2020年8月15日に「終戦記念日特集」として、太平洋戦争の敗戦の原因について当ブログサイトでアップした記事があります。
(下記のリブログ記事)
終戦を決定づけた天皇の「玉音放送」の内容を検証しています。
さらに、韓国を日本が植民地化したきっかけとなった「征韓論」についても論評しています。
要点は以下の通りです:
ペリー来航後に、韓国を日本の配下にしようと言い出したのはだれか。
例の「征韓論」の言い出しっぺは誰かだ。
ほとんどの日本人は、「征韓論」という説を西郷隆盛が推進したと理解しているが、これは間違いなのだ。
張本人は、「吉田松陰」である。
この男が、松下村塾で、多くの長州の若者たちに、韓国を昔のように属国にせよと、激しく焚きつけたのだ。
吉田松陰は、明治維新を成し遂げた長州の志士たちの心の師であり、明治維新の元祖のように言われているが、これは、長州の下級武士たちが明治政府の要職をずっと維持してきた中で、「吉田松陰こそ、近代日本の精神の源である」という伝説を日本全国に広めていったためだ。
吉田松陰の「幽囚録」にある彼の主張が、征韓論の起点になった可能性が大きいと、専門家が指摘している。
吉田松陰は、「幽囚録」において、以下のように主張している:
「今急武備を修め、艦略具はり礟略足らば、則ち宜しく蝦夷を開拓して諸侯を封建し、間に乗じて加摸察加(カムチャッカ)・隩都加(オホーツク)を奪ひ、琉球に諭し、朝覲会同すること内諸侯と比しからめ朝鮮を責めて質を納れ貢を奉じ、古の盛時の如くにし、北は満州の地を割き、南は台湾、呂宋(ルソン)諸島を収め、進取の勢を漸示すべし」
つまり、北海道(当時の蝦夷地)の開拓、琉球王国(現在の沖縄県。当時は半独立国であった)の日本領化、李氏朝鮮の日本への属国化、そして当時は清領だった満洲や台湾・「スペイン領東インド」と呼ばれていたフィリピン・ロシア帝国領のカムチャツカ半島やオホーツク海沿岸という太平洋北東部沿岸からユーラシア大陸内陸部にかけての領有を主張しているのだ。
その実現に向けた具体的な外交・軍事策を松陰は記さなかったものの、松下村塾出身者の何人かが明治維新後に政府の中心で活躍したため、松陰の思想は日本のアジア進出の対外政策に大きな影響を与えることとなったのだ。
松陰のこの主張の根拠は、日本書紀にある。
日本書紀には、現実とは異なる、大和朝廷の韓国支配の記述があり、吉田松陰は、これを信じ込んで、自説を創り上げた可能性が高いと言われている。
伊藤博文は、吉田松陰から「周旋屋だ」とその性格を評されていた。
自分自身の考えを持たないが、上司から言われたことを実現する能力があるということだ。
たしかに松陰が指摘した通り、長州武士たちは幕末の戦いで多くの先輩が亡くなった後、生き残った伊藤博文は欧州に留学して西欧の政治経済をしっかり学び、明治の基礎を創り上げることが出来た。
伊藤は、初代総理大臣を務めた後に、日韓併合をも成し遂げ、明治38年11月、第二次日韓協約により韓国統監府が設置されると伊藤が初代統監に就任した。
そして、明治42年10月26日、満州国のハルビン駅で、大韓帝国の民族運動家・安重根によって射殺された。
今でも、韓国は、伊藤博文を恨んでいる。
なぜなら、彼こそ日韓併合の首謀者だと認識されているからだ。
こういう誤った政策が、ついに太平洋戦争での無条件降伏という結末を迎えたのです。
これをしっかり日本人が検証して、日本人が1945年8月15日までの間にどれほど罪深いことをアジアの民にしてしまったのかを認識することが、まず第一歩でしょう。
日本人は、「嫌なことは忘れよう」という都合の良い習慣を身につけていて、我々の先祖もあの太平洋戦争でいかにひどいことをしたのか一切口にせず死んで行ったのです。
戦争犯罪を犯した人間から直接聞かなければ、人はその過ちをしっかりと心に刻むことは出来ません。
「戦争を知らない子供たち」を作ったのは、彼らの父母や祖父母です。
この責任は重大です!
現に、私の父は「仏印(ベトナム)に行った」という一言しか話しませんでした。
どんなことをしたのか、どんなひどい光景を目撃したのか、一切口にしませんでした。
おそらく、思い出したくもないひどいことをしただろうし、ひどいことをされたのでしょうが。
こんな無責任な人間が自分の親だったと思うと、情けなくて涙も出ません。
きっと口に出せば、あの日の忌まわしい思い出が目に浮かぶだろうと思い、口を閉ざしたのでしょう。
だが、そういう事実を子孫に伝えなければ、「戦争を知らない子供たち」になってしまうのです。
その結果、現在76歳以下の日本人のほとんどは、私と同じような「戦争を知らない子供たち」になっているでしょう。
こんなことを言うと、「いやいや、広島・長崎の原爆被災者は、その恐ろしさを世界に向けて発信し続けている!」と、反論されるかも知れません。
それは、半分は正しいかもしれない。
原爆という武器が如何に恐ろしいものであるかを世界中に知らしめることは大変重要であり、その活動を続けている事には敬意を表したい。
しかしである。
なぜ日本が2回も原爆を投下されたのか。
それは、日本が世界中を相手にして、終わりのない戦争を続けようとしていたからだ。
日本人は、それをしっかりと認識して、懺悔すると共に、世界に向けて戦争の罪と恐ろしさを訴える具体的な活動をしなければならない。
北朝鮮に乗り込んで行ってミサイル発射や核開発を止めなければならない。
ロシアに行って直接プーチンにウクライナ侵攻をやめろと迫らなければならない。
ところが、そんなことをしようという人間は日本には誰もいない。
今この国は「平和ボケ」の人間で溢れています。
しかし、ある日突然北朝鮮か、ロシアか、中国が日本に侵攻してくるでしょう!
「平和ぼけ」した日本人は、安倍晋三の長期政権で日本が豊かになり、平和を維持できたと思い込んでいます。
実態は真逆です。
北朝鮮はしっかり核武装し、米国と本気で対峙しようとしているし、ロシアも米国と刺し違えても意地を通そうとしています。
中国も近年中に台湾を勢力下に飲み込もうしており、そのためには沖縄にある米軍基地を攻め落とす覚悟をしているでしょう。
これは、もう日本が戦争に巻き込まれることが必至な情勢下にあるということなのです。
自民党も、立憲民主党も、日本維新の会も、その危機意識を全く持っていないのです。
どうせ何かあったら米国が助けてくれると思っているのでしょう。
それは大きな間違いです!
実は、米国は日本と一体ではないのです。
いざとなったら日本は捨て石にされるのです!
次回は、なぜ米国が日本を見捨てるのかを解き明かします。
2020年8月15日の「終戦記念日特集」記事: