のかつての恋人・律子(賀来敦子)と共に急拠打電地の南の島へと旅立っていった。
その道行で、満洲男は過去桜田家で行なわれた数々の冠婚祭の儀式と、その時にだけ会うことのできる親戚の人々の事を想い起こしながら、この電報の意味を考え続けた。
昭和八年満洲事変の余波さめやらぬ頃、満洲で生まれた満洲男が、昭和二十二年、母親のキク(高山真樹)と共に命からがら引き揚げて九州の桜田家にたどり着いた日は、満洲男の父・韓一郎の一周忌の日だった。
韓一郎は敗戦の年、満洲から東京に渡ったが、日本の前途に絶望して自殺した。
その法事の席には、内務官僚であったために追放中の祖父の一臣(佐藤慶)、祖母のしづ(乙羽信子)、曽祖母の富子、祖父の兄嫁のちよ、ちよと一臣の間に生まれた守、父親の腹ちがいの弟の勇、もう一人の腹ちがいの弟進の子忠、叔母の節子とその子供の律子、しづが可愛がっている輝道などが列席した。
幼ない弟を満洲で失い、これから母と二人で生き抜こうと決心した満洲男であったが、祖父の命令で桜田家の跡継として、この複雑な血縁関係のなかに引き込まれていった。
昭和二十七年の夏、全国高校野球大会に東京代表チームの投手で四番打者として活躍していた満洲男は、準々決勝戦の前夜、母の危篤を知らされた。
翌日の試合で満洲男が致命的な失投をした頃、母は息を引きとった。
追放がとけ、ある公団の総裁に就任した祖父の力もあってキクの葬儀は盛大であった。
その通夜の晩、滴洲男は節子(小山明子)から父の遺書を手渡されたことによって父と節子が愛し合っていたこと、そして、その愛が祖父によて引き裂かれ、節子は祖父の政治的野望の犠牲になったことを知った。
そして、その夜、満洲男は、自分の憧れの的であった節子が、輝道(中村敦夫)の愛撫を受けているのを見てしまうのだった。
その翌年、輝道が祖父の秘書として上京したのと入れかわりに、満洲男は京大に入り、再び野球の世界に没入していった。
昭和三十一年、日共の党員である叔父・勇(小松方正)の結婚式が行なわれ、その席には中国から戦犯としての刑期を終えて帰国した叔父・進(渡辺文雄)の顔があった。
その夜、満洲男は好きだという自分の気持を律子に言いだせず、輝道が律子を抱くのをただ呆然とながめていた。
夜更け、節子が死んだ。
原因不明のまま自殺として盛大に葬られた節子の死を、満洲男は祖父が殺したのだと思った。
昭和三十六年、政財界人を集め祖父の命令で行われた自分の結婚式、花嫁の失踪をかくした虚飾に満ちた披露宴に怒りをぶつけた忠、その忠の事故死。
そして輝道の家出。
その後、満洲男は、輝道が自分の父の許嫁と祖父との間にできた子であることを知った。
そして偉大な祖父の死などさまざまな出来事の想い出が満洲男の脳裏を横切っていった……。
旅の終りが近づいていた。
満洲男と律子を乗せた船は、紺碧に輝く南の海を、輝道のいる島へと進んだ。
そして、そこで見たものは、全裸で横たわる輝道の死体だった。
生きる意志を失った律子は、満洲男の目前で自ら手足を縛り薬を口に含んだ。
コメント:
ATGが創立10周年を記念して大島渚の創造社と提携して製作された。
家父長制や冠婚葬祭を通じて、大島が日本の戦後民主主義を総括した作品と言われている。
戦前戦後での古い因習の総括。
家父長制やら男尊女卑といった日本の暗黒の家族を描いた異色作である。
終戦後の満洲からの引き揚げが、日本の反省の始まりなのか。
共産主義、民主主義、この時代の総括すべき戦前戦後の古い体制批判を冠婚葬祭の儀式の中で描く。
構えて観たが、そう難解な話ではなく引き込まれる。
家長を演じる佐藤慶が圧倒的な存在感を示す。
またある種のファムファタールとして小山明子が素晴らしい。
全編通して不安感を煽るような音楽に、暗めの画面が不快感をもたらす。
家父長制度や、旧家の世襲問題、戦後の価値観の変化や倫理観など理解しにくいところはあったが、もっと根本的な人間の醜さや厚かましさ、愚かさに色々と心を揺さぶられるシーンが多い作品だ。
満州で生まれた満洲男は戦後母と共に日本に戻り、桜田家で暮らすことになるのだが、この家系が色々と複雑で親子にとっては決して居心地の良いものではなかった。
特に満洲男を跡継ぎにしようと考えている祖父の一臣の冷酷な面差しが不気味な印象を与える。
父親を自殺で亡くし、弟も満州で亡くした満洲男は、母と二人桜田家に馴染めないでいるが、彼に親身になってくれたのは叔母の節子である。
後に初恋の相手が節子だったと語る満洲男だが、親子ほどの年が離れているにも関わらず、風呂場で背中を流そうとする節子の姿にどぎまぎする満洲男の様子が既に彼が節子に対して女を意識しているように感じられた。
親戚など冠婚葬祭でしか会わないという台詞があるが、この映画は冠婚葬祭の場面で物語が進んでいく。
愛する母の死、盛大な葬式が行われるなか、甲子園出場のため親の死に目に会えなかった満洲男は、バットや野球のスコアを焼いて野球を捨てる決心をする。
そこへ節子が現れ、グローブを焼くのを止める。
節子は実は満洲男の父親と恋仲だった。
しかし、その愛は祖父一臣の手によって引き裂かれてしまったのだと満洲男は知る。
桜田家の人間を自分の思い通りに動かそうとする傲慢な一臣、そして好色な彼は満洲男がこっそり見守るなか、節子を愛撫する。そして、後から現れた輝道も、一臣が去った後に節子に口づけをし、彼女の体に触れる。
その後に節子の娘・律子が満洲男と自分は兄妹かもしれない、兄妹としてのキスをしてと満洲男にせがむが、彼は額ではなく唇にキスをする。
それじゃ兄妹じゃないじゃないと戸惑う律子。
満洲男の気持ちは律子にもあるのだが、律子は輝道に心を惹かれている。
物語は中国で収容されていた忠の父親の帰還や、叔父の結婚式と進んでいく。
自分の罪について口を閉ざしたままの父親の姿に、そして戦後日本の社会に不満を持つ忠は、輝道から日本刀を渡され、その不満をぶちまけようと意気込んで飛び出そうとする。
しかし、自分で焚き付けておいて輝道は、日本刀では大した数の人間は切れない、お前の不満はそんな程度のものかと忠を羽交い締めにして止めてしまう。
そして、その日本刀はある朝、節子の体を貫いた状態で発見される。
自殺として片付けようとする一臣。
しかし満洲男は彼が殺したのではないかと疑う。
祖父に反感を持っていながらも、結局は逆らえず、彼は祖父の言いなりで結婚することになる。
しかし、花嫁は結婚式当日に急性盲腸炎にかかってしまう。
本当は逃げ出したんじゃないかと噂する親族。
一番惨めな思いをしているのは満洲男だが、一臣は列席している重役の手前、体裁を調えるために花嫁不在で式を決行することにする。
佐藤慶は、主人公・満洲男(河原崎建三)の祖父・一臣を演じている。
見るからに頑固で、家長としてすべてを取り仕切る明治の男だ。
こんなジジイが昭和の典型的な男尊女卑の社会でのさばっていたのだ。
まさに、佐藤慶にぴったりの役ではある。
この一臣という男・本人は何も悪いことをしていないと思っていたのだろう。
そういう時代だった。
こんな凄まじい闇の世界をよくぞ映画化したものだ。
こういう嫌な映画を好んで制作し続けた大島渚監督の異常性・芸術性を再認識する。
この人の妻が、小山明子という美人女優だった。
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