「怒り」
2016年9月17日公開。
ある殺人事件にまつわる怒りを追う異色ミステリー。
第41回トロント国際映画祭スペシャルプレゼンテーション部門出品作品。
第64回サンセバスチャン国際映画祭コンペティション部門出品作品。
興行収入:16億1000万円。
受賞歴・順位:
- 第40回日本アカデミー賞
- 最優秀助演男優賞:妻夫木聡
- 優秀作品賞
- 優秀監督賞:李相日
- 優秀脚本賞:李相日
- 優秀主演女優賞:宮崎あおい
- 優秀助演男優賞:森山未來
- 優秀助演女優賞:広瀬すず
- 新人俳優賞:佐久本宝
- 優秀撮影賞:笠松則通
- 優秀照明賞:中村裕樹
- 優秀美術賞:都築雄二、坂原文子
- 優秀録音賞:白取貢
- 優秀編集賞:今井剛
- 第40回山路ふみ子映画賞 (2016年)
- 山路ふみ子映画賞
- 山路ふみ子女優賞:宮崎あおい
- 第41回報知映画賞(2016年)
- 監督賞:李相日
- 助演男優賞:綾野剛
- 第29回日刊スポーツ映画大賞
- 助演男優賞:妻夫木聡
- 助演女優賞:宮崎あおい
- 第90回キネマ旬報ベスト・テン(2017年)
- 日本映画ベスト・テン 第10位
-
- 助演男優賞:綾野剛
- 助演女優賞:広瀬すず
- 第48回照明技術賞
- 映画部門 優秀照明賞:中村裕樹
原作:吉田修一
監督・脚本 - 李相日
キャスト:
- 千葉編
- 槙 洋平 - 渡辺謙
- 槙 愛子 - 宮崎あおい
- 田代 哲也 - 松山ケンイチ
- 明日香 - 池脇千鶴
- 東京編
- 藤田 優馬 - 妻夫木聡
- 大西 直人 - 綾野剛
- 藤田 貴子 - 原日出子
- 薫 - 高畑充希
- 沖縄編
- 田中 信吾 - 森山未來
- 小宮山 泉 - 広瀬すず
- 知念 辰哉 - 佐久本宝
- 泉の母親 - 粟田麗
- その他
- 南條 邦久 - ピエール瀧
- 北見 壮介 - 三浦貴大
- 早川 - 水澤紳吾
あらすじ:
八王子の閑静な住宅地で、惨たらしく殺された夫婦の遺体が見つかる。
室内には、被害者の血で書かれたと思われる『怒』の文字が残されていた。
犯人逮捕に結びつく有力な情報が得られないまま、事件から1年が経ってしまう。
千葉の漁港で働く洋平(渡辺謙)は、家出していた娘・愛子(宮崎あおい)を連れて帰ってくる。
愛子は漁港で働き始めた田代という男(松山ケンイチ)と親密になっていき、洋平に彼と一緒に住みたいと告げる。
しかしその直前に愛子のために田代に正社員登用を勧めて断られていた洋平の胸の内は複雑だった。
二人のアパートの下見の際、田代が前住所を偽っていることが判明。
さらに田代という名すら偽名だった。
疑念を強める洋平が愛子を問いただすと、彼は借金で追われていると告げられる。
そんな中、テレビで整形して逃亡を続ける八王子殺人事件の犯人の似顔絵が公開された。
手配書を見つめ、警察に電話をかける愛子。
時を同じくして田代は行方をくらます。
東京にある大手広告代理店に勤める優馬(妻夫木聡)は、たまたま知り合った直人(綾野剛)と親密になり、住所不定の彼を家に招き入れる。
直人は末期ガンを患う優馬の母・貴子(原日出子)や友人とも親しくなっていく。
しかし日中の彼の行動がわからない上に、仲間内で空き巣事件が連続していること、見知らぬ女性と一緒にいたことが重なり、ニュースで報じられた事件の犯人の特徴を知った優馬の脳裏に直人の姿が浮かぶ。
ふと、冗談めかして殺人犯かと口に出してしまう優馬。
後日、直人は優馬の前から姿を消す。
母と沖縄に引っ越してきた泉(広瀬すず)は、離島を散策中、一人でサバイバル生活をしている田中(森山未來)と出会う。
泉は気兼ねなく話せる田中に心を開いていく。
ある日、同い年の辰哉(佐久本宝)と訪れた那覇で事件に遭遇。
彼女がショックを受け立ち直れないのも自分のせいだと自責の念にかられる辰哉は、田中に悩みを打ち明ける。
自分は味方だとの田中の言葉に救われる辰哉だったが、彼の隠された事実を知り、やりきれない思いが胸中に広がっていく。
コメント:
原作は、吉田修一のミステリー小説。
『読売新聞』に2012年10月29日から2013年10月19日まで連載された後、2014年1月25日に上・下編の二部構成で中央公論新社から同日発売された。
執筆のきっかけとなったのはリンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件である。
この事件は、2007年3月26日に千葉県市川市福栄(行徳地区の地名の一つ)において、英会話学校講師・リンゼイ・アン・ホーカー(英国籍・当時22歳)が市橋達也(当時28歳)によって殺害された殺人事件。
本作は、2016年における最高のミステリー映画といえよう。
李相日監督による脚本と監督によって、吉田修一の最高傑作のミステリーの世界がしっかり描かれている。
1つの殺人事件を軸にして、東京、千葉、沖縄に現れた3人の謎の男からいったい誰が犯人なのかを徐々にあぶり出していく演出が実に秀逸。
謎の男の周りにいる人間が徐々に疑念を持ち始めることで、観る側も一緒に誰が犯人なのか推理できる。
この映画の巧みなところは、冒頭で犯人のシルエットを見せ付け、そのあとで容疑者らしき人物を全く違う場所で三人登場させるところだ。
観る者は、冒頭に見たシルエットと素性の分からなさから、三人の男を疑いはじめる。
「犯人は誰か?」「怒の文字の真意は何か?」「男たちの素性な何なのか?」と物語が進むたびに、疑問が膨らみ、サスペンスが幾重にも重なり合う。
それを追うのは刑事ではない。
三つの異なる物語が、答えを導いてくれるのだ。
それぞれの物語のなかで、男たちを疑いはじめるのは、観客だけでなく、彼らに関わる脇役たちも一緒。
彼らと出会い、関わり、好意を持ち始める。
その先にあるのは「信じたい」という願いなのだ。
しかし、一見美しく思えるその願いこそ、悲しみを連鎖させてしまう。
「信じるという行為自体、すでにその人を疑っている行為だ」というセリフがある。
その人のことを想うからこそ信じたいという行為が生まれるのだが、突き詰めていけばそれは猜疑心の表れと同じで、「信じる=疑っている」というロジックが当てはまってしまうのだ。
人は自分が疑われていると感じれば、心を閉ざしてしまうのは当然で、特に素性を隠し、過去を隠して秘密を抱え孤独に生きてきた男たちにとって、信頼している人から疑われた悲しみは心の痛みとなり、一層自分を孤独にさせる。
相手が疑う気持ちは、自分でコントロールできるはずもない。
そのやり場のない悲しみは、いずれ「怒り」へと変わっていくのだ。
この映画で描きたかった「怒り」は、決して犯人が血で書き殴った「怒」の文字を表しただけではない。
三人の容疑者らしき男たちをもとに、人が抱く怒りのメカニズムを描きたかったのだ。
彼らは人から信じてもらえない悲しみから、人から離れ、心を閉ざし、孤独になり、悲しみのはけ口を失い、それを怒りに変えていった。
そして真犯人は、怒りを吐き出し、弱者が怯え苦しむことで解消していた。
やがてその怒りは新たな悲しみを生み、彼らを信じる人たちに伝染し、悲しみは連鎖していく。
それぞれ彼らに関わった人達は、人を救えなかった嘆き、人を疑った悲しみ、人を信じてしまった憤りを抱き苦しむ。
それは、全て誰にも共有できず、他人にはコントロールしてもらえない、自分自身への苛立ちでもある。
その苛立ちを抱え、悲しみ、憤り、人は自分に怒りを感じてしまうのだろう。
この映画に出演している俳優たちの、怒りと悲しみを表現する演技力がはんぱない。
全員に熱演賞を差し上げたい。
感情の極限をよくぞここまで見せることができた!
負のエネルギーが最高レベルに沸騰している。
単なる犯人さがしのミステリーということだけではなく、人の心にある怒りという感情について分析できる高度な心理ドラマにもなっているのだ。
こういう作品を生み出せず吉田修一という小説家の卓越した筆力に感服する。
この映画は、Amazon Primeで動画配信中: